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「免疫食堂」、始めます。   日本、大阪


「免疫食堂」、始めます。   

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「医食同源」
ボトムオブピラミッド
〜これは医療危機を救うための底辺の再構築である


「白米」なし、「肉」なし、
「油」なし、「砂糖」なし、
「おもてなし」なし、「会話」なし

⚪︎メニュー名称
玄米食摂取による臨床に関する研究ランチ

⚪︎価格
一食 ¥500

サブスクリプション方式(予定)
月額 5000円


⚪︎材料
全粒穀物・麦味噌・塩・胡麻

⚪︎コース一例
お玄米ご飯
お漬物
玄米食後の
麦味噌汁そば

白湯


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「食」は、神事である。



アーユルヴェーダは食べる行為を、私たちの個人々に宿る神に供物をささげる行為だという。『いただきます』とは『あなたの命を頂きます』という意味であり、食材そのものに対する感謝の気持ちを表す言葉である。考えてみれば、食べ物は、肉にしろ、魚にしろ、野菜や穀物にしろ、すべてもとは生き物である。その生き物の命を頂いて、我々は日々生かされている。その事への感謝が「いただきます」に込められている。食事そのものが、日本人にとっては生命をいただく神聖なる儀式、「神事」なのである。わが国においては、農作物を育てる農作業も、それを食べ物として提供する料理も全て神事である。



マクロファージを活性化させる、リポポリサッカライドLPS


免疫活性とは、自然免疫細胞である「ヒト単球」をマクロファージに変化させる、エピジェネティックなゲーム。「自然免疫」を活性化する物質の代表としては、リポポリサッカライドLPSがある。LPSは、グラム陰性細菌の成分で、グラム陰性細菌の細胞壁の外側にぎっしりと埋め込まれた形で存在している。糖と脂質が結合した構造をしているので、日本語では「糖脂質」あるいは「リポ多糖」と呼ばれ、英語では「リポポリサッカライド(Lipopolysaccharide)」、略してLPSと呼ばれている。
これらの成分はいずれも、「自然免疫」担当細胞であるマクロファージを活性化すると言われている。マクロファージはウイルスが感染してしまった細胞を食べて処理してくれる。ペプチドグリカン、βグルカン、LPSのうち、特にLPSは抗ウイルス因子(インターフェロンβなど)を誘導するシグナルを活性化する。従って、LPSを多く含む食品を普段から摂取することが、新型コロナウイルスに対する備えとなり、また感染した場合にも回復を早めることにつながる。
LPSの最も良く知られている生物活性は、マクロファージの活性化である。マクロファージは自然免疫の中心的細胞で、体中に存在しており、細菌やウイルスから身体を守ったり、傷の修復を助けたり、新陳代謝の調節に欠かせない働きをしている。従って、マクロファージを活性化するLPSは、感染防御、創傷治癒、代謝調節の機能を高める。

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「最も理想的な食事は元禄時代以前の日本人の食事である。」ーマクガバン・レポート


マクガバン・レポートの内容

①諸々の慢性病は肉食中心の誤った食生活がもたらした食原病であり、薬では治らない。
②ビタミン、ミネラルの特にカルシウム、鉄、ビタミンA、B1、B6、C、Eの不足がひどい。
③7項目の食事改善の指針:(具体的には)高カロリー、高脂肪の食品、つまり肉、乳製品、卵といった動物性食品を減らし、できるだけ精製しない穀物や野菜、果物を多く摂るべきである。

マクガバン・レポートででは、5000ページにも及ぶレポートの中で、さも理想的な食習慣は日本食であると結論付けられている。
そして「最も理想的な食事は元禄時代以前の日本人の食事である。」と報告しています。(精白しない殻類を主食とした季節の野菜や海草や小さな魚介類)であることが明記されている。
「なぜ元禄時代以前?」という理由は、元禄時代には精米技術が発達し、白米を食べるようになったからだ。お米は精白することで、胚芽に含まれるビタミン、酵素、ミネラル、食物繊維といった、貴重で重要な栄養素が無くなってしまう。つまり、単に日本食とは言わず、栄養的に優れている玄米を主食にしていた頃の和食が理想的であり、伝統的な日本の食事というと結局は、精白しない殻類を主食とした季節の野菜や海草や、小さな魚介類という内容になるのである。

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ボトムオブピラミッド〜底辺の再構築ー今すぐできる新型コロナウイルス対策は、食生活の転換しかない。



この国の医療崩壊を防ぐためにはあらゆるアプローチを構築しなければならない。その中でも最も重要なのは「食の革命」なのである。

リポポリサッカライドLPSは自然免疫のマクロファージを活性化する。免疫は2種類ある。生まれた時から備わっている自然免疫と、後天的に身につく獲得免疫だ。今までは獲得免疫ばかりに注目が集まっている。インフルエンザの予防接種は、獲得免疫を利用したもので、インフルエンザの不活化ワクチンを打って体の中に抗体を作っているのだ。

自然免疫では、マクロファージが非常に重要だ。ひとつは、入ってきた病原菌を食べ、老廃物など体内のゴミも食べつくしてくれる。ふたつ目は、臓器や器官が正常に働くよう司令塔の役割をするのである。

リポポリサッカライドLPSは免疫にとって重要なマクロファージを適度に活性化する成分です。新型コロナウイルスはまだワクチンが開発されてないため、自然免疫を強くしておくと、重症化を防ぐなどの効果が期待できるはず、というより今はそれくらいしか出来ることはない。


