おばあちゃんが残してくれた心の中で今も生き続けている言葉
「自分にとって働くとは?」みたいなことを普段からよく考えています。変わっているのかもしれませんが…。
なぜ考えるのか?
というと、遡れば私自身の子供の頃、おばあちゃんに言われた言葉からかもしれません。
おばあちゃんといっても血の繋がりはありませんでした。血の繋がったおばあちゃんは、私が生まれる前に亡くなったと聞いています。
他にも血の繋がりのない家族がいるので、私にとって「家族」という意味も、どうやら違いがあるようです。(これを話し出すと長くなるのでまたいつか)
おばあちゃんがくれた「働く」
育ての親のようなおばあちゃんがいつも私にいってくれていた言葉。
それは
「これからは女の人も手に職をつけとかないといけない」
でした。戦時中を生き抜き、自分が産んだ子供はいないものの、心で繋がっていたおばあちゃんの言葉は、私に
不器用な私ができることは何?
働くためにはどうしたらいいの?
と考えるきっかけをくれたと感じています。そして、その言葉は、今もずっと生き続けている感じです。
目を逸らせなくなってきたこと
大人になると働かなければいけないという義務の割合が大きくなりすぎて、自分にとっての働くという意味は生活していくためだけのものになっていました。
子供が生まれて成長していく過程で、だんだんと目を逸らせなくなり、今はいつも「自分にとって働くとは?」ということを頭のどこかで考えています。
そして、この「働く」はいつしか、自分の残りの人生の時間をどう生きるのか?に変わってきました。
1ミリでもいいから
そんな大それたことをしようとも思っていないしできないけど、ただ、働きにくい人や生きにくい人。
私の子供たちのように学ぶ機会をなかなか得ることができなかったり、働く機会を得ることが難しい人が生きやすくなるように。
1ミリでもいいから今よりもっと生きやすい世界になるように、自分ができることを次の世代につないでいきたい。
そんな気持ちです。
だから、どんな仕事をするとしても、私にとってのミッションにつながることがあるのかを、自然と考えるようになりました。
世の中で求められている仕事ではなく、かなりニッチな感じになりつつあります。それでも、世界中を見渡せば、自分ができることが誰かの役に立ったり、一歩につながるきっかけになる。そんなことを働く上で意識するようになりました。
とはいっても…
生活があるしということも考えているんですが、生活メインで働くことを見てしまうと、どうしてもどこかで歪みがやってきて、いい結果にはならないんです。
きっと、そんな経験を繰り返してきたから、自分にとっての働くとは?ということがはっきりしてきたのかもしれません。
大切な人を守れないと意味がない
短時間でもいろんな体験をしていると、全てにおいての意味や方向性が変わってきて微調整が必要だと感じています。仕事もブログも活動も。
「やっと始めたことだし…」
と思っても、どこかで無理をして続けることで自分の気持ちに蓋をしてしまうと、結果的にいいことなんて何もない。ということも経験済み。
だから、「働く」という生きることに直結していることだけど、自分に嘘をつかず。自分の気持ちに正直に
「これをやってみたい!」
「これはもういいかな」
ということに向き合いながら軌道修正していこうと思っています。
動きながら修正することは大変なこともあるけど、すべての活動において自分にとって大切な人を守ることができなければ意味がない。そんな気持ちなんです。
自分も含め大切な人が笑顔になれること。
が私にとってゴールなのかもしれません。
自分が生きている時間で足りるのか?という感じもしますが、大切な人が笑顔を守るために。これからも「働く」ということに拘りながら、想いと言葉をシェアするお手伝いをしていきたいなと。それが私の残りの人生で働くを通して叶えたいことなので。
そんな想いと言葉をシェアできる場所を、これからもっと形にしていきたいと思います。
そんな場所の1つ、stand.fmで毎週日曜配信している「みらラジ」は4月11日の回から14時配信に変更になりました。
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