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3月1日:謙虚さで隠した工夫の放棄

おはようございます。

労働者と経営者ではそもそも常識が違いすぎると思ってる男・へいなかです。

得意を伸ばせ

と声高に叫ぶ人はみんな労働者じゃない。

世界の大半を占める労働者…そのさらに大半は労働者とそうでない人の区別がつかず、また労働者ではないあり方に触れても自分とは別の世界のこととして見なかったことにする。

それ自体に善も悪もない。
僕も労働者だ。

ただ…

労働者としての将来を思い描いている多くの人にとって「得意を伸ばす」よりも「不得意を軽減する」の方が優先度は高いと僕は思っている。

得意を伸ばすのは、不得意を軽減して労働者としてそれなりに働けるようになってからなんじゃないのかなぁ…。

なんてことを時々思う。

ここから先は、それ↑とはまったく関係のない話。「かっこいいこと言って結局何もしてねぇじゃねぇか」という教育者もどきの話です。

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1)教育者の謙虚さ

教育界隈にはとっても素敵な言葉が溢れている。

子どもは可能性の塊

子どもは独立した一人の人間

対等な人格として尊重する

そんな素敵な言葉たちを土台にして、教育における大人のスタンスも時々話題になる。僕からすれば所詮言葉あそびだから、その議論自体にはまったく興味がないのだけれど、その議論の先にいる先生たちには少し言いたいことがある。

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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。