この国の人間はいろいろ理屈をつけて、ステーキをやめれない。まずは出来ない理由を集めるのではなく、今すぐ食生活の転換を図るべきである。



食生活の転換において、何よりも重要なのは、リポポリサッカライドLPSが付着している玄米を食べるということ。

そして野菜も、土壌にあるLPSが多く付着している有機野菜に、根菜類、大根や人参は皮のまま調理したり、海藻もよく食べる。
 
玄米は医療的にも「完全食」であり、「完全薬」なのである。そこに議論の余地は全くない。3ヶ月間、玄米と味噌以外何も摂取しないという、玄米絶食をすることで、人間の身体はデフォルトに立ち戻る。こういうことを言うと、この国の白米をやめれない人間たちは、自らのエントロピーを縮減するために、「認知的不協和」を起こし一斉に騒ぎだす。だが、玄米絶食を実践すれば必ずそうなる。いくら騒いでも事実だから仕方がない。
「認知的不協和」は、環境問題などにおいて、化石燃料の使用が地球温暖化の一因であり、自動車に乗ることや牛肉を食べることといった 私たちの行動が温暖化に加担しているという「正論」が入ると多くの人間の一斉に吹き出す防衛機制という心理のことである。
防衛機制は、受け入れがたい状況、または潜在的な危険な状況に晒された時に、それによる不安を軽減しようとする無意識的な心理的メカニズムである。
玄米については、アポトーシスと免疫活性において、その効果は科学的にも証明されているのである。この国の人間は、新型コロナウイルスに端を発して、迫り来る高齢化問題、気候変動、自然災害、経済恐慌に口をつぐんで、事実を無視したり、嘲笑ったりすることで、恐怖と罪悪感から逃れている。

新型コロナウイルス感染における、日本人の致死率が低いのは、「自然免疫」であるマクロファージによるもの

それを証明する、その一つの可能性として、日本人がBCG接種でコロナに対する免疫をもっているということが考えられる。BCGが単球(マクロファージのもととなる細胞)という自然免疫細胞に働いてエピジェネティックな変化を起こし、このために単球の生体機能が高まっていることも明らかになっている。
集団免疫の考えの根底には“新しい病原体には人々はまったく抵抗性がない=免疫がない、しかし感染によって免疫が成立する”という論理の秩序を根本的に転換する必要があるのかも知れないのである。



リポポリサッカライドと「自然免疫」



「自然免疫」を利用したリポポリサッカライドのアジュバント活性、リポポリサッカライドは「自然免疫」を介した免疫増強作用を示している。また、LPSを介した免疫作用は非特異的な炎症反応と白血球の活性化なので、最近、ワクチンのアジュバントとしての可能性が注目されている。

リポポリサッカライドとは、大腸菌やサルモネラ菌などのグラム陰性菌の細胞壁を構成する成分だ。日本語では“リポ多糖”と言い、糖脂質である。
リポポリサッカライドは、グラム陰性細菌の成分で、グラム陰性細菌の細胞壁の外側にぎっしりと埋め込まれた形で存在している。糖と脂質が結合した構造をしているので、日本語では「糖脂質」あるいは「リポ多糖」と呼ばれ、英語では「リポポリサッカライド(Lipopolysaccharide)」、略してLPSと呼ばれている。糖部分は水溶性、脂質部分は油溶性なので、LPSは両方に溶ける、いわゆる両親媒性の物質だが、通常のLPSは油より水によく溶ける。
リポポリサッカライドの最も良く知られている生物活性は、、マクロファージの活性化だ。マクロファージは自然免疫の中心的細胞で、体中に存在しており、細菌やウイルスから身体を守ったり、傷の修復を助けたり、新陳代謝の調節に欠かせない働きをしている。従って、マクロファージを活性化するLPSは、感染防御、創傷治癒、代謝調節の機能を高める。
リポポリサッカライドはこのマクロファージを適度に活性化する成分なのである。
薬物中毒などにおいても、モルヒネやコカインの依存症になると、体の復元力と関係の深い免疫細胞、マクロファージの活性が下がることが知られている。免疫ビタミンは、薬物依存を抑制する 脳内で薬物依存抑制タンパク質を誘導し、ウイルスなどの撃退をアシストするのである。



リポポリサッカライドの摂取は、サプリなどではなく、玄米などの食物から摂取することが重要である。



玄米は最低100回〜200回よく噛むことにより唾液を分泌されることが重要である。また、近年、多くの研究機関が唾液の成分と働きに注目し、唾液の重要な作用が続々と発見されている。唾液は消化液にとどまらず、風邪やインフルエンザなどの感染症の予防、日本人の死因の上位を占めるがん、脳卒中、肥満や生活習慣病の予防、歯周病や誤嚥性肺炎などの感染症予防、アンチエイジングなどにも深く関わっている。
唾液には“IgA”という成分が含まれていて、身体の中に入ろうとする細菌類をシャットアウトし、免疫力の強い身体を作っている。しかし、加齢やさまざまな要因で唾液の力が低下すると、病気になりやすい身体になってしまうのである。ウイルスとの戦いにおいては、「唾液力」をきたえることもポイントになるのである。また、こういうことを言うと、この国の白米をやめれない人間たちは、自らのエントロピーを縮減するために、「認知的不協和」を起こし一斉に騒ぎだす。だが、毎日の食事を一食玄米にするだけで、3ヶ月続ければ完全に免疫は活性化される。これは白米をやめれない人間がいくら騒いでも事実だから仕方がない。

