デザイナーだった頃の話
成ると決めたものには全て成ってきた。
その一つがデザイナーだ。
「なりたい」じゃなくて「なる」。
「やりたい」じゃなくて「やる」。
「すべき」じゃなくて「したい」から「する」。
20年もの間一つの世界にどっぷり浸かれたのは「好き」という魔法だった。
/ファッション高校の特待生試験に受かった時、面接官に言われた言葉。
「ファッションの話をするときに、あなたの瞳が輝くのよ。」
「通常だと特待生の枠外なんだけど、可能性を感じたのよね。」
/同級生に15年たった後で言われた言葉。
「当時からお前はきっと将来、ファッションの世界でやっていくんだろうなって感じてたよ。」
ファッション業界入り立ての私
寝なくて幸せ。寝たいとも思わない。時間という感覚がなくなる。
主役でなくていい、スポットライトにあたる人たちを支えるパーツの一つになっていたい。バックヤードでカーテンコールをみている立場こそ、充実感を感じる。生きている?生き生きしている?そんなの考えもしない。
ただ、完成させたい。もっと出来る。もっと造れる。もっと輝かせる。
この沸き上がる思いを人はパッションと呼ぶのだろう。
この思いは20年消えなかった。20年間、魔法は続いたのだ。
楽しくてしょうがないから、アイデアは尽きない。着てみたい。着せてみたい。頭の中でシーンとモデルと景色が、映像を作り上げる。
これも試してみたい。このパターンはどうだろう。こっちは。
ステッチ一つもデザイン。素材と糸と色とディティール、パターンという構図と仕上がってきた時の洋服のもつ雰囲気。袖を通して命が吹き込まれる瞬間。どの瞬間も愛してやまず、夢中だった。
「やりきること」ができた。夢中になれることに出会えた。
これが私の財産だと思う。経験と呼べる私だけのもの。
この経験に到達する為に必須であり、最も大切だったことがある。
それは探す事。
「夢中になれる好き」を見つけるまで絶対に諦めなかったこと。
「何もないまま終わる私じゃない」と自分を疑わなかったこと。
探せば必ず見つかる。
見つけたあと、魔法がどのぐらい長く続くかは重要じゃない。
あなたが、どれだけあなたらしく「好き」に没頭できるか。
そうしたらね、自然に、勝手に、当然のように、あなた自身が輝くよ。
それは人生における楽しみ。
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