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【短編小説】#14 レシピ投稿サイト

離婚から約1年。結婚生活時代は元妻に料理を作ってもらうばかりで、男はそれまで一度も料理をしたことがなかった。独身時代はコンビニで買ってきた弁当やカップ麺を缶酎ハイで流しこむ毎日で、再び独り身に戻った男の日常は健康とはほど遠い食生活に戻ってしまった。

レシピ投稿サイトがあるよ。職場の仲間が教えてくれた。さっそく近所のスーパーで野菜をいろいろ買ってきて、まずは簡単なサラダを作ってみることにした。野菜の切り方はいろいろ紹介されているけど、とりあえずコンビニのカップサラダを思い出してながらとにかく細長く切ってみた。かんぴょうのように太いキャベツ、ぶつ切りのピーマン、ニンジンは面倒なので縦に4つに切ってスティックにして食べることにした。

食卓にサラダを用意して晩酌をしながら今日買ってきた野菜を1食あたりで計算してみると、コンビニのカップサラダがとにかく高いことに気付いた。コンビニ生活に慣れてしまうと値段よりも便利であることが優先されてしまうので、こういうきっかけがないと考えることすら放棄してしまう。まあ正直売り物のサラダとはかけ離れているけど味は変わらないし、何より野菜を食べているという健康的な志向で気持ちが満たされた。

翌日、スーパーで袋の生野菜ミックスを買ってきた。そのままサラダとして食べられるタイプのものだ。今夜はこれを見本に残りの野菜を切ってみる。昨日はおっかなびっくりで野菜を抑える指と包丁をかなり離して切ったので太くなってしまったけど、レシピサイトを見ると猫の手で押さえると安全であることを知ったのでさっそく真似してみた。たった1食のサラダを作るのに10分近くかかってしまったけど、見本のミックス野菜とそん色ない感じで切ることができた。

——あれっ、料理ってこんなに楽しいんだ

* * *

それから男は夢中になって料理を覚えた。もっぱらレトルトだったごはんは雑穀米にして炊飯し、減塩の味噌を買ってきては味噌汁を溶いた。コンビニでは買うことのなかった焼き魚も夕飯のローテーションに加え、多めに買ってきた精肉などはジッパー付きの冷凍保存袋で冷凍することも覚えた。料理を一度はじめると、ずっと周り続けることを身をもって実感していた。

男は料理初心者だったのでとにかく基本のレシピから覚えた。しかし残業で帰りが遅くなったときは料理をする時間がないので、時間のある時に作っておいた総菜をちょっとずつアレンジしながら飽きないように毎晩を楽しんだ。男はすっかり料理の楽しさに憑りつかれ、しだいに収入が減っても残業を断って夕飯の料理の時間にまわすようになった。

いつも見ているレシピ投稿サイトはあくまで参考にしているだけなので会員登録はしていなかったのだが、ある日ふとお礼のコメントを書きたくなったので登録をすませた。その夜、おいしそうなレシピを見つけて試しに翌日に作ってみたが、調味料が足りないのでちょっとアレンジして記念に写真を撮ってコメント欄にこう書いた。

「作ってみました! ただ豆板醤がなかったのでもみじおろしの元を代替に使ってみたら想像以上においしかったです」

すると不思議なことが起きた。男の投稿したコメントを見て他のユーザーが続々とそれを真似るというまったく予想外のことが目の前に広がった。

——もしかして、俺は料理初心者だけどレシピを投稿してもいいのか?

アカウントはあるんだし。試しに今夜作った創作豆腐料理を投稿してみると、みるみるコメントが付きみんながおいしい美味しいと作ってくれた写真を投稿してくれた。男はもしかしたら自分に料理のセンスがあるのではないかと疑いはじめていた。最近では職場の近くで食べる食堂の昼ご飯や、仲間と帰りに立ち寄る居酒屋のおつまみに比べても味にそん色はない手ごたえを感じていた。むしろ下手すると味はややうわまわるんじゃないかとさえ思えてきた。

それから男は撮影用にコンパクトカメラを購入してきて、キッチンに備え付けることにした。出来た料理はこれでいつでも同じ定点角度で撮影ができるぞ。料理をはじめた頃は常に散らかっていたまな板まわりだったが、今は撮影のために作ったそばから片づける習慣ができた。少し覚ました状態で撮影した方が湯気がコントロールできるので、出来立て熱々の状態で食べることはなくなった。