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玄米は完全食である。〜生命を丸ごと頂く、一物全体。


マクロビオティック (Macrobiotic) は、従来の食養に、陰陽の理論を交えた食事法ないし思想である。 長寿法を意味する。 玄米、全粒粉を主食とし、主に豆類、野菜、海草類から組み立てられた食事である。 身土不二、陰陽調和、一物全体といった独自の哲学を持つ。

一物全体とは、ありのままの姿で分割されていない状態のこと。食養で使われることが多い用語で、食材を丸ごと使用するという意味で使われる。穀物を精白しないこと、野菜の皮をむかずに使うことや、根菜でも葉を用いること、小さい魚を丸ごと食べることを意味する。

生物が生きているというのは、丸ごと全体で様々なバランスが取れているということであり、そのバランスのまま人体に摂取することが人体内のバランスを取るのにも望ましいという考え方から、人間が食物を摂取する際、穀物を精白したり、野菜の皮をむいたり、動物の肉や魚を部分的に食用にするのではなく、できるだけ丸ごと食べるのが健康に良いとする考え方。 栄養学の観点からも、植物の皮や葉、小魚の骨は栄養が豊富である。

食事について、この「バランスのいい食事が大事」と「1日30品目食べよう」などの食に関する長年の思い込みや間違った常識は一旦デフォルトにすべきである。

「1日30品目食べる」ことが、厚生労働省(現厚生労働省)が1985年に作成した「健康づくりのための食生活指針」で提唱され、しばらく推奨されてきたが、これは2000年の段階で削除され、いつのまにか「1日30品目」という表現は消えて、今では「主食・主菜・副菜を基本に食事のバランスをよく」という曖昧な記述に変わっている。

そもそも、1日30品目頑張って食べると、かなりの確率で食べ過ぎることになり、結局は肥満や生活習慣病を増やすだけではなく、忙しい現代人が1日に30品目食べるというのは、持続可能性がない。それでも「健康のため」と無理して頑張ってストレスをため、あげくは肥満になっているとしたら本末転倒である。
 しかし、まだ多くの国民がその「変更」を知らずに、今も古い常識に従って1日30品目を目指しています。「なるべくたくさんの種類の野菜が使われているジュースや健康ドリンクを飲むと、そのジュースには多くの糖質が含まれており、はっきり言ってそうしたものは飲まないほうがいいのである。
そもそも、私たちは、そんなにたくさんのものを食べる必要はないようにできている。1日に30品目も食べたら、かえって消化に負担がかかり体に悪いと言えるのである。
そして、こうした健康ドリンクやサプリメント、健康食品は金銭的負担が大きい。こういう場合、健康コンサルタントや講座、セミナーなどを含めてお金のかかるもの、かかることは全て偽物と考えるべきなのである。何よりも人間の体を健康にするためにお金がかかるはずなどないと考えるのがデフォルトである。では、具体的どうすればいいのか。リポポリサッカライドの摂取は、サプリなどではなく食物から摂取するのが原則である。その代表的な植物が玄米なのである。



唾液は消化液にとどまらず、風邪やインフルエンザなどの感染症の予防に効果的



玄米は最低100回〜200回よく噛むことにより唾液を分泌されることが重要である。また、近年、多くの研究機関が唾液の成分と働きに注目し、唾液の重要な作用が続々と発見されている。唾液は消化液にとどまらず、風邪やインフルエンザなどの感染症の予防、日本人の死因の上位を占めるがん、脳卒中、肥満や生活習慣病の予防、歯周病や誤嚥性肺炎などの感染症予防、アンチエイジングなどにも深く関わっている。
唾液には“IgA”という成分が含まれていて、身体の中に入ろうとする細菌類をシャットアウトし、免疫力の強い身体を作っている。しかし、加齢やさまざまな要因で唾液の力が低下すると、病気になりやすい身体になってしまうのである。ウイルスとの戦いにおいては、「唾液力」をきたえることがポイントになるのである。

玄米を唾液でグチョグチョなるくらいよく噛んで食べる、そうすればリポポリサッカライドは高価なサプリなど買う必要もなく免疫活性が高まり、人間の身体は本来の免疫力を得ることが出来る。また、こういうことを言うと、この国の白米をやめれない人間たちは、自らのエントロピーを縮減するために、「認知的不協和」を起こし一斉に騒ぎだす。だが、玄米の食生活を実践すれば必ずそうなる。いくら騒いでも事実だから仕方がない。
玄米については、アポトーシスと免疫活性において、その効果は科学的にも証明されているのである。



白湯は全身の臓器の調和をとるためには最適の飲み物であり、最もおしゃれなソーバーキュリアス。


「ソーバーキュリアス」とは何か?
「Sober」とは、「しらふ」。「普段からお酒を飲まない」「落ち着いた」といった意味がある。そして「Curious」のほうは「好奇心旺盛な、興味深い」と言った意味になる。
つまりは、お酒が飲めないとか、禁酒中といった意味合いではなく、お酒は飲めるけど、あえて飲まないという選択をしている人々のスタイルを「ソーバーキュリアス」と呼んでいる。

