リヨンと子供とエスカルゴ
リヨンに行ったのは、旧市街の景色が中世のその時を見せるようで美しいと聞いたからだ。
ニースからパリに行くまでの経由地点としてちょうどよかったし、フランス第二の都市といわれるほどのニースだから行っといて損はないだろうと思っていた。
でも美しい街並みとは裏腹に、強烈に苦い思い出が植え付けられた。
そもそもの始まりは、ニースからの鉄道の中だった。
鉄道に乗る前に、切符を買っていつも通りポケットに入れた。
ニースからリヨンへの道中は、同行人がいて前日も一緒に少しの観光をした。弁護士かなんかの見習いで、仕事に就業する前にヨーロッパを周遊しているという関西人だった。
あった瞬間から、なぜだか馬が合わないという勘が働いていた。私は勘だけはすごいのだ。だいたい自分の勘を信じて失敗した事がない。
だから翌日、リヨン行きの車内で私が切符をなくして焦っているときに
この切符すごい安く買えてラッキーだったんだ
と悠長に話す同行人にたいそう腹が立ったのを覚えている。
こっちは切符をなくして、あたらめて買いなおさなければいけないかもと車掌と話していたのに自分の切符が安かったという話をしてきたのだ。
デリカシーのデの字もないやつだ。
結果から言えば、切符は見つかった。でも、すでに買いなおしをした後だった。だからリヨンについて一番に行ったのは駅の窓ぐちで余分に買ってしまったから払い戻しをしてほしいと散々喚き散らしたが受け入れられず、テンションの低いままリヨンの町に繰り出した。
私たちの予約していたゲストハウスは旧市街の丘の上にあった。
モノレールのような乗り物にのって近くまで行くのだか、そこでも問題は起きた。
どの駅で降りればいいかわからず、私は駅員さんに聞きまわっているなか同行者は私の後ろで一言も発せずただのうのうと眺めているのだ。
この時ほど長旅で人恋しいなか、同じ文化を持っているはずの日本人とすぐにでも別れたいと思ったことはない。
結局降りる駅がよくわからず、一番最終地点まで乗ったもののグーグルマップを見ると行きすぎだということがわかり、急な坂をスーツケースに引っ張られながら下った。
それからはゲストハウスであっても目も合わせず過ごした。
やっと解放された私は、リヨンの市内をぐるぐるとお散歩した。噂通りの美しい街並みだ。中世のヨーロッパのようなアンティークな建物川の向こう側にあって、川から中央駅側は近代的なブティックなどのお店が所せましと並んでいる。
3週間履きつぶした靴は、雨やら雪やらのせいでもうすっかりくたくただったからそこで私は靴を買った。
フランスで買った靴。
それだけでおしゃれになった気がした。
翌日は列車にのって近くの町を旅した。帰りは小腹がすいたので、オリーブを買って食べながら歩いていると子供たちが寄ってきた。
マダーム、マダーム
そういえば、リヨンに来た時も物乞いをしている人がすごく多かった。物乞いをする大人は多かったが、食べ物をよこせといわれることも物乞いをする子供に会うことも初めてで言葉を失ってしまう。
たぶん私が154センチの小柄で、日本人らしいのっぺりとした顔をしていた事も影響するのだろうけど
NO!
といってもしつこくいつまでもついてくる。しまいには私の体にもさわってきてイライラが頂点に達し、日本語で怒鳴りつけた。
子供は一瞬恐ろしそうな顔をしたけど、そのあとすぐににんまりと笑い面白がって私をからかっているようだった。
海外の人はやさしい。なんてよく言うが、この時は周りのだれもが助けてくれなくて見向きさえもされなかった。大都市なんてこんなもんだ。日本となんら変わらない。
日本と違うところといえば、美しい中世の建物がそのまま残っていて丘の上いはステンドグラスが美しい大きな教会がある事ぐらいだ。
それから街中を食べ物をもって歩いてはいけないということを私は学んだ。
それにしても、フランス第2の都市だというのに、あんなに子供が物乞いしているなんて。私は今まで何も知らずに日本でのうのうと生きていた事を痛感した。
その日の夜は、ゲストハウスで知り合った30歳のドイツのお姉さんとディナーをした。彼女の英語は流ちょうで、半分ぐらいは聞き取れなかったがなんとなく話の流れに相槌を打っていたらなぜか気に入られディナーに誘われた。
食べる事にさほど興味のなかった当時の私は、フランス料理といえばまず一番にエスカルゴぐらいしか思い浮かばず物は試しだと思ってエスカルゴを楽しんでみた。
ドイツ人のお姉さんは苦い顔をして
日本人って虫を食べるのよね?
と言っていた。私は食べないけど、イナゴを食べるし。まぁ間違いではない。
実際にエスカルゴはなかなかおいしかった。エスカルゴの味というより、バターとガーリックとジェノバソースの味がおいしかった。
リヨンは街並みもとても美しかったし、見ごたえもたくさんあった、もう少しゆっくり滞在するのもいい街だったが当時の私にとってはなかなか刺激が強すぎた。
もう8年近くも前だけど、リヨンでの思い出は今でも濃厚に思えている。今でも思い出すとなんだか居たたまれないような気持ちになる。
だけど、大人になった今だからこそまた改めて訪れたいという思いも強くある。いくつもの国を旅した今の私であれば、どんな感情を抱くのか。それを確かめに行く旅もいいかもしれない。
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