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チームにおけるバランスのとり方。
へいなか37歳…ブレイブボードはじめました。ローラーが一列に並んでてくねくね走るあれ↓です。
家の前でちょこちょこ乗ってて、初日は10分くらいやって全く乗れなかった。今ではゆるやか〜な下り坂を使えばそれなりに乗れるようになってます。身体の感覚が研ぎ澄まされる感じがあってとても楽しいです。
車社会の茨城では自転車に乗ることもないので、「バランスを取る」こと自体が結構レア。初日にできなかったことが2日目にはさらっとできたりして、やっぱり「感覚」って大事なんだなぁと思っています。
それはチームにおいても同じ。
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少年院でも学校でも
放デイでも保育園でも
一番簡単なのはひたすら笑顔で受け入れることだと思ってる。
暴言や暴力だってあるわけだから、すべてを受け入れることはできないだろうけど、「笑顔で受け入れる」と決めてそのとおりに振る舞うだけなら簡単で、そこには思考も判断もいらない。
それを教育や支援、保育と呼べるのか俺にはわからないけれど…実際問題、自尊感情や自己肯定感の名の下に無思考に受け入れるだけの大人も少なくない。
それはそれで大切な要素だ…と一定の理解を示した上で、僕はそれをプロの仕事とは思わない。
黙ってても伸びていく子どもたち。その変化、成長を自分の働きかけで加速させる…それが教育・支援・保育の現場に立つ者の仕事ではないか。だとしたらそこには、動機づけとフィードバックの試行錯誤がなきゃいけない。
強力な動機づけがあって子どもはより力強く足を踏み出し手を動かす。そこに的確なフィードバックが返ってきてはじめて子どもたちの成長は加速していくからだ。
動機づけとフィードバックがヘタな大人にできることは、笑顔で受け入れることしかない。残念だけど。
そして
フィードバックや目標設定のないままただひたすら受容だけを浴びた子どもたちは「ありのまま」ではなく「今のまま」を肯定し始める。自らの未熟を個性として正当化し、気に食わない指示・指導を受け流し、反発することを権利や自由と履き違える。
受け入れるだけのエセ教育者には、彼らが発する個性・自由・権利を受け止めて切り返す力がない。
結果子どもたちは、それらの単語を伝家の宝刀にして大人を退け、一切成長しないまま年だけを重ね幼稚さを増していく。
子どもたちが幼稚なのは、そこにいる大人たちが未熟だからだ。少年院にはそういう未熟な子どもたちがたくさんいた。
そんな現場で場の安心・安全を維持し、子どもたちに正確な自己理解をもたせ、未来に向けた適切な向上心を抱かせるには…
僕のような人間が必要だと思ってる。
こういう考え方を最近の世間では「叱る依存」と呼ぶのかもしれないが、それもまぁ大いに結構だ。
僕は僕自身が叱る依存と言われようと、あまっちょろくてぬるすぎる自己認識で停滞してる子どもたちに、「厳しさ」で向き合っていく。
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僕の言う厳しさとは、怒鳴る・脅すではない。
いや実際、キレたり叱ることもあるわけだが、それは行動変容を目的としたものではない。自己理解のモノサシの調整と、人の話に耳を傾ける間を作ることが目的だ。
僕の厳しさの本質は、動機づけとフィードバックの中にこそある。
周りがほめるところでほめず、周りが称賛するところで淡々と次の段階を示す。少年院でも放デイでも、子どもたちから見て一番不気味で向き合うのがこわいのが僕だろうと思う。何しろ反応が読めない。そのくせアドバイスしようもんなら他の人よりはるかに具体的で説得力がある。
向き合うのはこわいし、受け入れるのはしんどいけれど…きちんと飲み込んで実行すれば確実に成長の実感が生まれる。
それが現場における僕の役割。
どこの現場でも、基本的に僕しかできない僕のポジション。
だからこそ僕は、2倍も3倍もエネルギーを使って語りかける。そうしなきゃチームのバランスが取れないからだ。
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法務教官は6人チームだ。
6人で1つの集団寮を担当し、リレーで当直する。
6人の中でそういう厳しさを持つのは基本的に僕一人。だから僕は5人分しゃべった。5人分打ち込んだ。5人分の言葉を吐いて、5人分の熱量を込めてコメントを書いた。
僕個人を見ればただひたすら厳しいだけの存在だけど、子どもが接する6人はこれでバランスが取れる。大事なのは僕個人のバランスではなく、子どもが受け取るエネルギーのバランスだ。
ありあまる受容がそこに既にあるのなら、僕はそれを提供しなくていい。ただひたすら厳しければいい。教育はチーム戦だ。
ただし…
だからと言って常になんでもかんでも厳しいわけじゃない。そもそも厳しさの本質は怒りではないし。
おもしろいけどこわい。
こわいけどタメになる。
ムカつくけど聴いてしまう。
そういうのが僕のポジション。
だから遊ぶ時には全力で一緒になって遊ぶ。勝負には手を抜かない。その分だけ、ゆるせないことには本気でキレる。
ただ意味や価値のある指導をするのではなく、感情を持った人間として向き合い、むき出しの人間性のぶつけ合いの中で子どもたちのエッヂを研いていく…。それが僕の役目だと思ってる。
僕がチームに加わると、結果としてチームの成果が上がりだす。それは、僕がバランスを取ってそれぞれの仕事が効果的なものになるように調整しているからだ。
生意気だけど、最近改めてそんなことを実感してる。
一緒に働いて本質見つめてる人たちはそういう僕の動きに気づいてる。中途半端にキレイゴト言ってる大人には到底真似できないことだ。
子どもたちには僕みたいな大人も必要だと、僕は信じている。
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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。