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最遅本命発表~ジャパンカップ編~

「一つだけ、過去の出来事をやり直せるとしたらあなたは何をしますか」


ブックオフに売られてる安い自己啓発本に書いてありそうな問いだ。実にくだらん。
だが、あえてこの問いに答えるとしたら俺は、


“あの日のテストで100点満点を取りたい”


と答えよう。

こんなくだらないことを考えてしまったのは、来たる11月28日東京競馬場にて行われるジャパンカップの予想をしていたことがきっかけである。
先日のマイルCSでは本命に挙げたシュネルマイスターが2着と好走したものの馬券にはできず、他にも本命馬は好走したものの馬券にできないレースが相次いだ。
仕事も忙しさを増すばかりで、「あー、良いことねえかなあ」なんてボヤくことも最近は多い。
最近あった良いことと言えば、20代にして日本最高記録を更新する勢いだった尿酸値が下がっていたことぐらいだ。

ここから少しだけ話を脱線し、俺が20代にして経験した痛風闘病記を書こうか迷ったが止めておこう。あの痛みはたとえ俺に直木賞受賞レベルの表現力があったとしても、とても文章化できるものではない。知りたいのなら、味わえ。ビール以外の飲料の摂取は認めないし、口が寂しい時には暇さえあれば魚卵を口に運べ。あの痛みを知った時、君は初めて俺と同じ目線でこの世界を生きることができる。あの痛みを知りたくないならば尿酸値には気を付けろ。いいな、約束だ。


すまない、結局話が脱線してしまった。本題に入ろう。

時を遡ること十数年前。俺がまだ高校生だった頃のことだ。
毎日仕事の虫になって働きづくめ、家に帰れば酒を飲んで眠ることしかできない毎日を過ごす今では想像もつかないが、毎日仲間と共にグラウンドでボールを追いかけ回していた時代が俺にもあった。

部活に打ち込み、週末には夜更かしをして海外サッカー観戦。絵に描いたようなサッカー少年だった自分はいったいどこへいってしまったのだろうか。
何となくの色恋は経験しながらも、サッカーにのめりこんでいた日々の中では、女といるよりも仲間とくだらないことで笑い合っている方が楽しかった。

だが、皮肉にも人生の転機ってのはいつだって突然に、しかも望んでいない形でやってくる。
ある日の練習試合の最中、相手選手と交錯した際に前十字靭帯を傷めた。診断の結果全治は一年半。どんなに早く怪我が癒えたとしても、高校最後の選手権までに復帰はできないことが確定した。

その結果を受け、俺はサッカー部を退部した。
よく、高校サッカー選手権の特集番組なんかであるだろ。怪我で選手生命が絶たれた選手が、マネージャーとして最後まで仲間達の為に尽くし続けた、みたいな美談。

いや、全然そんな気にならんかった、ビックリするぐらい。それなら違うことに時間を使った方が将来の為になるだろう、というもっともらしい理由でサッカー部を引退した俺がハマったのはパチスロだった。

今となっては恋しい、五号機全盛時代だ。部活を引退してバイトを始めた俺は、稼いだバイト代を握りしめて、ホールに通い続け交響詩篇エウレカセブンのパチスロを打ち続けた。
思い出すだけで脳汁が出る。もうストックは無いだろうと思いこんだART開始時、スーパーカーのSTORY WRITERのイントロが流れるあの瞬間。そこで少年ハートなんぞ流れようものなら、その場で赤飯を炊きたくなるレベルの慶事である。

パチスロ交響詩篇エウレカセブンを打ったことのない人間にとっては、何を言っているか全く理解できないだろう。だが、それでいい。あと少しだけ話す。

通常時リリベ成立後、内部的にART突入リプを引いた際に発生する、

「ねだるな、勝ち取れ!」

の掛け声と共に、ART突入をかけた六択チャレンジがあの台の大きな魅力の一つだった。
「左・中・右」、三つのボタンをどの順番で押すか。ただそれだけのシンプルな六択なのだが、当時学生でお金に余裕もない俺にとっては、この六択はいつだって明日の運命を左右する大一番だった。

