マガジンのカバー画像

難経

22
運営しているクリエイター

#施術

難経(なんぎょう)第十三難

難経(なんぎょう)第十三難

実はまだ脈の事、引きずってます。
が、メインは皮膚の色。さっそく書き下しを書いていきます。

書き下し文十三難に曰く、経に、その色を見るも、その脈を得ず、かえって相勝の脈を得るものは則ち死し、相生の脈を得るものは病即ち自ら己むという。色と脈とまさに参じて相応ずべしとは、これをなすこといかん。
然り。五蔵に五色あり、皆面に見われ、また寸口・尺内と相応ずべし。たとえば色青なれば、その脈まさに弦にして

もっとみる
難経(なんぎょう)第十二難

難経(なんぎょう)第十二難

ここからは、人体への対応についての話になってきます。脈に関する話、長かった・・・。

書き下し十二難に曰く、経に言う、五蔵の脈 己に内に絶ゆるに、針を用いる者かえってその外を実す。五臓の脈 己に外に絶ゆるに、針を用いる者かえってその内を実す、と。内外の絶、何を以ってこれを別たん。
然り。五蔵の脈 己に内に絶ゆとは、腎肝の気、己に内に絶ゆるなり。しかるに医かえって心肺を補う。五蔵の脈 己に外に絶ゆと

もっとみる
難経(なんぎょう)第十一難

難経(なんぎょう)第十一難

脈をクローズアップして書かれた内容も、この十一難まで。
必ず一定の数値や状態で表すことが難しい脈を、ここまで明確に区分し分析した先人たちは、すごいとしか言いようがないですね。

書き下し文

十一難に曰く、経に言う、脈五十動に満たずして一止するは一蔵に気無しとは、何れの蔵なるや。
然り。人の吸は陰に随いて入り、呼は陽に因りて出ず。今、吸 腎に至ること能わず、肝に至りて還る。故に一蔵に気無しとは

もっとみる
難経(なんぎょう)第十難

難経(なんぎょう)第十難

十難の内容はまあ難しいですね、臨床でそれを理解し施術に応用していくのは。一応ご参考程度に。

書き下し文

十難に曰く、一脈を十変となすとは、何の謂いぞや。
然り。五邪剛柔の相い逢うの意なり。例えば心脈の急なること甚だしき者は、肝邪の心を干すなり。心脈の微や急なる者は、胆邪の小腸を干すなり。心脈の大なること甚だしき者は、心邪の自ら心を干すなり。心脈の微や大なる者は、小腸邪自ら小腸を干すなり。心脈の

もっとみる
難経(なんぎょう)第九難

難経(なんぎょう)第九難

すごく短いです。

まずは書き下しから。九難に曰く、何を以って蔵府の病を別ち知るや。
然り。数は、府なり。遅は、蔵なり。数は則ち熱となし、遅は則ち寒となす。諸陽を熱となし、諸陰を寒となす。故に以って蔵府の病を別ち知る
なり。

数、というのは、数が多いこと、つまり早いこと。そのような早い脈の時は腑に病があって熱を帯びている。遅い時には臓に病があって寒を帯びている。

ここから臓腑どちらに病があるか

もっとみる
難経(なんぎょう)第八難

難経(なんぎょう)第八難

端的に言ってしまうと、この八難では、脈が正常なのになんで死んでしまうのかということを書いてある。

書き下し。八難に曰く、寸口の脈 平にして死すとは、何の謂いぞや。
然り。諸々の十二経脈は、皆生気の原に係る。いわゆる生気の原とは、十二経の根本を謂うなり。腎間の動気を謂うなり。これ五蔵六府の本、十二経脈の根、呼吸の門、三焦の原にして、一に守邪の神と名づく。故に気は、人の根本なり。根絶ゆれば、すなわち

もっとみる
難経(なんぎょう)第七難

難経(なんぎょう)第七難

この七難は、読み下すのがちょっと面倒というか難しかった。

書き下しは何とかなったけど。

まずは書き下し文から。

七難に曰く、経に言う、少陽の至るや、にわかに大、にわかに小、にわかに短、にわかに長。陽明の至るや、浮・大にして短。太陽の至るや、洪・大にして長。太陰の至るや、緊・大にして長。少陰の至るや、緊・細にして微。厥陰の至るや、沈・短にして敦、と。この六者は、これ平脈なりや、将た病脈なりや。

もっとみる
難経(なんぎょう)第六難

難経(なんぎょう)第六難

ここは、脈の陰陽虚実について書かれてます。

さっそく書き下し文

六難に曰く、脈に陰盛陽虚、陽盛陰虚あり、とは何の謂いぞや。
然り。これを浮して損・小、これを沈して実・大。故に陰盛陽虚という。これを沈して損・小、これを浮して実・大。故に陽盛陰虚という。これ陰陽虚実の意なり。

短いですね・・・

陰盛陽虚や陽盛陰虚というのは、文字通り、前者は陰が強くて陽が弱い様子、後者が陽が強くて陰が弱い様子を

もっとみる
難経(なんぎょう)第五難

難経(なんぎょう)第五難

第五難は、脈を診るときに、診る人はどのくらいの強さで押さえるのか、そしてその押さえる強さによって、診る臓腑が異なるということを書いてます。(たぶんねw)

書き下し文五難に曰く、脈に軽重あり、とは何の謂いぞや。
然り。初めて脈を持するに、三しゅくの重さの如くして皮毛に相得る者は、肺の部なり。六しゅくの重さの如くして血脈に相得る者は心の部なり。九しゅくの重さの如くして肌肉に相得る者は、脾の部なり。十

もっとみる