同じ言葉でも「見えている世界が違う」と意味は違ってくる
同じ言葉でも見えている世界が違うと、受け取る言葉の意味は違うんですよね。
そんなに見えている世界が大きく違うとは思っていなかったのですが、あることをSNSに投稿した時に頂いたコメントを見て、あらためて思いました。
そんな目先のことじゃなくて、もっと先の先の未来を考えているんだけど
と。
パラリンピックの閉会式への感想もそうですけど、違う感想や捉え方があって当たり前なんですよね。
大事なことは、お互いを傷つけ合うのではなく、尊重すること。
なぜなら、それぞれ違うから。
だから、何かを一緒に成し遂げる時
何ができるのか。
どこまで歩み寄れるのか。
どんな方法があるのか。
を、お互い話し合いながら歩み寄って、初めて達成できると思っています。
「パラリンピック」のように言葉からどんな大会なのかがイメージしやすいものは、大きな違いは生まれにくいかもしれません。
とはいえ、「パラリンピック」についても、今はイメージしやすい状態になっているだけで、今まで、たくさんの人が少しずつ伝えて、行動してきてくれた結果だと思うのです。
身近な話で例えると、「テレワーク」という働き方でも大きな違いを感じます。
テレワークで働いていることを伝えると、まず、言われることが
「家で仕事ができるなんて憧れる」
です。
実際にテレワークをしてみて思うことは、リアルな場所にいく働き方と仕事への向き合い方はなんら変わりません。それよりも、自分の裁量や自己判断力がリアルよりも問われるため、緊張と責任は増している感じがします。
もしかしたら、家で仕事ができると聞くと、なんとなく気楽にできるイメージがするのかもしれません。
どちらもメリット、デメリットがあります。
結局大事なことは、
自分がどんな仕事をしたくて、どんな働き方がしたいのかを、具体的にイメージしていること。そして、それにより、何を成し遂げたいのかがはっきりしていること。
これがないと、どんな仕事でも働き方でも、他の物がよく見えてしまって決められない気がしています。
他にも、いろんな言葉で受け取り方の違いを感じますが、生活や体のことなど、困り感がある人ほど、見えている世界が大きくて、先の先の先くらいまで見て、考えているような気がしています。
見えている世界も、考えも、できることも違うのが当たり前。
だから、いろんな考えを伝え合いながら、お互いに生きやすい世界になればいいなと思っています。SNSでのやりとりから、自分の考えが正しいのだと論破するような発言だけはしないようにしたいと、気づかされました。
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