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ジブンドリブン

これを読んでいるあなたはどんな職業の人だろうか?
学生、サラリーマン、ミュージシャン、さらにそれを細分化すれば、肩書きレベルまでブレークダウンすれば実に様々な人達が世の中に存在する。

では、その中で本当にやりたいことをやれている人はいったい何人いるのか。
夢を叶えた人、家業を継いだ人、はたまた夢を叶える道程に身をおいている人。

一日8時間、人生の1/3を仕事が支配している。それならば、誰しもやりがいを感じられる仕事をしたいと思うのが自然だ。誰だってイヤイヤ一日のほとんどを仕事になんか費やしたくないだろう。かくいう私だって同じだ。

でもそれを実際にかなえている人は果たして何人いるのだろうか。家業を継ぐことが運命であるかのように育ってきた人、生きるために働く人、何かに属して安定した生活を送りたい人。

職業を選択する上で、

「ジブン成分」

が占める割合は哀しいかなほんの一握の砂ほどしかないものだ。
当たり前の話だが誰しも最初からやりたくない仕事の中から自分の進む道を選ぶ人などいないと思う。小さい頃から夢見てきたこと、自分が好きでやっているスポーツ、音楽、趣味を生業にできたらどんなにいいかと考える。

ところが、現実はどうだ。プロの歌手になりたくてバンドをやっている人、小説家になりたくてフリーターをしながら作品づくりに励む人。
そんな人たちに吹く風は残酷なほどまでに生ぬるく飼い殺し生殺しにする。鋭く冷たく心を薙ぎ倒そうとする。

定職に就きなさい
いつまで夢みたいなこと言ってるの?
そんなんできるわけないじゃん
年取ってからどうするの?老後は?

前から後ろから横から、どうにかこうにか鳥籠に押し込めようとする。

夢見たって叶わなければ意味ないよ
努力したって誰でも報われるわけじゃない
いい加減現実を見たらどうなんだ

そんなタニンの言葉にどんどん「ジブン成分」は薄まっていく。実際お金がなければ生きていけないし食べていかなければひもじいしさもしい。
安定した収入、充実した福利厚生、傍目から見た地位。名声。
確かにどれも軽視できない代物ばかり。

だが、考えてもみてほしい。
そのあたかもそれしか選択肢がないかのごとく現実を突きつけてくる言葉は

ただ自分の人生が間違っていない、ちゃんとしている、そんな自分は生きている価値がある、と思いたいが為に自分より小さな鳥籠にあなたを閉じ込めたいがために過ぎないかもしれないのだと。


中には、本当にその人のことを思って言葉をかけてくれる人もいると思う。
自分に近しい人がひもじい想いをしていたら辛いし、心配だから。

その人たちのために安定を求めるのもひとつの答えだ。なにも間違ってはいない。

それがジブンで導き出した答えなら。

でも、あえてそこで私は問いたい。

いまのあなたは本当の自分ですか?

あなたの人生のレールを敷いたのは誰?自分で決めているようで選ぶ勇気から、答えを出すことを恐れて曖昧なまま生きてない?と。

そこに"アナタ"は本当に存在していますか?

周りの誰かじゃない、”アナタ”にとって大事なものってなんですか?

この問いにあなたは即答できますか?

それとは逆に、今自分の夢を叶えて生業にしている人達はどうだろう。

これは断言してもいい。

その人たちは全力であなたの背中を押してくれるはずだ。

どんなに自分が辛くても、悲しいことがあっても、忘れられない過去があっても、その人たちは周りをそれに引きずり込むようなことはけしてしない。
むしろ、そうならないよう、皆が笑顔でいられるよう、全力で”アナタ”の肩を抱いて共に歩いてくれるはずだ。

それは何故か。

タニンが出した無機質な結果ではなくジブンで出した答えのもとに生きているから、ジブンの頭で考えて、ジブンの足で辿り着いた景色を知っているから、「セカイはこんなに広いんだ」と実感が持てているから。ジブンの両の目でそれを見てきたから。

そういった人達の絵や、歌や、曲や、演奏が何故ひとを惹きつけるか。それは根底にはジブンが確かに存在していて、それが周りから見るとジブンにないものを持っている、ジブンの考えと共感出来る部分があると感じ取れるからだと思う。

歌に例えて言えば「誰かが聴きたいであろう音楽」「こういうの好きだよね?作ったよ」という曲に人を惹きつける力は微々たるものしかない。相手任せ、運任せの曲に説得力もなければ思い入れも生まれない。
そうではなく「他の人はどうか分からないけど、ジブンはめっちゃいいと思う!大好き」という曲に人は耳を傾ける。聴く側はその確かな「ジブン」を旗印に色々な想いを馳せる。ジブンの中のジブンと対比することで価値を見い出す。

中身が空の水差しでは、誰かの心を満たせるはずがない。

他人が過去に築き上げた鳥籠は確かに居心地いい。

でも、タニンから言われて出した鳥籠の空虚さは、タニンでしか埋めることができない。

そこに至るまでの経緯も、動機も、タニン任せだから、ジブンがどこにいるか、ジブンの正体が何かが分からないからほかの誰かを自分の人生という型に押し込んで無理やり形を合わせようとする。そうすることでしか自分がジブンである証明ができないからだ。
そういう人達の思考は内に向いている。自分の見える範囲でしか物事を考えることができない。自分で得たものでなければその取得方法もわからない。だからそれに他人を嵌めて安心したいだけなのだ。

でも、それがジブンで得たものならどうだろう。

そこに至るまでの道のりは自信に、そこで得た経験は道標に、そこで得た成果は自分がジブンであることの証明になる。

自分の中身がジブンで満ちあふれている人は、虚しさを他人で埋めることなどしない。ジブンと同じようにジブンの正体に立ち向かっている人をけなしたりはしない、責めたりしない。
他人の熱意が、他人の夢が、かつてのジブンと結びつき、共鳴し、互いに高めあいたい、共に歩んでいきたい。そう思えるはず。

あなたの人生は他の誰でもない”アナタ”のもの。

あなたが”ジブン”で在るために、

ジブン成分が充ちている=ジブンドリブンである人生を、”アナタ”は歩めていますか?

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