免疫力を支えているのが胃腸の消化力。食べたものが口から食道を通って胃や小腸に届き、小腸の壁から栄養素が吸収されます。このとき胃調の働きが悪いと栄養素は未消化のまま体に吸収され、毒素となります。
毒素とは例えば、過剰な糖、コレステロール、中性脂肪や尿酸など。こうした毒素が体に溜まっていくと代謝が下がり、3つの体質のバランスが崩れて免疫力の低下や病気に繋がります。
そこで、肝心の消化力を高めるために最も有効な方法が、毎日、白湯を飲むこと。よく沸かして飲む白湯には「風」「火」「水」の要素がすべて含まれているので、全身の臓器の調和をとるためには最適の飲み物です。


「もてなさず」、「できすぎず」
日本を苦しめる「おもてなし精神」
〜コロナ以降のサービス社会のあり方とは


そもそも日本の「おもてなし」は、いい意味でサービスの「プロフェッショナルイズム」とも言えるが、一方で「客」という概念が未成熟な「見た目主義」のサービス社会であるとも言える。精神の伴わない「おもてなし」は最大の無駄であり、この国で行われる、見かけの「おもてなし」は、きっぱりと捨て切ることである。

日本では、スーパーで買い物をするだけなのに、店員は丁寧に両手を揃えてお辞儀をしながら「いらっしゃいませ」と挨拶。接客中も笑顔を絶やさない。
「どんな場所でも、“おもてなし”されて当たり前」とする日本文化は、世界から見て異常である。

コロナウイルス以後の社会的距離ソーシャルディスタンスにおいては、レジなどでの「ありがとうございました。また、お越しくださいませ。」はすぐに廃止し、唾液などによる飛沫感染を防ぐためにも、会釈などで対応すべきである。

日本人が“おもてなし文化”を称えれば称えるほど、自分で自分たちの首を絞めている。言葉自体、特に必要はない場合もある。要はマインドの問題で、来店時の「いらっしゃいませ」の表現を笑顔でゴリラのドラミングのような身振り手振りを標準化すれば、聴覚障がい者なども既存の市場で雇用の扉が開くかも知れない。
決して冗談ではなく、実際に行われれば実に愉快である。事実、聴覚障害者のスタッフが手話と筆談で接客を担当する「サイレント・カフェ」などが存在する。思考は深く、しかしその表現は大胆突飛なものでなければ、ドラスティックな変革など目指すことはできないということである。


『世界を変える客』〜主客一体と一座建立

「朝夕の食事はうまからずともほめて食うべし。」
「元来、客の身なれば好き嫌いは申されまじ。」



この「免疫食堂」に共通するのは、客側に入店に対する強い意志が必要である。つまり、コンビニのようにお気軽に来てもらっては困る。人生は一期一会であり、一つ一つの出会いには意味がある。

この「家」では、「最初の客」が重要な役割を担ってくる。この新しいフェスティバルでは、免疫クラスターを形成するという理念の共有により、「客」と「店」の境界をとりのぞき、地区が自己表現をするのを手助けする。そして、「客」も作品を作り上げる重要な役割を担うのである。

ここでは、主客一体「もてなさず」の面からも「一見さんお断り」のシステムが機能している。言い換えればこのシステムは実質的にはコンソーシアムの仕組みとも言える。ただ、コンソーシアムと言っても明確な規約やルールが存在しているわけではない。言わば目に見えない「会員制」。たとえ規約がないと言っても、そこを訪れる多くの客が快適に過ごせるよう、一座建立の暗黙の約束事を理解し、良識のあるマナーをわきまえた人間でなければ、〝家〟には出入りすることはできないというわけである。

もちろん、これはお金持ちかどうかということは関係なく、高額な入会金や会費でもって顧客を選別する、いわゆる「富裕層」向けの会員制クラブとは趣旨が全く異なる。

そして、そのシステムを経済合理的に維持できるようにしている仕組みなのである。〝家〟には食事だけではなくて、雑貨、美術やフォーラムといった様々な文化が息づくところであり、その文化を〝家〟という舞台で主客が一体となって作っている。



私たちがこれから行うのは、
理解不能で奇妙な「交換」ゲームである。
いや、オルタナティブな「贈与」ゲームと言った方が
いいのかも知れない。


「私の欲しいものをください、そしたらあなたの欲しいものをあげますよ」という原理の、現在の社会の根底にあるアダムスミスの交換ゲームではなく、私たちがこれから行うのは理解不能で奇妙な「交換」ゲームである。
まず、クラ交易のコンソーシアムに登録されるためには、「良い人」「信頼できる人」であることが必要であり、条件を満たす大人でなければ、この交換事業には参与できない。そのように制度が作られている。

経済活動というのは、恒常的な交換のサイクルを創り出し、それを維持することを通じて、人間の成熟を支援するための仕組みである。交換活動を安定的に行うためにはまず市場、交通路、通信網を整備し、共通の言語・通貨・度量衡・商道徳などを作り出さなければならない。そして、交換活動の安定的で信頼できるプレイヤーとして認められるためには、約束を守る、嘘をつかない、利益を独占しないといった人間的資質を具えている必要がある。

