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まずは知ってもらうこと。

チラシを作ったり
本を作ったり…

様々な業種の人と連携を取る中で再確認したことが2つ。

①人は基本的に人の言葉を聞いていない・見ていない
②司法も心理学も知られていなさすぎる

だからこそ…「知ってもらうこと」ってとっても大事。何をするにしても,知ってもらわなければ話にならない。

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1)聞いていない・見ていない

デザイナーさん,編集者さん,事務担当者さん…最近連携した方々が,100%間違うものが2つ。


①「安部」という名前
②「法務教官」という
名称

僕は安部顕。
公認心理師で元法務教官。

連携は基本的にメールを使うし,多くの場合は電話やzoomでお話することもある。名刺交換しているケースも少なくない。

が…

大抵,こんな表記で返ってくる。

・安倍様
・法務官

どっちも違う。でも,ほぼ100%これでメールやチラシなどの原案が来る。

ちなみに…

80%くらいの確率で「公認心理"士"」もある。まれに「阿部」もある。

・安部
・法務教官
・公認心理師

この3つが正確な表記で一発で整ったことは今まで一度もない。まぁ正直,チラシや告知画像以外では訂正もしない。名前なんてこれまでに何万回も間違われてきたから,腹も立たないしそういうもんだと思っている。

ただ…

正直本当に素直に疑問だ。メール,名刺,音声…あらゆるツールで何度も伝えているはずなのになぜこんなに間違うのか…。

人はどうやら,話も文字も,きちんと相手から発せられた通りには受け止めていないんだ。

「ホウムキョウカン」なんて僕との会話の中では10回以上出てくる。それでも「法務官」と書いてくる。ホウムキョウカンとホウムカンでは全然違うと思うのだけれど…。

音としても聴いていないのか,聴いた音をイメージすることなく作業しているのか…。

もちろんヒューマンエラーは誰にでもあるのだけれど…これはエラーとは違う気がするんだ。最初から自分の思い込みで動いてるという感じ。

人の話をきちんと聴き
人の文字をきちんと読む
相手の言葉をきちんと使う
相手の表記を確認する

人と向き合うことが生業の僕にとっては当たり前のこと。でも多くの人にとっては,かなり非日常的なことなのかもしれない。

そんなことを最近よく感じます。

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2)講義やプレゼンで意識していること

僕,講義やプレゼンが得意です。特に「予備知識が足りていない人にちょっと難しい話をする」という状況が。

その典型である「非行少年に勉強っておもしろいと思わせる」にかけては,日本有数の実力だと思ってます。

そして

それは非行少年以外にも通用するスキルなんだと実感することができました。

では僕が,何を意識して講義やプレゼンを作っているのかというと…

①受講者や聴衆の頭の中と心の中を丁寧に想像
②そこを起点に「理解」までのプロセスを明確化

という2つだけ。

その結果生まれるのは「相手が自然に使っている言葉」を用いたもの。時々テレビでやってる「冷蔵庫の余り物で最高の一品」みたいな感じだ。

特別なものは何も揃えなくていい。その時点で偶然そこに在った材料で作る。だから僕の講義に予習はいらない。

僕は「どんな人が聴きにくるのか」さえ教えてもらえればいい。あとは冷蔵庫の中身(予備知識)を勝手に想像して組み立て,本番でも微調整する。

相手の頭の中にあるものが材料だから,聴きやすく理解しやすい。

そして

終わった瞬間に「あれ?結構わかるな俺」という実感を持てる。だから元気になる。

これが僕の講義やプレゼンの基本だ。

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3)地ならし

とはいえ相手が複数の場合,それぞれの頭の中も異なっている。冷蔵庫の中身が家庭によって違うように。

だから講義というのは導入が大事だ。

一番伝えたいメッセージに入る時に,それぞれの頭の中に同じ材料が入っていれば…メッセージがバシッとはまる。

そういう状態を作るために,足りない予備知識を少しずつ提供し,知識とモチベーションの両面で材料を揃えていく。

グラウンドを整地するようなもの。足りないところは補って,ズレてるところは修整して,聴いてる人たちの状態を可能な限り均質にしていく。

だから僕の講義は大抵,導入が長い。前提条件を整えることに力を注いでいるからだ。

わりと効果的だと思っている。

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4)人は知らないまま動く。だからこそ…

人はどうやら…基本的に人の話を聴いていない。読んでいない。

そして,それすら無自覚なまま仕事をし,時に世相を論じている。

是非や善悪はともかく,そういう傾向にあることは事実のようだ。

僕の名前も「法務教官」という名称も…だからこそほぼ間違って表記される。

たぶん自己紹介のときに

僕の安部は…
元総理の安倍や
巨人の阿部とは違います。

とか一言ネタにしておくだけで,だいぶ誤表記が減ると思う。実際,少年院ではそうだった。

人は人の話を聴いていない。
人は人の文字を読んでいない。

だからこそ,ものを伝える時には,相手の頭の中にある材料をよく把握して,足りないものは補いながら伝える必要がある。

そう思ってみてみると…

少年院のことも非行少年のことも
教育のことも心理のことも…

まだまだ何も知られていない気がしてくる。足りないものが多過ぎて,料理にならない状態だ。

あまりにも知られてなさ過ぎて,ネットにも情報が少ないから,説明にかなりの時間と手間がかかる。連携するより自分でやった方が早いんじゃないかと思うこともある。

でも…

それでも少しずつ理解を広めていくしかないんじゃないかと思う。

問題や課題を訴えるよりも遥かに手前。まだまだ導入の段階なんだと思う。

知ってもらわないことには,どんな議論も空転する。

決して無縁ではなく,むしろ多くの人の人生に少なからず関わっているものだから…

せめて「調べればわかる」くらいに情報は増やしたい。困ってる人がカウンセラーに相談しに行って,状況説明に時間を食うような状態は脱出しなきゃいけない。

そんなことを最近考えていました。最後まで読んでいただき,ありがとうございました。

安部

放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。