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最遅本命発表~秋華賞編~

「おっちゃん、なんでホームレスしてんの?」


まさか、ホームレスをしているおっちゃんにこんなにも単刀直入な質問をする日が来るとは思っていなかった。
こんな質問をするに至った事の経緯と、おっちゃんとの出会いを経て辿り着いた秋華賞の本命馬について綴っていくこととする。

本記事をご覧頂いている皆様にも、改めて「会話」という行為の尊さについて考え直すきっかけになって頂けることを願いながら。


ストロングゼロの空き缶だらけのゴミ袋を持ってゴミ捨てに出る無駄に美人な隣人。

行きつけのコンビニでよく見る、コンビニ店員が天職みたいな店員。

美味くも不味くもないけど、とりあえず近くてそこそこ安いからよく行くラーメン屋の店長。

電車に乗るといつも同じポジションに陣取って気取った小説を読んでるOL。


しょっちゅう顔を見る割には、一度も会話をしたことない人間って意外と多いものだ。上に書いたのは、俺が日常生活の中で会いたくもないのに出くわす確率の高い人間ランキングの四天王だ。実家を飛び出してからは、上に書いた奴らは間違いなく親の顔よりも頻繁に顔を見てる。

でも、一度も会話したことはない。何故かと言えば、会話をする必要がないから。それもそうだろう。


「お隣さん、身体の9%アルコールでできてません?」

「お兄さん、前世もコンビニ店員だったんちゃいますか?」

「店長、なんで本棚のスラムダンク9巻だけないの?」

「お姉さん、たまにはそこ俺に譲ってくれんか?」


いちいち手当たり次第に声をかけていたら、それはただのやべえ奴だ。コミュニケーションが活発なコミュ障でしかない。君子危うきに近寄らずを地で行く俺としては、無用なトラブルを避ける為に他人と余計な接触はしない。多分これは俺に限らず、現代社会に生きる人間の大半がそうなのではなかろうか。


電車に乗っている時、ろくでもない俺の中に微かに宿る良心が目覚め、目の前に立っていた爺さんに席を譲ろうとしたら、年寄り扱いをするなと舌打ちされたことがある。この出来事から一か月間は俺の中で意地でも年寄りに席を譲らないという謎のプライドが生まれた。似たような経験をしたことがある人も多いだろう。俺は100%の善意であんたに席を譲っている訳ではない。70%の善意と、30%の「まだ若そうだし、お前席譲れよ」という周囲の視線という圧力を受けて席を譲っているのだ。だから全国の初老の皆様は黙って席を譲られて欲しい、本当に。


そんな出来事もありつつ、俺は着々と他者とのコミュニケーションを避けるようになっていた。ネットの世界では明石家さんまを凌ぐ饒舌、現実世界では高倉健よりも寡黙、いつしか俺はそんな男になっていた。


日々憂鬱な心境で、家と会社を往復するばかりの煮え切らない毎日。目が覚め、家を出て会社が近付く度に段々と気が沈む、見飽きた通勤経路。人、人、見渡す限りの人。朝の通勤ラッシュには本当に嫌気が差すものだが、俺の最寄り駅には一種の有名人がいた。いわゆる「ホームレス」だ。


初めに言っておくが、俺はホームレスに妙な偏見は全くない。この不安定な世の中、いつ誰がそうなってもおかしくはないと思っている。だが、偏見はなくても臭いものは臭い。毎朝某駅の南口階段下に陣取るホームレスのおっちゃんの横を通る時は、息を止めて歩くことを心がけていたぐらいにはおっちゃんは臭かった。おっちゃんは道行く人に手当たり次第に手を差し出して物乞いをしているが、その物乞いが成功しているシーンを俺は見たことがなかった。


ある日、仕事が遅れて残業が深夜まで長引いた日のことだ。駅に着くと何やら物騒な声がした。見ると、中学生の不良たちに朝の名物ホームレスのおっちゃんが絡まれ、ボコボコにされていた。2008年横浜ベイスターズの先発ローテくらいボコボコにされていた。期待の新外国人ウッドが3勝12敗で一年間を通じてフル回転したあのシーズンを俺は忘れない。