マルサスは経済学が「科学(science)」である前に「芸術(art)」であるべきと考えた。
そもそも、アダム・スミスの経済学の視点は、政治家にとっての国家の富の増大の技術という立場から設定されており、決して自己利益を追求する人間行動の諸法則を演繹的な体系へとまとめあげようとしたものではない。それは何よりも、社会哲学というより広い視点のなかでの、経済現象という一側面を扱っただけのものである。

ラスキンが「この最後の者にも」において構築しようとしたヴィジョンは、「富」や「価値」に関する新しい定義から導かれ、「最大多数の高潔にして幸福な人間」という新しい原理にもとづいて構想されるところの「平穏な経済」の図式であった。彼はそも図式のもとでこそ、「正しい物が正しい者に届く」ような「名誉ある富」の循環の実現を目指していく。

そもそも、エコとは家やパブリックの概念であり、エコノミーは、エコにノミーという規則や規範を、エコロジーは、エコにロジーという論理や学問をつなげた言葉であり、 どちらも、家やパブリックの管理規則や論理、パブリックの秩序・規則ということを意味している。
現代社会ではエコノミーは経済、エコロジーは環境への配慮という反撥する問題意識となっているが、この二つの視点を何とか融合するような思想を求めているのも現代社会なのである。

「免疫食堂」の理想は、世界中に免疫クラスターを形成すること。
ソーシャル・ファブリック(社会骨格)の
インスタレーションアートである。

平面では表せない多層に跨る立体的な多様な要素を、多元連立方程式として解きほぐし再構築して形象するのが芸術である。
重要なのは短期的な関係ではなく、長期的な関係性を継続的に構築することだ。短期で利益を上げる人は自分のことしか考えない。長期で関係性を維持するには、古くから近江商人の心得とされる『三方よし』が望ましい。売り手、買い手、世間のすべてが満足することを目指すわけである。

免疫食堂では、目の前に商品があるのに売ってくれない場合がある。随分気位が高いと批判を受けるが、しかし、実は次に来るなじみ客のために在庫を切らさない知恵なのである。マナーやモラルに厳格なのも、客との長期関係性を重視しているから、今後もそうした運営を行っていく。

一般的には客は店を選べる。しかし店は”お客さまは神様です“と教わり、誰にでも同じサービスをする。それを全ては否定しないが、免疫食堂ではすべての客を満足させる必要はない。日本ではあまりお目にかかることはないが、海外では店が客を選ぶことはごく普通のことなのである。

それは株主や従業員についても、同じことがいえる。株主も従業員も、その企業の理念を理解し、共鳴する人が集まっている。これが大事なことなのである。

もちろん、利益を目的とするのではなく。地域に根ざした共同体という意識に立ち、顧客も株主も従業員も、同じ目的を目指す。これができた時に長期関係性が成り立つ。

海外の企業と日本企業の違いは、こうした長期関係性の有無だろうと思う。企業はまず、自社の事業の価値観をしっかり決め、そのために技術を磨き、社会に訴えていく。利益は、その後についてくると考えるべきだなのである。


これはウイルスと人類の、「感染」と「免疫」の「指数関数」の戦いである



「免疫食堂」は、オルタナティブなゲイジュツの形象。 その「最初の一歩」には、大きな勇気がいる。なぜなら、このような家アーキテクチャーは他に存在しないからだ。だが、その一歩は、社会を揺さぶるイノベーションの「大きな一歩」でもある。それを支えるためには、ここではファーストピープルが重要な役割を担ってくる。ファーストピープルと呼ばれる最初の「客」は、「免疫食堂」の理念の共有により、「客」と「演者」の境界をとりのぞき、作品を作り上げ、状況を劇的に変化させる重要な役割を担うのである。

パラダイムシフトを起こそうと思うなら ついて行く勇気を持ち 他の人達にも その方法をー示すことです スゴイことをしている孤独な「バカ」を見つけたら 立ち上がって参加する 「ファーストピープル」が重要な役割を担ってくる。「ファーストピープル」はみんなにどのように利用すればいいか示す役割がある。「ファーストピープル」はこの物語を共に発展させていく重要なフォロワーであり、エヴァンジェリストなのである。

これは、実はリーダーシップの一形態である。こんな風に目立つだけでも勇気がいり、最初の「客」の存在が 1人の「バカ」を リーダーへと変える。そして、2人目の「客」が現れ、 今や1人の「バカ」でも 2人の「バカ」でもなく、2人目 3人というのは集団であり 集団というのは周辺地域でニュースになり、運動が公のものになっていく。

多くの人が加わるほど リスクは小さくなり、 どうしようか決めかねていた人達も 今や加わらない理由はなくなるのである 。もう目立つことなく、 笑われることもない。 急げばコア集団に入れるかもしれない。やがて、みんな集団に入ろうとする。 加わらない方がかえって バカにされるからだ。

そして、この最初の「客」こそ、作品の黎明期において時間性を共有した最も信頼できるパートナーであると言える。

一つの「バウヒュッテ=家」において、一年に二人の「客」が自己学習で、自分の「家」を作る。これを繰り返していくと、20年で100万カ所、25年で3000万カ所になる。いわゆる「6次の隔たり」と言われる理論である。これは一人の場合であり、二人なら、三人ならどうだろう、つまり、このプログラムのスターターは、数人、数十人で充分である。

必ず一人で立ち上がること。お手手つないででは、この国の政治家や現代アートと変わりがなく、結局しがらみに巻き込まれて何も出来ないのは自明である。家族や友人は巻き込むべきではない。自閉的決意と自閉的展開、そして自閉的連帯を目指すべき。この立ち上がりの一人、数名、数十名のフォロワーが最も重要なのである。

