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「ああでもなく こうでもなく」 橋本治

雑誌「広告批評」で連載されていた時評コラム。
1996年12月〜1999年8月、作者(=橋本治)が50歳前後の時期に書かれたものが収録されています。

私が最初に橋本治の名前を知ったのがこの連載なのだけど、新書でベストセラーになった「上司は思いつきでものを言う」(2004)で知っている人も多いかもしれない。


芸能ネタから

(太字=傍点表記)

現代における離婚の最大の理由は、「もう結婚生活を続ける意味がない」で、その状態に至る理由は、ない。

 「どういうきっかけで、“もう結婚生活を続ける意味がない”という状態に至ってしまったのか?」と問われると、そこには“特別な理由”というものがなくて、かえって逆に、「よく考えるとはじめからなんの意味もなかった」なんてことになってしまう。これは、「そういうもんだと思っていたからそういう風にしたが、よく考えたら、私にははじめからそういうことをしたい理由がなかった」という、結婚以外にもいくらでも適用される現代の“根拠薄弱症状”につながる。「よく考えたら、就職なんかしたくなかった」とか、「よく考えたら、大学になんか来たくなかった」とか。

 よく考えると“現在”というものがなんにもなくなってしまうのが現代で、だからフツーの人達はなにも考えないようにしているのである。フツーの人達は、「うっかりものを考えると厄介なことになってしまいそうだから、“考える”という方向へ行かないようにしよう」と考えていて、カラオケとかパチンコとか飲み会とか、思考停止を図る方向で時間を浪費させるものが巨大産業として成り立っているのが、現代のニッポンなのである。

p33 松田聖子は———

「タイタニック」で感動するための条件としては、「ヒロインと同年か、あるいは年上」という条件が必要になる。なぜならば、この映画は「欠落している自分の記憶を埋める映画」だからだ。「もう通り過ぎてしまった」という前提がないと、この映画の感動は訪れない。
ということは、日本には、「自分は重要な記憶を欠落させている=自分は重要な体験を体験していない」という種類の欲求不満に悩む女性が五百万人いるということになる。

「本来だったらあってしかるべきなのに、私にはその記憶がない」という悩み方、あるいは欲求不満を抱えた女というのは、実のところとんでもなく多いんだなと、私は勝手に思う。

p397 ああ「タイタニック」……

よく「〇〇症候群」みたいな造語を使う人がいるが、それは使わず「症状」と書いてあるのが大変良い。

「欠落している記憶を埋める」で思い出したのが、学園系の作品が好きな友だちが「自分はこういう学校生活を送りたかった(のに叶わなかった)からフィクションで補完している」と語っていたことがあって、妙に感心した記憶がある。


江戸時代のドラマ

 江戸のドラマの“解決”というのは、誰かが自分の責任を理解して自害する、誰かが身をひくために出家するという、この二方向しかない。そういう単純な解決法しか提示しないドラマを見て、観客は「可哀想……」と涙を流す。構造はチャチだけれども、しかし観客は、「ある方向の提示」がそこにあるからこそ、涙を流す。つまり、かつての日本人にとって、ドラマとは、「解決の道を探る」だった。だから、これがきちんとしていない限り、人は舞台を見て感動したりはしなかった。解決策を放棄して、登場人物が呆然自失のままで終わるドラマなんて、昔のお客さんは許さなかったということです。

p411 ドラマ論

江戸時代の文化の解説は「たとえ世界が終わっても」にもあった。
・管理社会なので調和を乱さない=我慢することは美徳
・あからさまな自己主張をするのは悪役

ところで江戸から飛んでエヴァンゲリオン(テレビ版)について言及されている箇所もありました。

「“テレビは未完のままだ”って言うけど、ちゃんと終わってるじゃないか」と思いましたね。時間が足りなくてちょっと駆け足になってるけど、あれはあれで“終わり”でしょ。
(中略)
「現実を見なさいよって言われたって、どう見りゃいいのか分からないし、どうすりゃいいのかも分からない」は、もうずーっと以前から続いているはずのことで、アニメ業界は、黙ってそういう人間を“お客さん”として受け入れてきた。でも、もうそういう「出口のなさ」が、作る方でもうんざりなんだろう。「健康だよな」と、私はエヴァンゲリオンのテレビのいかにも唐突なラストを見て思いました。

  p135 アニメの不幸


主体思想と平安時代

▶️ 主体思想の黄長燁(ファンジャンヨブ)が亡命したとき、彼について「金正日の家庭教師で、国家の序列は26番目だが本当はNo2くらいの大物」のような説明がなされた。「日本であれば〇〇みたいな人」という説明がしづらく、全体主義国家には思想的元締めが居るが、日本にはそういうものは無いという話。