俺はこの六択を単なる六択ではなく、パチスロ台を相手にした真剣勝負と考えており、自分なりの必勝法を編み出していた。
というのが、心の中であらかじめ自分なりの押し順を決め、勢いよく右腕を振り上げはするが、ボタンを押す寸前に心の中で決めていた押し順とは違う押し順でボタンを押すというテクニックだ。

このテクニックを用いることによる最大の利点は、パチスロ台にこちら側の心理を読ませない点にある。パチスロとは台と人間との真剣勝負だ。台もそうやすやすと人間にメダルをくれてやる義理はない。
そこで編み出したこのテクニックにより、台心理を翻弄し、俺は六択チャレンジを幾度となく成功させていた。「レバーを叩いた時点で内部的に正解の押し順は決まっているから意味ないよ」と薄ら笑みを浮かべながら忠告してきたツレがいたが、それを機にそいつとは絶縁した。


気の済むまで話が脱線したため、本題に戻る。

かくして、怪我でサッカーの道を諦めたあの日から俺の毎日から色という色が失せた。パチスロを打っている時間以外に感情の動く時間は無くなり、クソみてえな日々が永遠に続くように思えた。

が、転機は突然に訪れた。
とある日俺の学校に若い新任の女教師が転勤してきたのだが、結果から言えば俺はドチャクソに恋に落ちた。当時の俺のマセガキレベルはベジータのスカウターが軽く吹き飛ぶレベルで突き抜けており、高校生ながらに好きな女性のタイプを聞かれた際には「椎名林檎」以外の返答を持ち合わせていなかった。

補足しておくと、当時は東京事変としての活動が始まったばかりの頃であり、群青日和のPVで椎名林檎が50億年後太陽の消失に伴い地球最後の時を迎えるまで塗り替えられることのない美貌を発揮していた頃だ。
余談だが、俺は第一期の東京事変が大好きだ。もちろん二期の事変も愛しているのだが、少々二期の事変はアカデミックになり過ぎてしまったというか、良い意味でのトゲを失ってしまった感は否めない。キーボードのH是都M(Pe'zのキーボーディストヒイズミマサユ機である)を筆頭に、個性派揃いのメンバーが織り成す、超絶技巧を伴うヤンチャな音楽を愛していた。

このまま事変の話を継続すると本当にジャパンカップどころではなくなるのでここまでとしておくが、俺の学校に転勤してきた若い女教師は名を「富樫」といった。
整ったルックスに、親しみやすい人柄。男子生徒は親しみを込めて彼女を呼び捨てにして、彼女もそんな生徒を叱るでもなく、愛を持って接してくれていた。

シンプルに、彼女は椎名林檎に似ていた。出会った刹那、俺は恋に落ちた。
ところで「刹那」という言葉の正しい意味を知っているか?
この言葉はかつて古代インドにて時間を表す単位として使われた言葉であり、「1刹那=0.013秒」らしい。
厳密に言えば、俺が彼女に出会ってから恋に落ちるまで0.013秒も要していなかったと思う。四捨五入して刹那ってところだ。

とにもかくにも、サッカーを辞めてからドン底に陥っていた俺の人生を彼女が救済してくれたのだ。休載してばかりのどこかの富樫とは違う。

俺はどうにかして彼女との距離を縮めようと思い、あの手この手を尽くした。だが、彼女は親しみやすいキャラクターとは裏腹に勉学に対しては非常に厳しい姿勢を常に崩さなかった。遊びに誘おうものなら、勉学を促され、全盛期のメイウェザーさながらのディフェンス能力に俺は苦戦を強いられた。

だが、それしきで諦める俺ではなかった。「次のテストで90点以上取ったら、メシでも行こう」などと言い、半ば強引に彼女との約束を勝ち取り、俺は死に物狂いでテスト勉強に励んだ。
思えば、テストで良い点を取る為に勉強に打ち込むなど、あれが初めての経験だったように思う。