免疫クラスターの「家」アーキテクチャーは1000人あたり3カ所を基本にしているので、日本で約30万カ所、東アジアでは約800万カ所、世界中で約2000万カ所ということになる。
新しく出来た二つの「家」アーキテクチャーは、新たに二つの「免疫食堂」を「インキュベート」していくことにより、指数関数的に展開していくというわけである。

私たちはすでに解決の入り口に立っているというのはそういうことである。

全ての人や物は6ステップ以内ですべてがつながっている。「六次の隔たり」、英語では「Six Degrees(シックス・ディグリーズ)」と名付けられたこの仮説は、スタンレー・ミルグラムの実験を裏づけとして広まったものだが、地球上の70億人全員が案外近い関係にあるというこの仮説は、多くの科学者を引きつけてきた。



「人類は滅ぶ可能性がある」



スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリ16歳の少女はスピーチの冒頭、「全てが間違っています」と切り出した。グレタにとって「彼ら」は人類を滅ぼす「新たな生物」であり、そのグレタのセカイ系の現実性の伴わない稚拙な主張は、良識ある「大人」たちから見れば16歳の子供の戯言なのかもしれない。

だが、「人類は滅ぶ可能性がある。ー僕たち人類は、1000年後、1万年後も、この地球に存在する生物の王として君臨していると思いがちですが、自明ではありません。1万年後、私たちとは全然違う生物が、地球を支配していても不思議ではありません。しかも、自然にそうなるのではなく、人間が自らそういう生物を生み出すかもしれません。うまくいけば人類は地球史上最長の栄華を誇ることができるかもしれないし、一歩間違うと、新たな生物に地球の王座を譲り渡すことになります。」

これは、16歳の子供の言葉ではない。ノーベル生理学・医学賞を受賞を受賞した山中伸弥教授の言葉である。

このままだと人類は滅亡する、その岐路に立っている。それは新型コロナウイルスが発生する以前の問題提起であった。それは、気候変動や環境問題だけではない、大きな電力を作り出すことができる原発、ひとたび事故が起きると甚大な被害が発生する。そして、遺伝子やゲノム編集やAIやロボット、シンギュラリティという科学の技術的特異点がほんとうに人類に幸福をもたらすのか、一人一人が深く遠く思考するディープシンキングのタームに突入しているということである。
だが、この未知のウイルスの登場により、現在文明社会のドラスティックな転換は否が応でも迫られている。
温暖化論争のような議論のための時間性は、人類には与えられていない。ウイルスは紛れもなく目の前に存在するのである。



解決するのは「形式知」ではなく、
「統合知」、そして「暗黙知」である。
つまり、ゲイジュツなのである。



「セカイ系」とは、保守やナショナリズムがリベラル系を批判するにあたり、日常を生きる普通の主人公がある日突然、危機に立たされた世界を救う救世主となるのが「セカイ系」と言われる物語の系譜を引用し、「デモ参加者たちは戦争の危機から救う主人公のつもりなんですかね。などと揶揄する。 また、「セカイ系」の特徴は、平穏な日常と「最終戦争」との間に中間過程がない。現実世界では、唐突にヒトラー政権が誕生するのではなく、画家志望だった青年の挫折からはじまり、一次大戦とミュンヘン一揆、ナチ党内部の抗争などといった中間過程がある」と自分たちこそは現実世界を理解している「リアリスト」だと鼻の穴を膨らませている。

「リアリスト」たちは、ごく私的な出来事と世界の終わりの中間にある情報を一気に省略するこの手法は、まだ小さな世界しか知らず、スケールの小さな危険と世界が終わるような大きな危険を直結しやすい「子供の感覚」として批判を展開する。

そして、「セカイ系」が発生した理由は、現代人が認知限界を越える量の情報に囲まれている多すぎる量の情報の全てを認識できなかったり、認識しようと情報を鮮明にすると却って理解できなくなったりする。そこで「セカイ系」は、情報を大きく省略することでしか描けなくなった、というのが「セカイ系」と呼ばれる論理の概略である。

だが、地球の生命活動やエコ生態系というコンテクストにおいては、「概念」はひとつである。人類は一つの「概念」によって生存活動しているという「公理」を獲得することが出来なければ、全ての「命題」や「定理」、「定義」などは何の意味も持たないのである。

自分の存在と世界の出来事が結びついていることを、今ほど鮮烈に実感できる時代はない。ごく私的な出来事と世界の終わりにつながりを見出せない、また、スケールの小さな危険と世界が終わるような大きな危険を直結できないのは決してリアリストなどではなく、「カラス以下」の脳の感覚としかいいようがない。


重要なのは「自己学習」と「自己表現」である。つまり、目の前で何が起こっていて、自分が何を起こすかということである。


「自己学習」による発達とは、外部の客観世界を正確に認知していくのではなく、環境世界に適応するように主観的な世界を内部構成していく過程に他ならない。要するに、現実に地上に存在するのは、個々の人間の『主観世界』だけなのだ。ゲイジュツにおいては、まずは「クオリア」に彩られた生命的な主観世界から出発しなくてはならない。

