【短編小説】#20 精神世界
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コンピュータリーベ コンピュータリーベ
やれば出来る、やれば出来る。気付くと私は洗い物をしながらこんな言葉を呟いていた。気付かないうちに私は棒人間たちの影響を受けてしまったようだ。確かに気持ちはアガる。それと同時に「やらないと出来ない」という反義語も頭に浮かんだ。自分を奮い立たせる言葉は自己肯定と同時に、暗に自己否定の意味も含んでいるのだ。安易に口にすべき言葉じゃないよなあ。明日は大切な仕事だ、早く寝ようっと。
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夜中にフと目が覚めると、部屋の中が真っ暗なことに気付いた。私の住む家は田舎ではあるけれど、近所には工場や倉庫、トラックの運送会社などが立ち並ぶので夜間でもあちこちでセキュリティライトが目を光らせている。レースのカーテンを閉めれば気になることはないが、部屋のスイッチがわかるくらいの光量は部屋の中へ薄っすらと届いているのだ。
あれっ、真っ暗だ。停電でもしているんだろうか?
例え停電であっても大きな工場などでは予備バッテリーが動作するため、私の家の周りではどんな日でも基本的には真っ暗になることはない。あるとすれば大雪の日だけだ。雪は明かりを拡散し、この世のすべてを黙らせる。私もまた黙って窓の景色を眺めるだけ。
一体どうしたんだろう? 布団から体を起こしたつもりが、体はあいかわらず寝たままだ。魂だけが抜け出して体はそのまま。まるで幽体離脱したような感覚。焦らない焦らない。これは夢なんだ。私は今自分が夢を見ていると認識できることがある。夢の内容をしばらく覚えていることもよくある。けれどさすがにコントロールまではできない。ライトな明晰夢ってやつだ。
ただし「夢をいったん切断して」現実に立ち戻ることが出来る場合もある。微睡(まどろ)みの中で自分を意識できているとき、いつも一緒に寝ているぬいぐるみをモニュモニュ握ることで、自分が今起きているのか夢なのかくらいは判断できるのだ。いつから夢の中でモニュモニュするようになったのかまでは覚えていないが、少なくとも「彼」がこの部屋に居た頃にはそうしていた。私は体を左にひねり、ぬいぐるみのおなかをモニュモニュしてみた。むぎゅっ。五指はおなかにめり込んで、わたしは起きていることを実感した。
——アブダクション? ぞわぞわした感覚を覚えながら耳を凝らすと・・・
扇風機が45度に水平旋回しながら部屋の空気を撹拌している。生ぬるい部屋の中で濃い空気と薄い空気が入れかわりたちかわり部屋をスパッと切り裂きながらギュイーンと音を立てている。それはまるで死神の鎌のようで、生きた心地がしなかった。
——あの音じゃない。
体を仰向けに入れ替えると、突然MRIのような闇のトンネルに囲まれた。もしかして私は病院で何かの検査を受けているのだろうか? 買い物の途中で事故に遭い、重体となった私はいま死の世界を彷徨っているのだろうか? すると眩い光につつまれた「彼」の姿が久しぶりに目の前に現れた。
——あのときと同じだった。刹那、その姿は一瞬で消え、闇に紛れた「あの声」があいからわずあたりを支配している。
コンピュータリーベ コンピュータリーベ
「待ってよ! 行かないで!」
わたしは珍しく思い切り大きな声をあげて「彼」に立ち止まるように話しかけた。彼は微かに耳に届く小さな声でケラケラと笑いながら「蒼は考えすぎなんだよー」とだけ返事をしてくれた。
——わたしは「何を」考えすぎているんだろうか?
