「光」を書くときに考えたこと

習作を書くときに考えていたことシリーズ。2作目の「光」について。

「絵の具は色を混ぜると黒くなるけど、照明は色を重ねるほど白くなるんだよ」

まず、この書き出しについて。「告白」で何かを書くという課題が発表された直後くらいに、職場でこのセリフのようなやり取りがあった。言葉尻はもちろん違うが、絵の具と対比して照明は重ねるほど白くなるというやり取りは一緒。新人の子に教える先輩の言葉を聞いていた。これがすごくいいモチーフだから小説のネタになるなとその時は思って、とりあえず少し書いてみることにした。

それで、告白の「白」は白だから、照明の白の話をしてもいいかと思い、課題作として書くことにした。

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それは正確には色っちゅうか明暗の話なんだけどね、とTさんは付け加えた。太陽が眩しくて白く見えるのと一緒、タバコ行ってくるね、帰ってくるまでに自分なりの紫を作ってみて、とTさんは居酒屋で料理を片っぱしから注文するみたいに言って、人工樹脂製のサンダルに足をかけながら、やはり居酒屋のトイレに入るみたいに換気扇のある厨房に消えていった。厨房で喫煙はご法度だと初出勤のとき店長に言われたが、僕もTさんほどのキャリアになれば許されるのかもしれない。僕はまだ紫すら作れない。

2段落目以降の描写は、冒頭のセリフから連想される展開を思いつくままに書いてみたという感じ。職場のその先輩の姿を少し意識しているし、場所の風景も実際の職場をイメージしていた。

「居酒屋で料理を片っぱしから注文する」「人工樹脂製のサンダル」「居酒屋のトイレに入るみたいに」といった、比喩と細かい描写は本作を通じて意識した点だ。

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赤と青を重ねてみる。思った通り紫になる。赤に白を混ぜても、ピンクのようだが紫といえば紫という色になる。二色の配分を変えれば、その濃淡は変えられる。だから問題は「どの紫か」だ。試しに赤と青のつまみをいけるところまで上げてみる。真っ白になった。緑を入れてみる。一瞬、照明が一斉に瞬きをするように黒みがかったように見えたのもつかの間、やはり真っ白になった。バカみたいだと思った。

ここは色をつくる作業の臨場感を意識して、短い描写をリズムよく出していくことを意識した。「バカみたいだと思った。」という結びは、「バカみたいだ。」でいいのではないかと後から思った。自分のリズムというか、書き方の癖として「思った」や「考えた」という形で語り手が自分の感情から距離をとっていることを表明しがちだということに気づいた。と、ここでも「気づいた」という仕方で自分の発見から少し距離をとっていることを表現しようとする。

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色々な色が互いに自分の色を色として主張できるのは、所詮はある明度までの話で、一定の明度を超えるとそれらは一つの大きな「白」になる。その身も蓋もなさ。小学校の音楽の授業で歌わされた、みんなが色とりどりの花だという、国民的アイドルの歌がなんとなく思い出された。みんな白くなっちゃえば一緒じゃん。人間のつばぜり合いを超越的な場所から笑って見ている、これがそういう「白」に見えてきた。Tさんの話からすると、色自体は「そこにある」のだろうが、重なった光が人の目には眩しくて、もはや色がわからなくなる、ということなのだと思う。色を混ぜているようで、光を重ねている。僕は光になりたいと思った。

ここから、色と光に関するやや飛躍した思弁が展開され始める。これは書き始めから意識していたことで、混ぜて黒くなる色的なものと、重ねて白くなる光的なものを、比喩的なモチーフとして人間に当てはめた時になにが表現できるかというのが本作の肝だったと思う。そしてそれは、まだ課題として残っている。とにかく、その試みの端緒として本作はある。

「世界に一つだけの花」を例にとり、語り手の「僕」が個別性を競うことの虚しさに思い至るという展開は、なんか説教くさかったかなという気もするし、実際にここに反応する読み手もいなかった。「これがそういう「白」に見えてきた」という箇所も、説明的すぎると感じる。もっとさっぱり書くべきだったかな。