▶️ ナチスであればゲッペルスが宣伝大臣をやっていたが、軍国主義の日本にこういう存在がいたかというと、いない。
江戸時代の儒学者、林羅山を開祖とする林家がそれにあたるかもしれないが、朝廷と幕府で別れていたため北朝鮮のような一元的な“国家序列”というものが成り立たない。しかし平安時代にはそういったものがあった。

▶️ 平安時代の政治機構は2つに別れており
・神祇官=神道の宗教儀礼をつかさどって、全国の神社の神官を統率する
・太政官=行政・立法・司法を担当する

祭政一致の当時、神祇官は太政官の上にくることになっていたが、不思議なことに身分制(正一位とか)で見るとねじれがある。
太政官トップの太政大臣は正一位か従一位(身分制度の1番目か2番目)だが、神祇官トップの神祇伯は従四位の下で、これは「上級貴族」にも入らない。(上級貴族は三位から上)

 平安時代に、朝廷は神社の総元締めのようなもので、神社の神道は仏教との間に一線を引かれていた。それが、仏教が強くなり朝廷の力が弱まってくる平安時代の終わり頃から、本地垂迹(ほんじすいじゃく)という形で神仏混淆が始まる。神社はそういう形で説得力を売って、それぞれの地方に割拠している勢力をパトロンとして取り込んでいく。明治時代になって、もう一度平安時代のようにすべての神社を国家が掌握しようとした時、この神仏混淆を当然とした神社のあり方を正さなければならなくなった———少なくとも、明治政府を作った人間達はそう思った。神祇省が教務省になったのはそのためだ。
 日本中の神社は教務省の指導の下、明治政府が望むような方向に形を変えた。この“指導”がわりと短期間で終わってしまったから、教務省という独立した省は、内務省の寺社局というものに縮小される。そういう点でも、日本人は呑み込みが早い。明治政府は国家神道というものを整備して、やがて日本はこの国家神道を前提にした軍国主義の道を歩くようになる。だから、その思想的な中枢となる神祇官=神祇省=教務省=内務省寺社局はどんどん大きな組織になっていってもいいはずなのに、そうはならなかった。事実はその逆だった。日本人は、自分から積極的にある思想状況に参加していってしまう———そうやって「方向」を作るから、この日本には黄長燁的な「思想のリーダー」は必要じゃないのだ。
(中略)
日本では、黄長燁的な人物の存在する余地が、平安時代で終わっている。国家神道という思想的な統制が進んで行く明治時代の初めに、もうそういう人物が登場しなかった。

p117「方向」ね———

神仏混淆(しんぶつこんこう)↓

「禅と戦争」を読んだとき個人的に気になってた、明治よりも前の日本の宗教(神道+仏教)について色々書いてあったのでメモを兼ねて。官僚制度が平安時代の朝廷っていう説明もあって、それも面白かった。


その他

1997-1999年ということで、アジア通貨危機、山一證券、大蔵省の不祥事、長野オリンピックなども登場します。

第九の歌詞ってすごいでしょ。「本当の友達がいないやつはここから出てけ!」ってそういう歌詞だよ。あれはフランス革命後の、共和主義対反動勢力の間で揺れ動く時代の音楽ですね。だから、「友」に最大の価値を置いてる。「君主への忠誠よりも、真の友を!」で、君主の力が強かったから、それに対する「真の友」への謳い上げも強い。だから、ファシズムの恍惚感と第九はよく合うんだ。

p278 とっても風変わりな、体当たり長野冬季オリンピックレポート!

ジジェクのイデオロギー映画でも、ベートーベンの第九が共産主義国家に好まれたという話が出てたような。

そんなに追いたてられるように、「豊かになりたい」って思うのはなんだろうというのはあるよね。結局、根本が満たされてないから、そんなあせり方をするんだと思う。すべては人間がやっているんだから、人間のヘンな欲求不満や気がかりがある限り、どんなものでも歯車が狂っていくというのははっきりしてるでしょう。

 事態はそんなに簡単に解決なんかつかないけど、それは当たり前のことで、「簡単に解決がつかないのはダサイんだ」って考え方はしないほうがいいと思う。生きていくうちにはなんとかなるし、生きていくということはなんとかしていくためのプロセスなんだから。

p161 基地とようかん

江戸時代についてはこちらのnoteも↓

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