正直に言えば、おっちゃんを助ける道理は無かった。だが、俺の育った地域はソフトバンクの若手育成力に引けを取らないレベルで次から次へと不良が輩出される地域であったため、そういう輩の御し方は心得ていた。ひたすらおっちゃんをボコるガキ共に声をかけ、地元で有名な●●先輩の名前を出して、ツレ感を出した途端に奴らは「ッセンシタァ!!」みたいな奇声を上げながら去っていった。そう、あいつらは不良間の上下関係にだけは異常に律儀。ヤンキーと言いつつも、本質的には現代の社会人よりもよっぽど先輩を立て敬う能力には長けている。なお、実際俺は●●先輩とは何の縁もない。強いて言えば友達の友達の姉ちゃんの彼氏の友達だったぐらいだ。


かくして、俺の渾身のハッタリによっておっちゃんは事なきを得た。9日目のセミくらい弱ってたおっちゃんを流石にそのままにするわけにもいかず、簡単な手当てだけしてやった。


「おっちゃん、大丈夫か?」


おっちゃん
『…。』



「立てるか?歩けるか?」


おっちゃん
『…。』

いや、何とか言えや。っていうか、流石に礼くらい言え。
内心そんなことを毒づきながら、おっちゃんがいつも陣取っていた某駅南口階段下までおっちゃんを背負って歩く。やっぱ普通にくせえわ、おっちゃん。そうして目的地に着くと、おっちゃんがいつも座っていた場所には競馬新聞ばかりが敷き詰められていたことに気付いた。


「おっちゃん、競馬好きなんか?」


おっちゃん
『…おう。』

おっちゃんがついに喋った。幸い、俺も翌日は仕事が休みだったこともあり、何となく興に乗って競馬の話をしてみた。競馬の話題になると、おっちゃんはたちまち饒舌になった。あの年のあのレースはあの馬が凄かったんだ、ってな具合にまるで自分の過去の栄光を語るように、目を輝かせて語るおっちゃんを見ていて、俺は気付けばふと最大の疑問を口にしていた。

「おっちゃん、何でホームレスしてんの?」

思いのほか、おっちゃんは何も隠すことなく赤裸々に全てを話してくれた。聞けば、おっちゃんには元々綺麗な嫁さんがいたらしい。曰く、最近の女優で言えば浜辺美波にソックリだとか。流石に盛りすぎだクソジジイ。まあそれはいいとして、おっちゃんにもそんな時代があったらしい。そして、かつての奥さんと出会ったのが競馬場だったとか。幸せの絶頂期を迎えた頃に、おっちゃんは事業で大失敗でドデカい借金を作ったらしい。仕事で借金作って、失意のドン底にある中で、おっちゃんの嫁さんは別の男を作って出て行ったんだとか。金も失って、最愛の人にも逃げられて、そこから今に至る。それが、おっちゃんの人生だった。


でも、奥さんの話をする時だけ、おっちゃんは優しい目をしてた。デリカシーのなさに定評のある俺は、おっちゃんに聞いてしまった。そんな状況で自分を捨てて出て行った女のことが憎くはないのかと。おっちゃんは言った。

『憎める訳がないだろボウズ。憎いとしたら、好きな女に愛想尽かさせちまった自分の方だよ』

漫画みたいで信じられないようなエピソードだけど、おっちゃんは今も空き缶拾って稼いだ金で、当時奥さんに渡してやれなかった婚約指輪を買い直す為に、毎日残飯と水だけで暮らしてるらしい。

いやいや、愛じゃん。それはめっちゃ愛じゃん。
あんなにクサくてみっともなかったおっちゃんが、一瞬にして良い男に見えた。俺の人生でそんな純愛感情、一度も抱いたことねえよ。「愛はコンビニでも買えるけれど」ってスピッツの草野さんは歌ってたけど、こんな愛はコンビニには売ってねえよ。もう少し探すよ俺だって。


マジで汚くてクサいおっちゃんとしか思ってなかった親父は、自分みたいな半端者とは比べ物にならんぐらい、カッケエ漢だった。思えば、俺は賢く要領良く生きようとしていたようで、本当は誰かに本気でぶつかることを恐れ続けていた人生だった。だから女も友達も中途半端で、モヤモヤしたやるせなさと孤独感ばかりが募る人生だった。


俺もおっちゃんみてえに、ダサくてもカッコ悪くても、ひたむきに生きてみてえと思った。そんなことを思いながら、おっちゃんに別れを告げようとした時に、おっちゃんが寝床代わりにしていた競馬新聞に見えた「秋華賞」の文字。俺はおっちゃんに聞いた。どの馬を応援してるのか、と。おっちゃんは答えた。

