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ポケットにカメラを忍ばせて #5

モンゴルの闇の中をサバイバルするエントラントたち

結局、リタイアしたその日のうちにキャンプ地に辿り着くことはなく、陽も昇り切った朝6時ごろになってようやくキャンプ地に戻ってくることができた。

これは、ボクを乗せてくれたスタッフ車両(ランクル)がラリー参加者の最後尾を捕捉し、物理的な援助はしないものの、しっかりとゴールに帰れるように見守るという役割があるためで、つまり朝8時に出発した何人かのライダーたちのゴールが翌朝5~6時だったということでもある。

CPを襲った巨大な雨雲が、奇しくもその後ラリーのゴールへ向かう道程に沿うかのように進んだため、ルートが一気に難コンディション化したのがその理由でもあった。乾いたふかふかの砂地に大量の雨が降ったため道が泥粘土となり、その上を多くのバイクと車が捏ねるように走ったため、どんどん悪化していく。スタックした車両も多かったようだ。

さらに、正規ルートが巨大な水たまりで難所となり、そこを通過できるかどうかの判断も困難で、夜中に迂回路を探す必要もあった。

ボクを乗せてくれたオフィシャルのランドクルーザーが夜の1時ごろに最後尾車両に追いついた。なんと、そこには15台もの車両が集まって、闇の中で途方に暮れていたのだった。こんな時、地元モンゴル人のスタッフは凄まじく頼りになる。チョイチョイとGPSで現在地を確認すると、全員についてくるように指示をして、迂回路へと導いていく。後方に15台の車とバイクのヘッドライトを従えて突き進んでいくランクルは、月明かりに照らされ神々しささえ感じられるのだった。

だが、この先もまだまだ大変。疲労困憊のライダーたちに転倒者が続出。その転倒者を助けようと一部のライダーが停車することで、隊列は途中で途切れてしまう。その結果再び参加者が行方不明となり、ランクルはルートを逆走して発見に向かうのだ。20km進んでは5kmを戻る、というような作業が延々と繰り返される。(このあたりは起伏や樹木が多く、少し離れるとヘッドライトがすぐに見えなくなる)

「今日は大変ですね」と日本語の堪能なモンゴル人スタッフを労う。すると「そう?だいたいこんな感じよ」と、淡々としている。レーススタッフの方が参加者よりも大変というのはどうやら本当のようだ。次からはこれまで以上に深く感謝しなければ。

そんな大変な思いをして、ようやく朝6時にキャンプ地に帰着した。這々(ほうほう)の体でゴールした者に笑顔はなく、疲労困憊の様子なのだが、この日のレースは3時間後に始まってしまう。スタートしないとリタイアとなり、それまで。30分ほどの僅かな仮眠を経て準備開始。再び猛暑の砂漠に向かわなければならない。側から見ていて気の毒なほどだ。

ラリーでモンゴルを走るというのは、これほど過酷な面もあるということを、将来走ってみたいとお考えの方はご承知おきいただきたい。

ひとり、帰国へ

さて、そんなドラマをランクルの後部座席からぼんやりと眺めていたボクといえば、キャンプ地近くの地元病院で検査した結果、鎖骨がポッキリと折れていて、残りの予定を全て諦めて日本に帰国することになった。

他の参加者に別れの挨拶をし、主催者を通じてドライバーを雇い、600km離れたウランバートルから迎えに来てもらう。このドライバーさん、600kmの道のりを運転してきて、到着30分後にはボクを乗せて再び600kmの道のりをかけて戻るという。往復1200km。眠そうなそぶりさえ見せない。さすが大陸の人、モンゴル人。タフなやつばかりだ。

そうして600kmドライブを終えてホテルに戻り、日本に送り返すパッキングを済ませる。

翌日、まだ真っ暗な朝4時半に昨日とは別の若いドライバーと通訳がホテルに迎えにきてくれて、日本の経済支援で完成した真新しいウランバートル国際空港に向かった。さすがにこの時間だと名物の渋滞もなく、約1時間程度で着くという。

空港に向かう高速道路上で、突然ドライバーが車を路肩に停める。眠くなっちゃったので、通訳の旅行ガイドに運転を替わってくれ、ということらしい。

ドライバー君は助手席の背もたれを目一杯倒して、後部座席のボクの荷物を押し潰しつつ、深い眠りに入っていった(イビキかいてるし。。。)

昨日のドライバーの爪の垢でも煎じて飲めよと思う一方で、その豪快な振る舞いが愉快過ぎて、思わず写真を撮ってしまう。まぁ、モンゴル人全員がタフな訳ではないことがわかって少し安心 笑。

それにしてもあっけない終わりとなったモンゴルの旅。
いつかまた、写真を撮りに戻ってくるかもしれないなぁ、と心を残して帰国の途についた。

(おわり)


爆睡 笑


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