なぜ教科や行事を連動させないの?
Twitterをはじめてまもない頃、現役教員からアホみたいなリプをもらったことがある。
国語の指導について意見を求めるツイート。教材選定や指導法などわりと広範囲に論じて欲しい雰囲気。僕はこんなことを書いた。
要するに教科ごとに分断せず、繋げていくことで相互作用を生み出し、教育効果を高めていけるのでは…?という話だ。
それを見たツイ主ではない第三者からこんなリプがきた。
現状、法制度がそうなってるのかどうか、僕は知らない。確認もしてない。でもこれはそういう現状理解の話ではなく「こういうのできたらいいよね」という話。的外れもいいところだと思ったが丁寧に質問してみた。
するとこんなのが返ってきた。
全然質問に答えてないし、これは僕の意見に対する非難であって彼自身の「国語の効果的な指導」に関する意見ではない。だから重ねてこう返した。
回答はこんな感じ。
へいなか開設1年目だったかな。この国にはほんとに日本語が読めないやつが(しかも教員に)いるんだと思って笑うことすらできなかった。
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ま、何はともあれ僕は「連動性」を結構大事にしている。
もともと連動してる教材を使うのではなく、つながりを創って相互作用を生み出すということだ。
先の例で言えば、音楽の時間と国語の時間に繋がりを生めれば、合唱には気持ちが乗るし、国語の時間で学んだことは合唱の中で腹落ちしてくる。
こんなことはなんぼでもできる。
調理実習の前に理科の時間で沸点などの話をするのはおもしろいし、地理とその日の給食のメニューをつなげるのもおもしろい。
子どもの誕生日を祝いながら生命尊重教育は基本だが、どうせなら暦の仕組みと自転公転を話すのもいい。
教科で分断せず、学びをつなげていくことが大事。それができれば学校での学びは知識ではなく視点の鍛錬になり、教科書と現実世界がつながっていく。
燃焼反応は地方の花火大会の映像で学ぶのが絶対に楽しいし、それをやるなら確実に夏休み前後がおもしろい。
交通安全教室をやるなら人間と動物の視野の違いを理科で学び、自転車やバイクの走行距離やスピードを算数で扱っておきたい。
こんなつながりを見つけるのなんて、呼吸するより簡単で、むしろ使わない方がもったいないと僕は思っている。
が
実際そうではないらしい。
放デイでも同じだ。
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今日僕は、工作の時間にパズルを作った。とっても簡単なもので、印刷した台紙を画用紙に貼り、線に沿って切るだけのもの。
小学生でもできる作業だが、知的に制約のある子たちだと、線に沿って正確に切ることも簡単ではない。ここ半年、様々な形で訓練を繰り返し、だいぶ上達したとはいえ、やっぱり今日も不出来な工作になった。
それ自体は全然問題ない。
今日大事だったのは、そのパズルの中身だ。
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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。