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主 (ぬし)さん|短編小説|幼いころ山里の祖母の家で起きた奇跡は家の守り神のおかげ?

            主(ぬし)さん
                          くれまさかず
           
「里子、駄目よ、おばあちゃんのベッドに飛び乗ったりして、おばあちゃんは病気なのよ」
里子は隣の部屋にいたお母さんに叱られました。
祖母の秋子はマットレスのスプリングの揺れで目が覚ましました。足元の掛布団の上に、ちょこんと座って心配そうにこちらをのぞき込んでいる孫の里子が見えました。
「何だ、里子か、てっきり主(ぬし)さんかと思ったのに……」
 祖母の秋子はそう言うと如何にも残念そうな顔をしたので、里子は興味をそそられました。
「主さんて、誰のこと? おばあちゃん」
「主さんかい、主さんはね……ずっと昔からこの家とおばあちゃんを守ってくださる大切な神様だよ」
 秋子はそう言うと天井を見上げました。そして歳月を重ねても色あせることのない遠い昔のあの出来事をまた思い出しました。
(そうよ、あの時も私はここでこんな風に寝ていたんだわ。そして「主さん」に出会ったのよ)

 秋子は幼いころから病弱でした。小学校に入学した年には学校生活や環境の変化に付いていけなかったのか、ひどい喘息の発作におそわれました。
その後は体調が悪くなるたびに喘息を発病し、秋子は胸の中でヒューヒューと隙間風が吹いているような音を聞きながら床に伏せる日が多くなりました。
お医者さんからは、名古屋の街中の濁った空気が良くないと言われ、夏休みを利用して母の実家がある飛騨の山里に行くことになりました。
しかし、慣れない汽車の長旅のせいか、秋子は飛騨に着いたその日にまたひどい発作を起こしてしまいました。そして、そのまま寝込んでしまいました。
何日か経ったある日、秋子が寝ている布団の上に、ドサッと何かが天井から落ちてきました。目が覚めて体を半分起こして足元を見ると、掛布団の上には灰色の太くて長いロープのようなものが乗っていました。そしてそのロープのようなものは秋子の掛布団の上でゆっくりと動き出しました。
秋子は薄い掛布団越しに自分の足の上を滑るように動いているものを不思議そうに眺めました。そしてそれが以前本で見たことがあるヘビだとようやく気が付きました。
「キャーッ」
 秋子は喘息で息苦しかったことも忘れて大声で叫びました。
「あれま、主さんが秋子のお見舞いにお出ましだね」
 秋子の悲鳴を聞いて駆け付けた祖母のハナが、布団の上を這っているヘビを見て言いました。でも恐ろしさで顔がこわばっている秋子とは対照的に、まるでその光景を喜んでいるようにうれしそうな表情でした。
「おばあちゃん、アキコ怖い!」
「大丈夫だよ。このヘビさんは家の守り神さまだ。昔からこの家に棲んでいて、家や人を守ってくださっている。今も秋子が病気で苦しんでいたので助けに来てくださったんだよ」
 この山里では昔から家に棲み着いたヘビを『屋敷廻り』とか『屋敷神』などと呼び、決して追い払ったり危害を加えたりせず、大切にしていました。
 ゆうに2m近くもある大きなヘビは悠然と秋子の布団から滑り降りると、ハナの足元を通って広縁に出ていきました。
掛布団越しに自分の足を撫でるように這って行ったヘビの重みや感触を、秋子はいまでも覚えています。
その日を境に、秋子の喘息の発作はぴたりと治まりました。田舎のきれいな空気が良かったのか、滋養のある食べ物が効いたのか、又はゆったりと流れる山里の生活の流れが秋子の体のリズムに合ったのか、とにかく一夏ですっかり元気な体になりました。
祖母のハナは家の守り神の主さんのおかげだと、中庭にある小さな祠にお供えの生卵を欠かしませんでした。
 秋子は主さんが卵を呑むところは一度も見たことはありませんでしたが、お供えしてしばらくするといつもなくなっていました。

 その後、秋子は女学校に入るまで、毎年夏の間の幾日かは飛騨の山里で過ごしました。そして訪れるたびに、屋敷のあちらこちらで主さんに出会いました。でも一番よく見かけたのは、囲炉裏がある部屋の高い天井に掛かる梁の上から下を見下ろしているところでした。その姿は祖母のハナが言う通り、家の人々を見守っているようでした。
 健康な体になって年頃の娘に成長した秋子は街中の生活にもすっかり馴染んで、祖母のハナのお葬式の日を最後に、その後は飛騨を訪れることはありませんでした。そして最後に主さんを見たのもハナのお葬式の日でした。主さんは葬送のとき、まるでハナを見送るように屋根の上から見下ろしていました。
 ハナが亡くなった後、飛騨の家は長い間空き家のなっていましたが、数年前に秋子が譲り受け自分の老後の住まいしたのです。
 飛騨に越してきた初日、秋子は主さんを探しましたがどこにもいませんでした。きっと住む人がいなくなったので主さんも何処かへ去ってしまっただと思い少し寂しくなりました。秋子が住むに当たってはあちこち修繕の必要がありましたが、それでも主さんが戻るかも知れないと改築は最小限にしました。
 秋子が飛騨に移り住むようになってからは秋子の子供たちが孫を連れて遊びに来るようになりました。
 秋子もずっと昔になくなった祖母のハナと今は同じ年代になっていました。
 そして数日前に秋子の娘が孫の里子を連れて遊びに来ていたのですが、あいにく昨日から体調を悪くして床に就いていたのです。

「ふーん、それで里子がおばあちゃんのお布団の上に飛び乗ったから、また主さんだと思ったのね」
「がっかりだわ」
 秋子は久しぶりに主さんのことを思い出し、懐かしくてまた有難い気持ちになりました。   
 あの時の主さんの重みもこれくらいだったかしらんと布団の上の里子の重みを確かめました。
 そして、主さんとの出会いを孫の里子に話して聞かせました。

「ヘビさん、怖くないの?」
「初めて見たとき、ちょうど私が今の里子くらいの歳だったけど、その時は怖かったわ。でも、ハナおばあちゃんが怖くないって教えてくれたの。だから、私も里子に教えてあげる。ヘビさんに会っても怖がらなくてもいいのよ。そっとしていればヘビさんは悪さをしたりしないし、反対に何か良いことをして下さるのよ。だからヘビさんを苛めたり、酷いことをしたりしてはだめよ」
「おばあちゃん、また主さんに会いたい?」
「会いたいわ」
「里子も会いたくなった。会って主さんにお願いするの、もっと駆けっこが早くなれますようにって。そして、おばあちゃんの病気もまた主さんに治してもらいましょ」
「これっ、里子、いつまでおばあちゃんのお布団の上に乗っているの。おばあちゃんが息苦しくなるじゃない、早くベッドから降りなさい」
 里子はまた母に叱られました。
 秋子は幼かった日に、喘息で息苦しかったことを思い出しました。そしてあの日、主さんが足の上を這っていった時、自分の足に感じたその重みが、今上にいる里子の重さとやはり同じくらいだったような気がしました。
(案外、今の私には里子が主さんかも)
「里子、大丈夫よ。おばあちゃん、明日になったらきっと元気にるわ」
 秋子は天井を見上げながら微笑みました。

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