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瞑想を文字で表現する愚行・その2

日々、一定の時間の瞑想が習慣になってから、明らかにここが変わったなと思うことを挙げておく。いわば、瞑想することの「効果」を語るということだが、私は効果がほしくて瞑想しているわけではない。ただ、「やっていたらこういう変化があったと感じる」ということを記すというだけだ。

1.時間がかかる

1日の24時間のうち、私の場合は30~40分を瞑想に充てているため、その間は他のことができない。当たり前だが、瞑想する分、時間を「失う」ことになる。

毎日それだけの時間を語学や筋トレや何かのスキルを習得・上達させるための訓練に充てたなら、瞑想で得られる「効果・効能」を凌駕するものを得られるのではないかとも思う。

私は好きで瞑想をしているので、他のことが多少できなくなってもこれを続けたいと思っている。そうでない人は、瞑想なんてしないで、別のことに打ち込んだらよろしい。なんでも「費用対効果」で考えて、「瞑想の効果・効能」が、それにかけた「費用」に見合わないと思うなら、瞑想をすることがストレスになってしまうだろう。

2.ストレスによる疲労が減る

過去の自分との比較を、自分だけの主観でするものなので、実証できるものではない。ただ、グルグルと要らない心配をしたり、自らイライラするネタを探してストレスを溜めるようなことが減った。

良い表現が思い浮かばなかったので「ストレスによる疲労が減る」という書き方になった。しかしそれは、あくまで結果的にそう見える、感じるということにすぎない。

実際には、もともとストレス(外部からの圧力)など、ほとんどなかったのだ。それを、自ら増幅させて、勝手にイライラしたり、ヤキモキしたり、怒ったり、無駄な完璧主義を貫こうとしたりしていただけだったのだ。

そう考えると、瞑想によって「本来の姿・在り様」に近づいた(存在しないストレスを、存在しないものと正しく捉えなおせた)というだけのことで、その結果、「ストレスによる疲労が減った」ように感じたということだ。

3.睡眠が変化する

これも、「瞑想のお蔭で睡眠の質が上がった」というように、結果部分にフォーカスするのではなく、本来の睡眠の質を取り戻せたというような感覚だ。

「睡眠の質」とやらに影響を与えるものとしては、たとえば、外部からの問題(騒音がするとか、蒸し暑いとか)と、自分の内的な問題(心配事があるとか、イライラすることがあるとか)、それらのミックスのようなもの(リラックスするために普段飲んでいるコーヒーを寝る前に飲んでしまったとか、恋人が傍で寝ていて性的な興奮を抑えるのが難しいとか)が考えられる。

これらのうち、特に自分の内的な問題によって「睡眠の質」が下がっていたのなら、瞑想によって本来の睡眠の在り方に近づけることで、以前の自分と比較して「睡眠の質」が上がったと結果的に感じる。

言い換えると、もともと睡眠の質の高い人は、瞑想をしても「睡眠の質が上がった」という効果は、実感値としてはさほど得られない。私の場合は、本来の睡眠の質から外れて、質の低い睡眠をしていたので、瞑想によってそれが整って、本来の睡眠の在り方に近づいたということだ。

4.体温調節機能が変化する

私はかなりの冷え性だ。油断すると、夏でも手足が冷たくなって鼻が詰まることがある。これが、瞑想によって本来の体温調節ができるようになっていき、結果としては「冷え性がかなり改善された」。

同じ室内で別のことをしている時には何も感じなかったものが、瞑想をすると汗が出るようになる。深呼吸をしているからなのだろう。運動しているわけでもなく、ただ深呼吸して瞑想しているだけなのだが、暑い部屋にいるわけでもないのに、瞑想を終える頃には汗をかいていて、シャツを替えることになる。

もともとの冷え性の原因が、筋肉量が足りないのか、皮下脂肪が足りないのか、知らない。だから、筋トレをしたり、年齢並みに皮下脂肪を増やしたりすれば、瞑想をして冷え性を解消しようとするより簡単だったのかもしれない。私は瞑想に目的、成果を求めていないので、「冷え性を解消・改善する」という効果を求めてやっているわけではない。だから、「瞑想するより、筋トレした方が冷え性には効く」と言われても、そうですかとしか言いようがない。

瞑想をしている間は、身体を動かさなくても汗が出るほど温まり、その後も手足の先が冷たくなるような経験が少なくなっている。これまでに、冷え性の改善のために、養命酒を飲んだり、生姜湯を飲んだり、いろいろ試してきたが、私には瞑想が一番効き目があった。狙ったわけではないが、良い副産物だ。