勉強の成果は実り、彼女と放課後に食事に行くことができた時に思った。

「俺、なんでこの人の為にこんなに頑張れるんだろう」と。

恋愛なんぞ片手間にしかしてこなかった自分が、初めてそこで本当の愛を知ったのだと気付いた。

以降、同様の手口で彼女と過ごす時間は増えていき、段々と彼女の素顔を知っていく内に自分の気持ちは加速し続けていた。藤岡佑介の上がり3Fくらい、加速し続けていた。

子供の頃から憧れ続けていた教員という職業に、彼女が本気のやりがいと責任感を持って就いていることも共に過ごす内にわかっていった。仕事に、そして生徒に対する彼女の姿勢は素直に尊敬できるものだったのだ。初めは単に外見による一目惚れで生まれた恋だったが、いつしか俺は彼女の全てを愛していた。

そして、俺はある日こんな言葉を口走ってしまった。

「次のテストで100点を取ったら、付き合って欲しい」

笑って断られるだけだと思って口にした言葉だが、彼女はあっさりとその依頼を承諾した。
自分でも気付いていない内に、彼女の心も俺の方を向いてくれていたのだ。
当然、過去とは比べ物にならないレベルで俺は勉強に励んだ。

迎えた、テストの当日。テストは一問一答形式の問題が100問用意されていた。
ワンミスが命取りの厳しい戦いだったが、対策に対策を重ねた甲斐もあり、俺は一度もペンを止めることなく確信を持って解答を進めていた。

そして、ついにテストは100問目を迎えた。

が。結果から言うと、俺は100問目の問いに対し何も答えることができなかった。

問題の答えがわからなかったのではなく、瞬間に脳裏を過ぎったのだ。
新任間もない教師が、在学中の生徒と恋仲にあることが知れ渡れば、彼女はどうなるのだろうかと。当たり前だが、彼女の教員としてのキャリアには大きな傷が付くことになる。

普段はラオウの如く傍若無人な生きざまを貫いていた俺が、何故だかあの瞬間だけはそのことを考えただけでペンが動かなくなってしまった。
そして、自分の中で答えを出せぬまま、制限時間を迎え100問目の解答欄だけ空欄のまま回収されていった答案用紙。

見事に、99点のテストが後日俺の元には返却された。

彼女の為を想うならば、結ばれるのは卒業後であるべきと考えた決断自体は間違いではなかったのだと、今でも思う。だが、その決断が運命に決定的なすれ違いを生んだ。俺は東京の大学へと進学が決まった。同時に、彼女は地方への異動が決まった。この頃から、段々と二人の間には気まずい空気が流れるようになっていた。

最後の別れの言葉も、どこか形式的でぎこちない言葉だったことをよく覚えている。
最後の一問だけ空欄の答案用紙を見て、彼女は何を思っただろうか。
1ミリの価値も持たない強がりで、自分なりの彼女への思いやりが生んだ空欄だったということを俺は最後まで言えなかった。

かくして、彼女と別々の道を歩み始めてもう十年以上の月日が流れた。
今でも、仕事に追われ精神的に余裕のない時には彼女の笑顔を思い出す。

そして同時に思うのだ。

“あの日のテストで100点を取っていたら、今頃は…”

こんな妄想を何度繰り返しても意味はないと、誰より自分がわかっていながら。


…かくして本記事は結びに入る。

本当ならば、彼女と過ごしたあの日々の記憶はもう捨て去ってしまいたかった。
しかし、来たる11月28日に迫るジャパンカップが、しまい込んだはずの記憶をひきずり出すのだ。

だけど、俺はもう逃げないと決めた。ここで逃げたら、俺はまた人生で一生取り返しのつかない後悔をしてしまうと思えたから。

あの日、答案用紙に書き込むことができなかったたった「七文字」を今こそ俺は自信を持って書き込んでみせる。逃げてばかりの自分と決別する為に。


記憶は鮮明だ。確か、100問目の問いはこう。


“紀元前3世紀頃。ギリシャにて知的探求に努め、哲学という言語の語源にもなったフィロソフィアを提唱した哲学者の名を答えよ”


あの日書けなかった「七文字」を、まさかこんな形で書く日が来るとは思っていなかった。

だけど、俺はもう逃げずに今こそ書くよ。


この名はあなたが一番尊敬する人物の名として俺に話してくれた、忘られぬ名なのだから。


来たる11月28日。東京競馬場にて行われる、ジャパンカップ。

本命は、アリストテレス。

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