男のアカウントはみるみる人気となり、作ってもらったレポート数も4桁に上るレシピも多く、いちやく時の人となりつつあった。男は調子に乗ったのか、このまま動画投稿サイトも初めて料理系インフルエンサーを目指すのも悪くないと思い始めていた。ところが——。

ある日レシピを投稿すると、以前自分が味わった感覚をざわっと覚えた。誰かが私のレシピをアレンジしてコメントしているのだ。あの時のようにアレンジされたレシピが増殖され画面が埋め尽くされていく。なんなんだこれは。男は画面を直視することができずそっと閉じてうなだれた。そうしてそのユーザーはかつての男がそうだったように瞬く間に人気アカウントに成長していった。

それだけならまだしも、ここのところ投稿していたレシピのレポート数が激減していたのでコメントをひとつひとつ読んでみた。それまではレポートの数を数えるだけで酒のつまみにし男は満たされていたのだ。

「おいしかったです。ただこの調味料はこのレシピには合わない気がします。作ってしまったので残さず食べましたが」
「味見をした時にしょっぱいことに気づいて途中で分量を調整しました」
「はっきり言ってマズかったです。もう作りません」

そのほとんどがアンチコメントであることを知り男は愕然とした。レポート数が人気のバロメーターだと勘違いしていたことにハッと気付いた。自分の趣味嗜好に飾り付けをつけかえて毎日懸命に神輿を磨き続けていたのだが、周りからは趣味が悪いと気味悪がれ肝心の担ぎ手がいなくなっていたのだ。そしてその原因は男の味覚そのものにあった。体に悪いとコンビニ弁当を買い控えたり外食を避けて自炊ばかりしていた結果、皮肉なことに少しずつ自分の舌を満足させるためだけに味付けが変化していたのだ。

男は自分の味覚に異常なほど自信を抱いていた。しかしそれはあくまで自分の舌を満たすための蜜月であって、ねっとりとその舌の上に癒着してしまった味付けは過剰に自分を満足させてしまい、それはさしづめ薬物のように作用した。健康のためにと始めた料理はいつの間にか毒にかわりつつあったのだ。

* * *

それからというものコンビニ弁当やスーパーの総菜、控えていた外食も少しずつ毎日の生活に取り入れていった。食費は料理をはじめる前に戻る気がしたが、一人分を自炊する分にはさほどコストは変わらなかった。食材自体の費用は確かに抑えられたが、食用油や調味料などを凝れば凝るほどランニングコストが予想以上にかかるのだ。自炊をして食費を節約しようって言葉はよく見かけるが、このことについて教えてくれるサイトはそう多くない。

そして自炊するときはとにかく基本の料理に徹することにした。味覚というものはひとそれぞれで個人差があるものだ。材料の分量に程度の差はあれど、レシピで数値化することである程度味を固定化することができる。極端に言えば味覚の変化で体調の良し悪しだってわかるし、材料さえ揃えば(味の好みは別として)地球の反対側の外国人が和食を再現することは可能なのだ。

そしてそれをきちんと守れば、毎日の食卓の味付けが間違った方向へ向かってしまことはない。料理とは単に味覚だけの問題ではない。塩分や糖分などのバランスひとつで健康が左右されてしまうことも意識したい。これは一人暮らしをしている人にとっては非常に大事なことだ。そして他人の作る料理に耳と舌を傾けて定期的にリセットすることも重要なのである。

男はいまでもレシピ投稿サイトを続けている。ユーザーにはプロの料理家が教える基本の料理や定番の味付けをおすすめし、男はそれにプラス1品を加えて毎日の食事を飽きないように紹介する程度に留めている。そしてこれがすこぶる評判がよく、以前のようなネガティブなアンチコメントは一切みかけなくなった。

——暗転

おいしい料理にはもちろん腕も必要だけれど、料理そのものが健全であることが一番の条件だと私は思う。それは小説などの執筆でもおんなじだよね。自己陶酔で書き殴ったり、読者を騙したり欺いたり釣ったりするような文章で得られたスキは、もしかしたら逆の意味がこめられているかもしれない。それに心から楽しんで書かれているかどうかは文章からわかるからね。ねぇ、そこに隠れている君もそう思わない?

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