感動ってどうしたら出来るのだろう

感動、してますか。
タイトルからお察しの通り、僕は感動していません。

fin…。

ちゃうねん。したいんですよ感動。別にそんな心無い殺戮マシーンみたいな性格してるとかじゃないんですよ。殺伐とした生き様の中に友達という一筋の光を見つけて、「トモ…ダチ…?」言い出すぐらいの感動をしたいんですよ。何言ってんだ。
だって感動って絶対大事なんですよ。
およそ創作のことしか考えてないワタクシの思うには、人が感動するポイントって絶対こう、キーというか、その情景、そのシチュエーションにはなんらかの心に訴えかける何かがあり、創作を通じてメッセージを伝えるヒントとかなんというか色々あるじゃないですか。あると思うじゃないですか。何故なら僕には感動がわからないからこれくらいの曖昧なことしか言えない。

以前Twitterで流れてきたとあるツイートがありまして。既にそのツイートは消されてしまっているんですけど、なにやら俳句の入門書に書いてあった一文、とやらを引用していたんですね。
曰く、

心を取り戻せ
 たいていの俳句の入門書には「思ったこと、感じたことを正直にそのまま写し取りましょう」てなことが書いてある。なるほど、確かにそうだ。読んだ側も、それなら簡単だなと納得してわかったようなつもりになっている。でも、ちょっと待てよ。こんなアドバイスで俳句が上達した人を俺は知らない。いたとしたら、よっぽど才能を無駄使いしていた超変人だろう。
 いいか、よく聞けよ。お前らの問題は俳句の作り方がわからないことじゃないんだ。
お前らは感動の仕方がわからないんだ。

わかりませんっ!
この文、なんて本の引用なんでしょうかね、知りたいし買いたいんですが。
いやその、感動できる勢にはもしかたら信じられないかもしれないんですけど、感動できない人って案外居ると思うんですよ。何故なら僕がそうだから。居てくれよいっそ。頼んだぞ。

そもそもまず、感動とはなんでしょうか。

かん‐どう【感動】

〘名〙
① 強い感銘を受けて深く心を動かすこと。
② 人の心を動かしてある感情を催させること。
③ 他からの刺激に反応すること。作用を受けて動くこと。また、動かすこと。
コトバンク

自分の心を動かしたり他人の心を動かしたり…。
動かして…ないですね…。

そう、心を動かしてないんですよ。
多分なんというか、素直に自分を出すのを心のどこかで躊躇してるんですよ。何かが怖くて。周りの反応とか。小さい頃めちゃめちゃ父親に怒られたしその辺。
最初の引用の1行目、心を取り戻せというのは的を射ていて、そういった過程の中で、どーせ僕はダメなやつで、他の方々は僕と違って立派な方たちばかりで、感動的な物語も彼らだからこそできたことで、僕とは関係ないことなんだ、と思い込んでいく。
つまり物語を他人事として見ているんですね。
そこに至った経緯はともかく、他人事として見ているのって一つの鍵なんじゃないかと。
はー、ほえー、ふーん、すごいなぁー、良かったねえ、うーん観終わったぁーくらいの温度感だと感動もクソもないですよね。いつもそれくらいの温度感なんですけど。
とはいえ、自分と全く共通点のないキャラクターの物語を自分ごととして見るのは無理です。さっすがに無理です。世の中の人達この辺どうやってんの。多分こんな考えなくとも自然と出来ていることだから言語化なんて必要ない域にいるんだと思いますケド…。

ちょっとこの辺、友人に聞いてみたことがあります。どういうメカニズムで感動してんの?と。
曰く、まず共感から入り、そして触発されたり、尊敬したり、憧れたり、希望を持ったり、感情移入したりと、そういった感情が混ざって感動に繋がる、と。
どうやら一口に感動と言ってもその中の成分は色々あるようですね。
多分なんですけど、なんとなく物語の登場人物と自分との共通点というか、なんか理解できる心の動きに共感するところから始まっているのかな、と思います。
この辺入り方が僕の場合は全然違っていて、そもそも他の人々は僕とは違ってちゃんと立派に生きているのだから僕なんかと一緒に考えてはいけない、ぐらいのところから入るんですね。
あ、いや、今はね!もうちょいね!マシな考えしてますよ!意外と他の方々も不自由な生き方してたりね!みんなもたいへんだよね!段々と人間のことが分かってきたからね!まぁ人間のことが分かってきた勢いで前回の記事みたいなプロファイリングみたいなことを面白がってしちゃうわけですが。

まぁまぁ、そんな感じなので、単なる直感で共感はできないんですよ、あくまで僕の場合はですが。
だからもう徹底的にそのキャラを見る。
見る。
見る。
めっちゃ観察して、共感できると確信したらやっと共感する。
んむ、わかるよぼっち…!(ぼっち・ざ・ろっく!より)

