最遅本命発表~紫苑S編~

「対抗はスライリー」


ふと気が付くと、自分でも気付かない内にそんな言葉を口にしている自分がいた。
毎年この時期になると、自然と物思いにふける時間が増えてしまう。

あれは蒸した夏が過ぎ、秋の香りがし始めた頃のこと。

人生で初めて、本気で「愛」について考えた秋だった。


一般的な倫理観において、二人の異性を同時に愛することは罪である。
だが、その愛が二つとも本物の愛だったとしたら?

果たしてあの時抱いた感情は、許されるものだったのか。
その答えは、今でもまだわからない。


揺れる心。信じたかった愛。

これより語られる恋物語が、果たして純愛を回顧する物語なのか、あるいは邪な愛を語らう穢れた戯言か。

受け止め方は、今この記事をお読みくださっているあなたに全てを委ねたい。
ただ一つだけ願うならば、筆者が最後に発表する衝撃の本命馬だけは見逃さないで欲しい。そして更に許されるならば、私の本命馬などどうか参考にはしないで頂きたい。
何故なら、私は自分の辿り着いた本命馬を少しでも良いオッズで買いたいのだから。

…あれは、筆者が高校を卒業したばかりの時代。
青春を捧げたサッカー部を引退し、初めてのアルバイトに精を出していた私は、そこで一人の女性と出逢った。

ただ何となく、遊ぶお金がもらえればいいと思い始めたアルバイト。
当然、隙あらば手を抜くことしか考えていなかったし、所詮はただのアルバイトということで、不真面目に仕事をする私のことを叱る者もそこにはいなかった。

が、彼女だけは違った。
時に厳しく、時に優しく、ただのアルバイトと私を軽んじることなく、真摯に一人のスタッフとして真剣な教育に勤めてくれたのだ。

初めは、ただ疎ましいとしか思っていなかった。
だが、両親との確執を抱え、誰も自分に真剣に向き合ってくれない日常を過ごしていた中で、本気の誠意をもって自分を叱り、そして認めてくれる存在に出逢ったのは、初めてだった。

気付けば、彼女に対して抱いていた疎ましさはいつしか紛れもない愛に変わっていた。

遊ぶ金欲しさで始めたアルバイトは、決して遊びではない本当の愛を私に教えてくれたのだ。

高校を卒業してからもアルバイトを続け、そして私は成人となった。
何故だかはわからないが、成人となることを一つの節目として私は彼女に愛を告白することを決めていた。
結果から言えば、その告白は無事に実り、灰色だった私の人生に初めて温もりを伴った色が塗られた瞬間だった。


最愛の女性と出逢い、学業とアルバイトを両立した順風満帆の日々が続いた。
家庭内に居場所を失くしていた私にとって、年上の彼女の部屋だけが安住の地であり、そこで過ごす時間だけが、生きる喜びを私に感じさせてくれていたように思う。


「何があっても、この人だけは一生大切にしてみせる」


そんな尊い想いを抱きながら、彼女との幸せな日々を過ごしていたところに、転機は訪れた。
彼女と出逢ったアルバイト先に、自分よりも一つ年下の女の子、A子が新入りのアルバイトとして勤めるようになったのだ。

A子は愛想が良く、とても明るい子だったことを今でもよく覚えている。
わからないことは何でも質問しにきてくれたし、いつも元気良く私の目を見て挨拶をしてくれていた。
いつしか私はA子のことを、まるで妹のように思っていたのかもしれない。

しかし、今にして思えば私は女性の心の機微に疎い気の利かない男だった。

ある時、アルバイトを終え先に待つ彼女の家に向かおうとすると、私よりも先に退社していたはずのA子の姿がそこにはあった。
いつもの快活な様子ではなく、強い緊張感を帯びたA子はただ一言、こう告げた。

『ずっと前から、T田さんのことが好きでした』

時間が止まったような感覚とは、使い古された慣用句ではあるが、正にそれ以外に形容しようのない瞬間だった。
異性愛ではなく、親愛を抱いていた相手からの告白に、私は動揺した。
異性からの告白に対する、100点満点の回答など、私は持ち合わせていなかったのだ。
だからせめて、私にできたのはただ真実を伝えることだけだった。

「ごめん、俺付き合ってる人がいるんだ」

ぶっきらぼうに、そう伝えることしかできなかった。
もっとこの子を傷つけずに済む方法があったのではないかと、後悔しても時すでに遅し。
A子は一目もはばからず、その場で肩を震わせ涙を流していた。
永遠にも思える時の中で、A子が泣き止むのをただ待つことしかできずにいた私に、A子は顔を上げて、震える声を振り絞るようにして言ったのだ。

