ファシリテーションの技術

まだnoteの更新もできてませんが…昨日は「もあふるオンライン教育実習」のディスカッションに参加していました。

先日参加した茨城県子育て支援フォーラム以来、「ファシリテーターへいなか」を見つめ直す機会が増えているのですが…昨日あらためて感じたことがあるので少し言語化しておきます。

(まだまだ思索の余地ある駄文です)




ディスカッションは今回でたぶん8回目。毎回、もあふるの運営メンバーが進行役を担うのだが、途中から実質僕がまわすような状態になる。

それは単純に「運営メンバーが力不足」という話ではなく「登壇者同士でダイレクトにやり取りした方がスピード感がある」という話。運営メンバーの方からそれを求められて、意図的に進行役を強奪したことも何度もある。

が…

実は昨日はそうではなかった。僕の中では最後までパネラーに徹するつもりでのんびり参加していたし、実際それも不可能ではない雰囲気だった。

方針転換したのはラスト30分。ちょっと話題が偏って、6人のパネラーのうち半分が話題に入れない状況になった。(トークスキルや力量の問題ではなく、それぞれの専門性や立場の問題)

それまでミュートしながら眺めていた僕は、スッと割り込んで進行役を奪い、話題を少しずつずらしながら直前15分発言の機会がなかった3人に話題を振った。結果、多少本来の主旨とは異なる流れになったが、展開は速くなり、サクサクと議論が深まったと思う。




急きょファシリテーターとなった僕があの時考えていたことは主に3つ。

①3名に発言の機会を作る
②全体のテンポを上げる
③それぞれの発言を主題につなげて本流に戻す

③についてはあとひと手間のところで運営メンバーの介入があり、達成できなかったが、それでも意図したことはおおむねできた。(本音を言うと、運営メンバーの介入が5分早かった)

特に①は大事だと思っている。突き詰めれば「登壇者の満足感や充実感を高める」ということだ。

もあふるも、先日の子育て支援フォーラムも、登壇者はほとんど無料で参加している。要するにボランティアだ。

そんな状況で登壇者が得るものといえば、「知名度アップ」か「十分な自己主張」しかない。

会話のテンポが遅いということは、一人ひとりの発言量が減るということ。加えて、発言しにくい話題が多くなれば「なんで私が呼ばれたんだろう…」という気持ちにもなってしまう。

ボランティアで出演を依頼するのは本来はNGだと僕は思うが、それでもソーシャルアクションに資金不足はつきもので、想いに共鳴して出ていただくしかないのも事実。

だからこそ、主催者は登壇者へのリスペクトを忘れず、できる限り多くのリターンを持ち帰らせるべきだと僕は思う。

だからこそ…

要所で発言してもらい、それが会の主旨に沿った価値的なものだったと明示して、「出てよかった。役に立てた」という感覚になってもらいたい。

ここが少年院のグループワークとは大きく異なる部分だ。仕事として請けて、想いだけで時間を割いてくれた社会人に対して、主催者が取れる最低限のマナーだと思っている。

ここで「なんだつまらなかった」とか「出ないほうがよかった」と思わせてしまったら、大事で強力な協力者が減ってしまうからだ。

アマチュアだからこそ、できる限りのリターンを持ち帰らせることにはプロ意識を持つべきだ。




技術と言いながら、心構えの話ばかりしているが、僕はこれをとても大切にしている。

ただ話の流れを考えるのではなく、その場にいる一人ひとりの心情に配慮する。

その視点で考えた時、新たな工夫が見えてくるのではないか。技術なんてのはその視点の先に生まれるものだと思っている。

精進したい。

放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。