さて、共感はとりあえずクリアしたとしましょう。これでようやく感動の入り口に立ちました。
まだ入り口なんですよねぇ…。
次に必要なのは感情の解放だと考えています。
我慢しない。いや、なんだろう、我慢しないは言い過ぎかもしれませんね。
滂沱の涙を流すとか、そういうレベルまで行くと確かにそうなんですけど、多分今の僕の状態だといきなりそのレベルまでは行けないんじゃないか。
むしろなんというか、感動できる心の下地を作っていくことの方が大事なんじゃなかろうか。
小さな感動ってあると思うんですよ、多分。
こういうのいいなぁって思うくらいの、だいぶ穏やかな感動が。まずはそれくらいから、素直に出していくトレーニング。
いやぁーまぁ、ちょっと補足しておくと別に感情の解放を我慢しているかっつったら正確にはそうじゃなくて、ほぼほぼ無意識に押し殺してる感じなんですけどね…。

そもそもこんな感じで、どうしたら感動できるのだろうとか考えてるようなやつは感動できないんですよ。こういったことを自然にできるようになるのが必要なんですよ。
多分!なぜなら僕には感動が分からないから推測するしかない。
でもなんというか、感動しました!!って言いながらめちゃめちゃ泣いてる人とかって、考えてないですよね。いや悪い意味じゃなくて。思考よりも先に感情が押し寄せてきてますよねきっと。これはもう感動した理由を言語化うんぬんとかそういう次元の話じゃないじゃないですか。むしろ言語化しようものなら冷静になって感動って薄れるじゃないですか。感動って…心じゃないですか…。
そうだよずっと言語化しまくってるから僕は基本的にずっと冷静なんだよ、そーだよそーーーーなんだよなーーーーーーーーー。
え?生き方を変えるしかないです?マジ?

まぁまぁ、言語化せずに心で感じるトレーニングをしていくとか、そういうことをする必要がありそうですね…。自分で勝手に自分なりのやり方を見つけてしまっているので、この辺詳しい方もっといいやり方あったら教えてください。

そもそも。
普段どういう作品に共感してる?というところも見ていきましょうか。
ここ最近で好きだな、と思った作品は小林さんちのメイドラゴン、ルリドラゴン、ぼっち・ざ・ろっく!…それくらい…ですかね…。
これらの作品って激烈に感動するというよりは、穏やかに「いいなぁ」って感想を持てる作品なんですよね…でもそんな物凄くドラマチックな作品になると全然同意できなくなっちゃうんですよね…まぁこれは今現在は無理だけどってことにしておきましょうか…?
300年封印されし邪龍ちゃんと友達になりましたとか、ぼっちの僕に強制彼女がやってきた、あたりは今後の展開に期待したいんですよね、はてさてどうなるかなぁー。
でもなんというか、僕と似たような性格の人が書いた物語ってけっこう同意できると思うんですけど、僕と似たような性格の人って人をバチバチに感動させる物語を描くのって多分苦手寄りなんですよね、基本的には穏やかな世界観が好きというか。まぁまぁ、その辺はいくらでもやりようがあるので別にいいんですが。原作と演出で人を分けるだとか。あるいは色々勉強して描けるようになるだとか。

持論ばっかりってのも説得力無いし、そもそもひとりよがりな考えだよな…とか思ったのでちょっと見かけたもののリンクとか貼っておきますね。
感動のメカニズムについての論文ですね。3章で喚起の順番の話をされています。これを見ると共感が最初ではないものの、早い段階で起こっていることが分かりますね…やっぱそうだよなぁと思う次第です。前のめりな興味みたいなのは必要だろうなー。
そしてもう一つ、

これまで見てきたように、感動のメカニズムには①人は自分に関心のあることにしか感動しない。②感動は不快の情動が快の情動に転換するときに発生する。という二つの原則があります。
感動創造研究所

感動創造研究所というサイトでも面白い話をしてますね。
やっぱ関心は絶対条件なんだなぁー。
不快の情動が快の情動に転換、とはなんだろう。
リアル・コミュニケーションの場と感動という項目で実例を書いてくださっていますが、確かに悲しんでいたシーンが喜びのシーンなどに変わると嬉しいだろうし感動するんだろうなと思います。ふーむ。

感動を実体験として理解してなくても、ロジックを理解していれば創作上で再現可能…?なんていう悪魔の囁きが聞こえましたが、多分そういうのは細かいところでボロがでるので…そもそも理解もできてない、心を込めて描けないようなもん描いてもたのしくないですしね。
まぁまぁ、とりあえずこんなところで。色々とっ散らかった気はしますが、一応思考は整理できたかなという気がします。多分目の前の事象を冷静に見てるうちはできないんだろうなぁー。

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