松尾芭蕉の句なのです。「気色」は「道理」なのです。
生と死のサイクルが道理なのですが、もうすぐ死ぬというのにそんな様子も見せない蝉なのです。蝉は死ぬ時まで生きているのです。
人間は今日にも死ぬかわからないことを忘れているのです。これでは生きているのか死んでいるのかわからないのです。道理から外れたゾンビなのです。
蝉は道理を体得しているから「見え」ず、言葉にはせず鳴くのみなのです。人間は言葉は使えるのに道理のほうが見えないのです。言葉が人間をゾンビにするのです。リベラルも万人をゾンビにするのです。
優れた芸術は人類共通なのです。したがって芸術は道理であり、言葉を使ってゾンビを生物に戻すのです。エロも人類共通なので道理なのです。
宇宙的無意識は道理のことなのです。鈴木大拙は禅問答の達人なので早合点してはいけないのです。必要なのは「知的(賢しら)な解釈」ではなく直観(エロス)的な解釈なのです。
ぐりっとやるとキラッ☆となるのが宇宙的あこがれであり、死ぬ時まで忘れずに抱いてるのです。