8月26日:「ほめて伸ばす」を再考する。
おはようございます。
最近朝のランニングをサボりがちで着実に肥えている安部です。そもそもランニング自体、夜おいしくお酒を飲むための口実的な要素があるので肥えるのも当然といえば当然ですが…。
さて今日は、最近気づいた「ほめて伸ばす」の本質について書いてみます。
1)「ほめて伸ばす」が生んだ勘違い
この20年くらい、教育界では慣用句のように「ほめて伸ばす」と言われるようになりました。
詳しい経緯は知りませんが恐らく昭和型の「教育=叱る」という構図に対するアンチテーゼで生まれたものだと思います。
僕の記憶にある最も古い「叱る vs ほめる」の構図はこれ。
『スラムダンク』は1990年代後半に『ジャンプ』に連載されていた漫画。言わずとしれたバスケ漫画の大金字塔ですが…こうした指導者のスタンスを描いていることもまた、未だに僕が読み返す理由のひとつ。
ちなみに余談ですがこの田岡監督は、僕の理想とする指導者像のひとつ。
その理由はこれ↓です。
高校スポーツのみならず、敗退した監督が似たようなコメントを残すことが多いのは、彼の影響もあるのではないかと勝手に思っています。
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2)「ほめて伸ばす」の副作用
さて話を戻しますが…
「ほめて伸ばす」が慣用句化した結果、以下のような副作用が生まれたと僕は思っています。
「うちの子はほめるところがないんです…」と悩む大人
何でもかんでも雑にほめる思考の浅い大人
叱る人を無思考に否定する大人
そして
ずれたほめられ方で夢想を膨らまされた子ども
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3)「ほめて伸ばす」の是非
僕は「ほめて伸ばす」自体は否定しません。
かなり厳しいことを言う人間なので、表面的に切り取ると「ほめて伸ばす」の対極にいる人間に見られがちですが…効果的にほめることのできない人間が、非行少年と信頼関係を築くことなど不可能な話。
瞬間瞬間に適切かつ効果的にほめることがあってこその厳しい話なのです。
僕は叱ることは比定しないけれど、ほめることの重要性は十分に認識している。「ほめて伸ばす」の考え方自体は間違ってはいない。
前述の副作用は、その理屈自体よりもむしろ、表面的に受け止めてしまったこちら側によって引き起こされていると僕は思う。
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4)「ほめて伸ばす」の本質
大事なのは
何を
どう
ほめるかだ。
「うちの子はほめるところがないんです…」と悩む大人は、まず「ほめるところ」の細分化をした方がいい。
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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。