自分の「概念構造」にもとづいて行動してみて、うまくいけばそれでよし、失敗したら「概念構造」を変更する。ポイントは、所与の「概念構造」への一致は要求されない、という点だ。 つまり、「クオリアの問題」なのである。大事なのは、試行錯誤をつうじて周囲状況に『適応』することなのである。ここで『適応』というのは、何らかの行動をした結果を自分の世界イメージにフィードバックすることだ。

「ポスト真実」の時代においては、重要なのは、我々が見ている世界が、ありのままの現実の世界であるかどうかではなく、見ている世界が同じかどうかだ。同じ世界を見ていればコミュニケーションが可能となり、人とコミュニケーションがとれるということは、少なくとも、同じ「世界観」を共有している。世界は三次元空間からなり、自分はその世界の地面に描かれたラインに沿って走っていると認識しているわけではない。このことは、その生物にとっての世界は、その生物がどのように処理しているかに依存しているのだ。だから、世界を三次元空間として処理して初めて、世界は三次元空間として立ち現れてくるのである。



「免疫クラスタ」を形象しよう。
これが僕たちのコンセクエンスだ。

最も単純な「事実」を寄せ集めることから
始めてみようじゃないか。


今、私たちに必要なのは「統合知」である。新型コロナウイルスについては、疫学、医学、生物学的領域に留まらず、全体的社会的現象のフェーズに突入している。全体的社会的現象とは、社会集団の法的、倫理的、審美的、政治的、経済的な側面が一気に表れる現象で、いずれか1つには還元できない。

この未知のウイルス危機の主題は二つある。

一つは、この国の現在の感染者数は、おそらく数万人、数十万人存在すると考えるべきである。このウイルス感染の特徴は、世界中で感染を拡大させている人の正体は「元気で無自覚な人」なのだから。

そして、もう一つはこの国における致死率の低さだ。

その背景として、日本社会の特徴として、公衆衛生の概念が浸透しているとか、手洗いの習慣、マスク着用など生活様式を理由にあげられる。漠然と説得力を感じるストーリーだが、そうした社会の特徴だけで説明できるとは思えない。ましてや、感染経路の見えない多数の感染者が発生している現状では、クラスタ対策による封じ込めが成功しているようには到底思えない。

日本で致死率の低いのは、おそらく多くの場合、例え感染しても、「獲得免疫」が動く前に「自然免疫」が働いて、獲得免疫が動かないままウイルスを追い出してしまっている人が、かなりいるのではないかと考えるのが合理的である。

つまり、日本人は新型コロナの「自然免疫」をもっている。


アーユルヴェーダは食べる行為を、
私たちの個人々に宿る神に供物をささげる行為だという。

免疫活性とは、自然免疫細胞である「ヒト単球」をマクロファージに変化させる、エピジェネティックなゲーム。それは物質的身体(肉体)、アニマ体、意識体を持つ統合体のヒトとしての、オルタナティブなスポーツであり、芸術でもある。

政府の言う通りやってても、この国はいつまで経っても底は打てないし、出口はない。


『だったら、自分たちの手で証明して見せよう。
だからこそ、この素晴らしい新たな冒険に
僕たちと一緒に出発しようって、きみを誘ってるんだよ。

僕たちはとても混乱しながら探求を進めているんだ。でも、僕たちはこう確信しているんだ、このウイルスや災害の続く何年かは、なにはともあれ、僕たちが存在の新たな次元を発見することを可能にしてくれるだろう、ということを。

未知の新型ウイルスの危機的状況を打破するには、地球規模での〝食と家と地区の再構築〟の観点から、初発的に「家」の形象を全ての始まりにするべきなんだ。

「家」の強みは、それが存在の内部に生きているということ、存在を完全に包囲することができるようになるまで、そのどんな小さな欠片をも自分のものにすることができるということなんだ。』

この未知のウイルスと闘いを展開するのは、政府でも、学者でもない。そして、必要なのは批判でも、議論でもなく行動である。この国では、様々なデータ解析や予測が行き交っているが、共通するのは誰も闘わないということだ。

ゲイジュツは、自分自身を州や部族や国家の一員としてより前に、まず人類の一員なのだと考え、この信念に基づいて行動を起こす意欲を持ち、世界の大きな問題に挑んでいくことなんだ。ゲイジュツはどんな国にもどんな層の人々の中にも存在する。

ゲイジュツが国や行政を批判して、ただデータの解析や予測だけ出して、実際のモノを作らないのは卑怯だ、それだったら学者と同じである。ただ、現実離れした理想や抽象を描くのであれば、それは現代アートと何ら変わりがない。本来の芸術における表現とは、存在に依拠し、存在を変容させ、存在を生産し、存在を再生産する実践のことである。

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BoPボトムオブピラミッド〜免疫クラスターによる底辺の再構築。
この人類危機的な状況において、ガンジーなら「玄米行進」をやるはず。


必要なのは、底辺の再構築である。医療資源を重症患者に集中するためには、免疫クラスターを構築は私たちがウイルスと戦う唯一の方法である。

ウイルスには、毒性は強いが感染力は弱いものと、毒性は弱いながら感染力の強いものがある。前者はエボラ出血熱やSARS、後者は新型インフルエンザ、新型コロナウイルスは後者と言える。