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わたしは考えることを放棄して、意識的に目を瞑りなおすと目の前に新しい世界が現れた。
「知りたい」
なんでも気にする私の心を、好奇心がうわまった瞬間だった。
私は街に駆け出すと光彩ネオンが夜の建物を浮かび上がらせた。Bar、スナック、ビリヤード。まるで70年代の大人の世界。私はポケットの中に1,000円札を見つけるとビールを1杯テイクアウトして夜の街を散歩してみた。人間だと思っていた人影はカラスやコウモリで、夜行性のタヌキや昼間に隠れていたネコも姿を見せている。ここはもしかしたら動物のパラダイスなのかもしれない。
ビールで軽く酔いながら目を瞑ると今度は朝が訪れた。遠い水平線にはまあるい2つの太陽がゆらゆらと昇りはじめており、バケツの水をぶちまけたようにあたり一帯を朝日が照らしはじめ、目の前には漁港の姿が広がっていた。この場所では人間たちが忙しそうにカゴを運んだり網のほつれを直している。私は水揚げされた魚介類の中に海老の姿を見つけた。漁業関係者の人に聞いてみるとこれは海老ではなく「オキアミ」だそうだ。甲殻類ではなくプランクトンの仲間らしい。
わたしはなぜか異常にオキアミについて興味を覚えた。釣りの餌として捕獲されたプランクトンを、私は「食べてみたい」そう感じた。私は漁師のおじさんの目を盗んでオキアミを片手で掬ってぽいっと口の中に入れてみた。その味は・・・
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ハッ! 体を起こすと意識も体も布団から離れている。今度こそ目が覚めたのだ。
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靄のかかったような頭で朝食を作りながらタブレットでネット記事を読んでいると「生きずらいあなた、それはHSPなのかも」って話が目に付いた。ああそういうことだったのか。わたしは「彼」の姿を思い出しながら、彼が私に伝えたかった言葉をようやく理解した。
HSPとは感受性が強く繊細な気質をもって生まれた人と定義されている言葉だ。SNSや日記などのプロフィールで「自分はHSP」って書いている人が多いけど、よくよく考えると実はこれってほとんどの人に当てはまる言葉なんじゃないのかな。私も確かにあてはまるところがあるけれど、繊細だからって何かが大きく欠けているわけじゃない。
HSPというバイアスにかかりHSPを免罪符にしてしまうと、私たちのような人間はたちまち強い力でHSPによって思考をがんじがらめに束縛されてしまう。確かに私たちは繊細ゆえに生きづらいのかも知れないけど、繊細だからこそ細かく分析することが可能だし、ときには大雑把に、ときには大胆にふるまうことも出来るんだ。
確かに他人よりも繊細かもしれないけど、みんなだって優柔不断でもないし実行力がないわけでもないと私は思っているよ。「蒼は考えすぎなんだよー」って彼の言葉は考えすぎる私のことを揶揄しているのではなく、考えすぎることに対して考えすぎることを指していたんだよね。まるで合わせ鏡に映った自分の姿のように、私の思考はどんどん狭く小さくなっていたということだ。
蒼の頭にはあの歌詞が谺する。私の愛するコンピュータ・・・
コンピュータリーベ コンピュータリーベ
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こうして瀬田蒼の精神世界は、本人の気付きでいったん整理することが出来た。けれどわたしが投げかけた言葉の本意は別のところにある。そして話はこれで終わるわけでもなく。なぜならこの話は「小説」だから。常に何かが起きるし、気付かなかった何かとつながるのが小説の「役目」だからね。わたしの紡ぐ物語をもっと味わいたいのなら、一節も逃すことなく覚えておくことだ。約束だよ。
コンピュータをこよなく愛する「彼」はこの世界をのぞきながら誰にも聞こえない声でつぶやいた。
あとがき
今回のお話は80年代のテクノポップの世界観にヒントを得て、長いトンネルの中をタイムリープするような体験を施してみました。音楽と小説のミクスチャーは私自身はじめての試みでしたが、何でもアリのフィクションの世界を存分に楽しむことが出来たと思っています。小説はまだまだ進化する!
蒼の一言
みんな書かないなら私がたくさん書いちゃうよ。書くために始めたんでしょう? 一緒に執筆活動を楽しもう!
※次話も読みたいって思っていただけたらスキをぽちっとお願いします。このシリーズ短編小説ではこの先にスキの数が鍵(キー)となる話が登場します。よろしければぜひ蒼を応援してあげてください。
謝辞:お借りした動画「Computer Liebe (2009 Remaster) - Kraftwerk」
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