これも、私の身体の体温調節機能が、瞑想を始める前までは十分に発揮されていなかったのだと考えている。本来の機能を発揮できるようになったことで、「改善された」。

「体温が上がって冷え性が改善された」と言うと、暑がりの人は「体温が上がってしまうなら瞑想はしない方がいい」と思うかもしれない。しかし、そういうことではない。もちろん、瞑想をしている間は、深呼吸によって燃焼量が増えて、体温は上がるかもしれない。ただ、瞑想によって体温調節の機能が本来の働きを取り戻せば、暑がりも「改善」されることだろう。変化がないなら、その暑がりは自然なもので、「改善」するべきものではないということだ。

もちろん、瞑想は、この世の中の唯一絶対の法則でそれをすれば魔法のようにすべての問題が解決される、というものではない。すべての冷え性の人がまったくそれを感じなくなるようになるわけではないし、暑がりの人は多少それが緩和されるだけだ。冷え性も暑がりも、人それぞれ違った原因群の複合として起きていることで、瞑想によってそれらが本来の最適な在り方に近づくということだ。

5.胃腸の働きが良くなる

冷え性のせいなのか、私はもともと胃腸が弱かった。かつては、過敏性胃腸炎と思われる節もあったし、40代後半以降は、どうも乳糖不耐症らしく、冷たい牛乳を飲むと不調になるようになった。

胃腸炎にならないように、冷たいものを食べたり飲んだりしないとか、食事の最初は温かいスープを飲むようにするとか、いろいろと工夫をしている。納豆、キムチ、ヨーグルトなどの発酵食品をしっかり摂るようにもしている。そのせいか、最近は胃腸の不調が少なくなった。

それに加えて、瞑想によって体温が上がることで、胃腸が本来の働きを取り戻しているように感じる。

「身体に良い」と思われる細かいことをいろいろとやっているので、どれがどれだけ作用しているのかはわからない。ただ、瞑想もその中の一つとして胃腸の働きを改善するのに役立っているのではないかと感じるということだ。最近は、ほとんど胃腸炎になることはなくなった。

6.男性機能を取り戻す

実は、これが一番わかりやすい変化だった。これについては、性愛について別のところでまとめて語る際に触れることにする。

7.瞑想状態に入るまでの時間が短くなる

瞑想が瞑想に与える効果であって、やらない人にとってはどうでもいいことだろう。

瞑想している時、脳の中でなんとか波が出ていて云々という話がある。私が「瞑想状態」に入っている時にそのなんとか波が出ているのかどうか知らないが、自分で瞑想状態に入っていることは自覚できる。

瞑想をやり始めたころは、雑念もあれこれ湧いてきたし、なかなか瞑想状態に入ることができなかった。ところが、瞑想が習慣になると、深呼吸の最初の方で瞑想状態に入れるようになる。

こうなると、信号待ちをしていても、エレベーターの中でも、束の間、瞑想をすることができるようになる。イライラしている時、落ち込んでいる時、興奮している時、短い時間でも深呼吸して瞑想状態に入ると、それらの感情とどう向き合えばいいかが自ずとわかってくる。

こんなことは、大人はみな、多かれ少なかれ、自分の方法論でやっていることだ。ことさら「瞑想、瞑想」と取り上げる必要はない。

ただ、私は、たとえば車やバイクを運転していて苛立つようなことがあったような場合に、信号待ちの間にでも一瞬にして瞑想状態に入ることができるので、運転が乱暴になったり、ほかの車やバイクに対して攻撃的になったりしないで済ませられると思っている。「ハンドルを握ると人格が変わる」と言われる人は、瞑想でもしてみたらよいと思う。

8.他者との関わり方が変わる

大乗仏教、小乗(上座部)仏教の理論や「違い」については、詳しいことを研究したいわけではない。自らの探求の中で、「こういうことか」と気づくことだけで、十分人生の時間を使いうる。

一つ言えることは、瞑想は自らの心身と魂を整える一つの方法と実感しつつ、それが他者との関係の中でも、宇宙との関わりの中でも、意味を持つものと感じているということだ。

私は、さっきまで「私」ではなかった空気を吸い込み、生命活動をしている。さっきまで「私」だったものを吐き出して「私」ではないものにしている。「私」と「私以外のもの」の区別は曖昧で、すべてはつながっている。瞑想をしていると、そのことを強く感じる。

当然、遠く離れた人ともつながっているし、亡くなった人ともつながっている。自らの道の追求というようなことで瞑想をしていても、すべてはつながっているのだから、他者と切り離すことはできない。大乗理論も小乗理論もない。


費用対効果で考える愚を説きながら、効果・効能を表現するという愚行をとる。私も只管打坐には程遠い。

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