新型コロナウイルスが風邪の症状を引き起こすウイルスということで、当初、インフルエンザと比較されることが多かった。ただ、両者の違いは新型コロナウイルスでは感染者の20%が重症化し、5%が人工呼吸器など高度な医療が必要になる点である。この重症化した20%の人が主な感染源になるが、感染しても症状がなかったり、軽い風邪症状で終わったりする残りの80%の人も他人に感染させる可能性があるという特徴を持っている。

新型コロナウイルスの特性は毒性は弱いながら感染力の強いということである。つまり、エボラ出血熱やSARS、ペストなどとは異なり、人間の持つ免疫力により感染に対する効果が少なからず期待できるということである。


ゲイジュツにとっては、コンセクエンスが全て。つまり、結果を出さなければ意味はない。


知識や技術とは没交渉だ。もちろん、最初に泳ぎ方を覚えたら、あとは全て自己学習と実践しかない。メッセージがあるとすれば、泳げるようになったら、あとは泳ぐだけ。僕たちのゲイジュツは繰り返し、繰り返し、繰り返す〝アンストッパブル〟な日常の具象なのである。

そして、「ゲイジュツ」はいかなる具体的存在も必要とはせず、価値創出のすべての決定に対して、つねに先んじるのが「ゲイジュツ」である。
このまま社会に具体を示さない「ゲイジュツ」を続けることは、未来に対して新たな贖罪のアクチュアルを負うことになる。

つまり、未知のウイルスとの闘い、これは「ゲイジュツ」の仕事なのである。

まずは「免疫食」を体験して欲しい。そして、免疫活性が実感出来れば、自宅で実践し、大切な人のための「免疫食堂」を展開するべきなのである。

逃げることもできる、見ないこともできる、だが、助けることもできる。全ては「表現の自由」だ。
僕たちは、この世を、めいめいが何か一役ずつ演じなければならない舞台だと思っている。
僕たちはようやくこの問題の核心にたどりつくことができたんだ。

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コロナデフォルト〜一度、原点に戻ってみようじゃないか?
ウイルスを支配する人間は、人間の生命力という存在を心から信じている。


「社会のなかには、虚構=フィクションによってしか解決できないことがある」〜ウイルスを支配する人間は、人間の生命力という存在を心から信じている。

2020年、日本ではウイルスに支配される人間とウイルスを支配する人間との分岐と合流の時代だった。この国の政治家、科学者、法律家は、ウイルスに支配される人間だった。

ウイルスを支配する人間は、ウイルスに支配される人間の因果律による硬直的な思考法によるアプローチは行わない。もし、ウイルスに支配されるとウイルスに支配される人間が一対一で戦ったら、ウイルスを支配する人間はウイルスに支配される人間に勝つことはできなかっただろう。だが大規模の争いになったら話は別である。

勝つのは確実にウイルスを支配する人間だったはずだ。なぜなら、ウイルスを支配される人間は、面前の「データ」に反応するだけで、「虚構」をつくる力をもっていなかったため、未知のウイルスに対して、大人数が効果的に協力できず、急速に変化していく問題に社会的行動を適応させることもできなかったからである。

ウイルスに支配される人間は過去のデータや処理結果をふまえて「論理空間」を組み立て、そこで未来のデータ処理方法を決定する、つまり、「過去」によって完全に規定されている。
だが、ウイルスを支配する人間の勝利は歴史の必然だった。その理由についてウイルスを支配する人間の認知的能力に大きな変化が起こったからだと考えられる。

進化論を唱えたダーウィンは、「この世に 生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでも ない。それは、変化に対応できる生き物だ」という考えを示している。この「認知革命」によるウイルスを支配する人間はウイルスに支配される人間に変わるコミュニケーションを手に入れ、言語映像などのコンテンツ表現能力を獲得した。

「虚構」、すなわち架空の事物についてフィクションが語れるようになったのである。
ウイルスに支配される人間とウイルスを支配する人間の対決は、デモや暴動などの衝突によるものではなく、実にシンプルな決着だった。ウイルスに支配される人間にとっての最大のフォーカスは「覚悟」であった。

ウイルスに支配される人間は、その「覚悟」もなく、正常性バイパスにより、「騒ぎすぎ」、「感染しても死ななかったらいい」などという、マインドコントロールに狂奔した。だが、ウイルスとの戦争をリードしたのは、ウイルスに支配される人間ではなくウイルスを支配する人間だった。ウイルスを支配する人間は美しい「嘘」をつくことによって 、本当のように見える「虚構」を創り出す。真実を別の場所にずらし 、その姿に別の光を当てることができる 。そして、断片的で混沌とした不可知な世界を描こうとしたのである。

真実をそのままのかたちで捉え 、正確に描写することは多くの場合ほとんど不可能だ 。だからこそ、真実をおびき出して「虚構」の場所に移動させ 、「虚構」のかたちに置き換えることによって 、真実の尻尾を捕まえようとする 。しかしそのためにはまず真実のありかを 、自らの中に明確にしておかなくてはならない 。

いちど共通の「虚構」さえ獲得してしまえば、ウイルスを支配する人間は途方もない力を発揮する。誰もがその存在を信じている「虚構」は、共有信念が崩れないかぎり、社会のなかで力を振るいつづけるからだ。たとえば、呪術師のほとんどは神や魔物の存在を本気で信じているように、ウイルスを支配する人間は、人間の生命力という存在を心から信じている。




2020年、「免疫食堂」、始めます。

ホームエレクトロニクス・カフェ0357
HECP Home-Electronics Cafe Program


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