「色を混ぜているようで、光を重ねている。」ここで本作の肝となるモチーフを端的に出している。本作において最も重要なフレーズであり、そのことをかなり自覚的に書いた。何かが「重なる」とき、それはある視点から見たときに「重なり」が問題になるに過ぎず、決してそれぞれが「混ざって」いない。そのことには深い示唆があると思っていて、それは今後の思考の課題である。実際に、本作において、後述するようなモチーフの重なりは、やはり「重なっている」のであって、「混じり合って」はいない。それは因果的関係ではなく対応関係が問題になっているとも言えて、それは自分の知的関心の核でもある。

現象が因果的にどのように連関しているのかよりも、一見関係がなさそうな現象が「同じ形」を持っていること、それぞれが「同じことの違う表れ」として重なって見えてくることの発見に喜びを感じるし、創作において表現されるものもそうした形をとることが多くなると思う。

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Tさんが戻ってきた。舞台上は強い白で照らされたままで、Tさんは、演者の目が潰れるぞ、俺たちに挨拶しなかった昨日の奴にはこれでいいけど、と笑った。でもこれは赤と青と緑で作った白なんです、と言ってみると、ああ、白だけの白とは違うからね、それはアリよ、とのことだった。

 まあ紫なんて滅多に使わんけど、と隣に座ったTさんの口から漂うタバコの刺激臭は僕に「黒」を連想させた。Tさんの言葉は光ではなく色なのだと思った。いや、換気扇に吸わせた煙のような、僕がまだ見ていない「白」がこの人にもあるのだろうか。Tさんは光なのだろうか。Tさんの一見ブラックな笑いも、人間を笑うようなこの照明と同じ、明度の彼方に立ち昇る白い笑いなのかもしれない。

Tさんが戻ってきてからのやり取りは、頭の中で光景が動くままに書いた。タバコの煙から「黒」を連想するという箇所から、いよいよ「色」と「光」を人に当てはめるという展開が具体化する。「僕」にとってTさんの「白」とは、厨房で吸うタバコの煙と同じくらい不可視であり、さまざまな色で構成される照明の白よろしく、複雑な背景を持つ「秘密」をもっている。「白」を構成する秘密。それを見る術を「僕」はまだ知らない。Tさんという存在自体が、「僕」にとっては謎めきであり、「白」なのだろう。

「明度の彼方に立ち昇る白い笑い」は、はじめは「明度の彼方から降り注ぐ白い笑い」だった。しかし、タバコの煙と重ね合わせるなら「立ち昇る」だろうと思い、表現を変えた。自分としてはここが会心の一文だったりする。

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もう一本吸ってくるわ、テクリハまで時間あるからお前もテキトーに休んどけよ、とTさんは再び厨房に向かった。Tさんから吐き出される煙はきっと光っている。いつかその光を見られるときはくるだろうか。この人のバカバカしく眩しい「白」を見るとき、僕の目は潰れずにいられるだろうか。

「Tさんから吐き出される煙はきっと光っている。」以降の文章で締めくくろうとずっと考えていて、しかし前の段落からうまくつながらずに悩んでいた。それで、散歩をしているときに、「もう一本吸ってくるわ」とTさんをもう一度タバコに行かせることを思いついた。すると、「僕」がTさんのタバコの煙に考えを巡らせる展開が自然になり、締めに向かえる。おそらく読者にとってはなんてことない展開で、なんの引っかかりもないところだろうが、この展開もまた自分にとっては大きな発明で、こういうところに小説を書く悦びがあるのだろうと思った。

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これはひとに指摘されて気づいたのだが、タバコの煙は「紫煙」とも表現されるので、紫の照明を作っていることと、ここで重なってくる。この作品は「白」の話でもあり、「紫」の話でもあるのだ。Tさんが厨房に隠れて吸うタバコの煙は「紫」なのであり、そのTさんが「自分なりの紫を作れ」と「僕」に命じることが何を意味するのか。また、本作唯一の「告白」である、「まあ紫なんて滅多に使わんけど」というTさんのさりげない一言にはどのような含みが読み取れるのか。もしかしたら、Tさんは厨房でタバコなど吸っていないのかもしれないと思ったりする。では何を?それがTさんの「秘密」であり、謎めいた「白」であり「紫」なのだろう。

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