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雨中の散歩

言葉を操っているつもりが、実は言葉によって人が操られることもある。思いを言葉によって表現するが、選択された言葉によっては、自分の思いよりも選択した言葉に翻弄され、言葉が一人歩きを始め本来の思いとは別の話に進んでいってしまうことがある。それが言葉の魅力であり魔力でもある。

ひとつの言葉(単語)が後の話全体を支配、影響する。その言葉により勢いがつき、それに続く言葉が次々に湧き出し、本来の思いとは別の流れになってしまっていることを自覚しながらも、あまりに流麗になり過ぎて、歌でも歌っているかのように、自分の口から湧き出る言葉の波が快感となり、酔いしれる。
言葉のさえずりとでもいおうか。
しかし次々に湧き出た言葉は頭の中で咀嚼された言葉ではないので、一語一音、頭に溜らず抜け出てしまう。

渓谷を下る小舟のように急流を気持ち良く下ってはいるが、両岸に広がる景色、岸に迫る崖や草木などには気付きもしないのと似ている。
と、いうようなことを、ある文豪が書いていた(うろ覚えだけど)が、うまいこと言いよるわい。

春先の散歩は気持ちがいい。
ポカポカ陽気に誘われて桜並木を散歩すると心がウキウキする。
梅雨空の下、傘をさしての散歩も悪くない。そぼ降る雨の七股池を、水はねを気にしながらサンダル履きで遊歩道を草いきれに咽たりしながら歩く。
最初のうちは傘に当たる雨の音が心地いい。鶯の声が、灰色に煙った対岸の雑木林に消えていく。
梅雨独特の静けさというのがある。
梅雨独特の色というのがある。
梅雨独特の風というのがある。
鬱々と沈んだ、寂しげな景色。
少し侘びしい気分になるが、それもまた悪くはない。
侘び寂びの文化は、梅雨があるからこそ生まれたのかもしれない。
耳を澄ませば、水面や木々の葉に当たる滴の音。
水際からカエルの声。
紫鮮やかなアジサイの葉にカタツムリ。
池を一回りすると、湿った空気で腕が少し寒い。
傘に当たる雨の音を聞きながら家に戻ると冷えた身体でトイレに直行し,散歩は終わる。

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