『そりゃあ、ゴールドシップの子供に決まってるだろう』

ゴールドシップ。数々の破天荒なエピソードと、信じられないような劇的な勝利の数々により、今もなお多くの競馬ファンの心を掴んで離さぬ名馬だ。おっちゃん曰く、かつての奥さんが大好きだった馬が、他ならぬゴールドシップだったそうだ。


何度も二人でレースを見た。何度も二人でゴールドシップに声援を送った。
引退後は奥さんと一緒に牧場に第二の生を送るゴールドシップの姿を見に行ったこともあったそうだ。そして、おっちゃんの奥さんは体質的に子供を授かることができない体だったらしい。


おっちゃんは、何とも優しい目をして話していた。
妻と子供を作ることができなかったが、妻と自分を繋ぐかすがいであるゴールドシップの子供たちが活躍する姿を見ていると、自分と妻の子供が活躍しているような気持ちになれた、と。自分たちが叶えられなかった夢を、ゴールドシップが叶えてくれているんだと、おっちゃんは強く熱弁してくれた。そう語るおっちゃんの目からは、大粒の涙が零れ落ちてた。自分で自分の感情が理解できなかったが、気付けばおっちゃんと一緒に泣いてる自分がいた。


名も知らぬ、ホームレスのおっちゃんと期せずして交わした会話は、明確に俺の人生に欠けていた熱をそこに灯してくれた。冷静に考えれば、俺がおっちゃんに礼を言う道理はないのだが、俺はおっちゃんに礼を言い別れを告げた。ゴールドシップの、そして俺達の娘の応援を頼んだぞ、とおっちゃんは笑って手を振ってくれた。

来たる、2021年10月17日。阪神競馬場にて行われる秋華賞。
このレースには、一頭のゴールドシップの娘が出走を予定している。

ユーバーレーベン。

3歳牝馬の頂点を決めるオークスを勝利した、強烈な末脚を武器にした名馬だ。
多くのファンが彼女の勝利を期待し、声援を送ることだろう。競馬とは、単なるギャンブルではなく、そこに携わる全ての人々がキャストとなって生み出されるドラマだ。しかし、一般の競馬ファンとは比較にならぬ熱量をこの馬に向ける男を俺は知っている。

かつて、一人の女性を本気で愛した男がいた。
男は今もまだ、変わらぬ想いで彼女を愛している。一頭の名馬の血が受け継がれてゆく限り、そこに生まれた愛は途絶えはしない。

おっちゃんは、これまで数年間かけてコツコツと貯めてきたお金を集め、妻と共に愛した馬が残してくれた、ユーバーレーベンの単勝馬券を買うと話していた。

ユーバーレーベンはオークス後に故障が発覚し、今回の秋華賞にはぶっつけ本番での出走となっており、下馬評上は不利を予想するファンも多い。


しかし、常識を覆す奇跡を起こせる力があるとしたら。

しかし、理屈や理論では測り切れない力があるとしたら。

そんな力に与えられた名を、人は【愛】と呼ぶのではないだろうか。

この馬が勝利を手にする未来があるのなら、おっちゃんがまた最愛の女性と結ばれる未来もあり得るのかもしれない。俺は本気でそう思った。

単なるホームレスとしか思っていなかった、おっちゃんとの会話は確かに自分の中に新しい価値観を生んだ。SNSが発達し、顔を合わせる必要もなければ、スタンプ一つで会話が成立する世の中だ。だが、コミュニケーションツールの発達は本当に人々の心を密に繋ぐことができているのだろうか。既読を付けた付けないで生まれる、くだらない争い。SNSグループを利用したいじめ。文化の発展、物質的な豊かさに比例するようにして、人々の精神的な貧しさが加速する世の中だからこそ。

今一度、「会話」という行為の大切さを改めて皆様にも考えてみたい。相手の表情を見ながら、言葉に触れることでしか生まれぬ縁や絆は必ず存在しているのだ。


家族。

恋人。

友人。


いつでもSNSで繋がれるから時代だからこそ、会話が疎かになってはいませんか。

最近いつ、大切な人の顔を見て自分の言葉で想いを伝えましたか。


あのおっちゃんに出会うことがなければ、まさか自分がこんなことを考えるなどあり得なかっただろう。
自分が経験した、一つのエピソードを通じて、この記事をお読みくださった皆様の日々に、何か少しでも影響を与えられたのであれば、そんなにも書き手冥利に尽きることはありません。

ここまで長くなってしまいましたが、最後に筆者の本命馬を発表し、結びとさせて頂くこととする。


2021年10月17日。阪神競馬場にて行われる秋華賞。


筆者の本命馬は、ソダシとさせて頂く。

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