『本当に、1%の可能性もありませんか?
もしも、少しだけでも、私を一人の女として見てくれる未来の可能性があるのなら、明日の19時に●●公園にきてください』

そう言い残して、駆け足で彼女はその場を去っていった。
言いようのないしこりを胸の中に残しながら、私は彼女の家に向かい、何事もなかったように帰りが遅くなった理由を誤魔化し、夜を過ごした。


そして、迎えた翌日。
その日は18時までのアルバイトに勤務していた私は、無事に定時でアルバイトを切り上げた。
彼女の告げた●●公園は、アルバイト先の近くにある、いつも人気のない公園だった。
私は、そこに足を運ぶことは最愛の彼女に対する裏切りであると、わかっていた。
だから、A子には悪いが真っ直ぐに家に帰ろう…そう決めていたのだ。


だが、果たしてこれはA子への情なのか、あるいは単なる私の心の弱さなのか。
時計が19時を過ぎたころ、私は公園の様子を見に行ってしまった。
もう時間も過ぎているし、きっともうそこには誰もいないだろうと、そう信じていた。

巡り合わせの悪いことに、ちょうど激しい通り雨が降り始め、傘も持たずに辿り着いた公園のベンチには、見慣れた一人の女性の姿があった。


A子だ。


こちらからは横顔しか見えなかったが、ただ座りながら激しい雨に打たれていた彼女の姿を見て、自分の心には明らかな動揺が走ったことを、私は今でも昨日のことのように覚えている。

何故、そこまで自分のことを信じてくれているのだろうか。

最愛の彼女に出逢うまで、他者からの愛を知らずに生きてきた私には、A子のことがわからなかった。
季節は秋に差し掛かり、激しい雨に打たれて手足は寒さに震えていた。
その姿を見て、私はたまらずにその場を立ち去ってしまった。

自分の取るべき行動の正解がわからず、たまらずにその場を駆け出した私は、葛藤から逃げるようにしてパチンコ屋へ駆け込み、考えることを忘れてタバコを吸いながらハンドルを握っていた。

いつもなら胸を熱くするようなリーチにも大当たりにも、何も感じない。
心の中には、雨に打たれるA子の姿だけが残像として残っていた。

空しさに耐えきれず、店を出たのはもう22時を過ぎた頃だっただろうか。
もういい加減に家に帰り、今日はいつもより強めのお酒でも飲んで眠ろう。
そう思いながら、秋の夜道を歩きながら岐路に就き、例の公園の傍を通ると、信じられないことにそこにはまだ、数時間前に見たのと変わらぬA子の姿があった。

遠くからでも、わかった。
雪のように白い肌を震わせ、彼女の頬に光るのは一筋の雫の軌跡。


もう、雨はすっかり止んでいた。


その姿を見て、私は何も考えることもできずに気付けば駆け出し、彼女のことを思い切り抱きしめていた。

この時の自分の感情に、名前を付けるとしたら何が正しかったのだろうか。
果たして、その感情を「愛」と呼ぶことは許されたのだろうか。


何もわからぬまま、A子と共に一夜を過ごした私が唯一見せることができた誠意は、当時付き合っていた最愛の彼女に、真実を告げることだけだった。

当然、最低な男として軽蔑されると思っていた。
でも、彼女はそんな俺に、思わぬ言葉を告げた。

『…ただの気の迷いだって、そう信じてる。
今でも私があなたの一番だって言ってくれるなら、私はこれからもあなたと一緒にいたいよ。ねえ、あなたの本命は誰なの?』

全く予想さえしていなかった、彼女の言葉は私の胸に深く刺さった。
だが、そんな私の元にA子からも同時に連絡が入ったのだ。

『二番目でもいいって、最初はそう思ってました。
でも今はもう、ダメみたい。私はやっぱり、T田さんの一番になりたい。
教えて、先輩の本命は一体どっちなの…?』

もう、これ以上逃げることはできない。
これ以上、自分の気持ちを誤魔化してもただ2人を傷つけるだけだ。

選ばなくてはいけない。
自分の心の中に、最も強く浮かび上がる本命の相手を。

私は、迷いを捨て意を決し二人の女性に同時に連絡を送った。

「もう、決めたんだ。

俺の本命は、プレミアエンブレム。

もう、俺はこの馬だけを愛し続けるから」

以降、二人から連絡が返ってくることは二度と無かった。


失った二つの愛。

それは許されぬ愛だったのかもしれない。

だけど、私にとってはどちらも決して手放したくない本当の愛だった。


夏の終わり。秋の匂い香る晩夏。

手放した愛は、私に何を教えてくれるのだろうか。

その答えを私に示せ、プレミアエンブレム。

来たる紫苑S、私の本命馬よ。

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