取り繕い
主に大学に入ってから、特にこの1年間、自己肯定感を上げる・自分に自信を持てるように意識していた。
高校時代までは何も考えず遊び回り、たまに与えられたごくごく最低限の課題をやっていれば生きていけた。それが大学に入って、選択肢が今までと段違いに増え、自分と向き合う時間も必要性もできた。
自分に自信がないと、本当なら出来そうなこともどうせ出来ないように感じてしまう。自分には価値がないと思っているくせに強欲なので、自分の人生の選択肢を自分の思い込みのせいで狭めてしまうのは勿体ないと気づいた。だから、自己肯定感を上げる努力をしてきた。
結論から言うと、1年前の自分に比べたら幾分かは自分に自信が持てた。私は何も出来ない、いらない、幸せになっちゃいけないとしか思えなかった時代に比べたら、随分成長した。
けれど、今あなたは幸せですか?生きたいって思えますか?と聞かれ、答えられるようにはならなかった。
私が自己肯定感を持てない原因は、中2の時に恐らく精神を壊したからである。詳しくは思い出したくないし覚えていないが、部活の部長としての重圧に耐えられなかった。
脈略もなくキレたり、いきなり泣いたり、毎日死のうとしていたから相当参っていたんだと思う。ただ、当時は診療内科系の病院に行くことを全く許してもらえなかった。
仕事がうまくいかないのも自分の能力不足、それに加え成績も悪い。何も出来ない。細かいことは覚えていないが、今振り返れば小学校のお遊戯みたいな委員会とは違って、初めての部活のトップで上手くいく訳が無いし、家で全く勉強していなかったんだから成績が悪いのは当然である。
しかし、ただでさえ弱っていた精神状態の中で自分は何も出来ない、だから生きている価値がない、幸せになる権利もないと思い込む基礎が完全に出来上がってしまった。
その後、自分には何もないんだから、表面上だけは絶対に明るくいようと思うようになった。何も出来ないのに、暗かったら死ぬ以外道が残されていないと感じたからだ。
幸か不幸か、表面上明るく取り繕うことで自分を騙すスキルが身についた。お陰様で心の声が全く聞こえなくなったが、ひとまず大学受験は乗り越えられたのである。
自己肯定感を持てば、自分には何も出来ないし、生きている価値がないという思い込みの基礎を変えられると期待していた。しかし、6年間目を逸らし続けてきた欠陥は、そう簡単には修正できなかった。
もしあの時、病院に行くなりカウンセリングを受けるなり誰かに相談するなりしていたら、と思うこともある。かといって今更行くのも意地になってしまい、崩壊しかかった精神のまま、なんとか取り繕って生きている。
1年間、根拠の無い自信を無理やり言い聞かせ、それに伴う結果もいくつか出してきた。勉強面であったり、大人しく謙虚に生きていくというものであったり。そうしてなんとか育ちつつある自己肯定感は、ただ自分の新しい取り繕い方に加えられただけだった。
いったいいつまで取り繕って生きていればいいんだろう。
取り繕うのやめてしまえば、死にたい罪悪感で動けなくなってしまう。
今幸せですって、生きたいってちゃんと言えるようになりたいだけなのに、藻掻けば藻掻くほど遠ざかっていく。
自分を大事にする。誰かに依存するのではなく、自分の幸せを大切にする。結婚も自分らしく生きられることが幸せだと、どこかの映画で言っていた。
自分の幸せってなんなんだろう。幸せになる権利がないと思い込んだ時からずっと考えているのに、答えが見つからない。
欠陥だらけで生きるのも疲れたな。
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