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「お手伝い」と「人の役にたつ喜び」

東京の菅原典子です。

二人の子どもも大きくなり、子育てもあと少しといったところの我が家ですが、もっと家のことを手伝って欲しいと願うものの、こちらも満足のいくようにはなかなかやってくれずに日々試行錯誤しています。今回は子どもの「お手伝い」について、あれこれ考えたことを書きたいと思います。

大学・高校生になった子どもたち。お昼ご飯も勝手にやってくれるし、私が仕事で帰りが遅くなっても心配の要らない年齢になって成長をしみじみ感じています。
しかしながら、家事を子どもたちにお願いすることが、実は私のちょっとしたストレスだったりします。というのも、家事があまり得意(好き)ではない上の娘に対して、どのようなお願いの仕方がベストなのか未だに模索中で少々気を遣ってしまうのです。

なぜ気を遣ってしまうのか考えてみたところ、お皿洗いや洗濯物など、元々娘が好きではないことをやらせることが、なんだか悪いなとか可哀そうとかいう気持ちがうっすらよぎったり、頼んだ時の娘の嫌そうな顔を見たりすることが、私自身が嫌なのだと思います。
用を頼んだときの、娘の「あぁ、、、あとで・・」という気乗りしない暗い表情と返事は私を嫌な気分にさせ、「嫌ならいいよ・・」と、私は残念な気持ちとイライラと怒りが混ざった感情で、諦めて自分でやることも時々。
そのため、忙しい朝も、子どもにお願いしようかそれとも諦めて自分でやってしまうか、一瞬悩んでしまいます。娘の嫌そうな顔が目に浮かんでしまうのです。
そして、小さい時からやらせてこなかったからだ、と自分を責めてしまいます。

また、せっかく娘がやってくれても、ちょっとしたやり方の違いや一般的な間違いに対して「あぁ、そうじゃないのに・・」とイライラしてしまう自分自身も嫌です。これは夫に対しても同じで、自分でやった方が早いし、やり直さなくていいし、イライラしなくて済むし精神的にラク、という構図になってしまいがちです。

娘にも夫にも、何かやってくれたあと、ちょっとしたことも気になり不十分なところを一言指摘してしまう私に、夫は、「任せたなら最後まで一切を任せてほしい。任せたからには文句は言わないで欲しい。」と言いますし、娘は、「だったら初めにちゃんと言ってよ。」と不服そうに言ってきます。どちらもごもっとも。
私はどうやら、自分のやり方で自分が思った通りの結果でないと不満なようです。
そんな、「自分でやった方が結局はラク」な私は、子どもたちが小さいころも、 "お手伝い"をあまりさせてきませんでした。時間は余計にかかるし、こちらのエネルギーも必要だし、本人たちがやりたがらない限りさせていなかったように思います。

ハートフルコミュニケーションでは、子どもに教えたいことのひとつに、「人の役に立つ喜び」を挙げています。
子どもは、自分が人(親)の役に立っていることが分かると嬉しいもの。その嬉しい経験の積み重ねにより、自然と自信や自主的な「やる気」の種が育ち、人に親切にしたり、自分らしく社会と関わることができる自立した大人になる。家での"お手伝い"は、「人の役にたつ喜び」を教えるのに格好の機会である、というもの。

私がそれを知ったとき、子どもたちはもう既に中高生でしたので、小さい頃から家でのお手伝いをさせてこなかった私は、愕然として後悔の嵐でしたが、でも! 「遅すぎることはない。気づいたときがスタート」という菅原裕子先生の言葉に勇気づけられて、今できることをやろうと心に誓い、すでに成人になった娘にあれこれ試行錯誤中です。

娘は、小さい頃から少し大人びたクールな雰囲気を持ち、感情よりも理屈で物事を捉えるタイプで、具体的かつ合理的な指示を好みます。曖昧な言い方だと後々お互いが不愉快になるので要注意です。(大げさですが。)

娘は小学生ではなく成人した大人。ならば余計に、親子の上下関係というよりも、大人同士の対等な目線で話をしてみようと、彼女の気質や年齢を考え、率直に、家事を手伝ってほしいことを伝えてみました。

以前は、家事にあまり協力的でない娘に対して、
「ママだって疲れて帰ってきてるんだからちょっとぐらい手伝ってよ!」
「天気が悪くなってきたら洗濯物ぐらい入れておいてよ!気づかないの?」
と感情をぶつけてはイライラしていた私でしたが、この時は努めて冷静に、
「ママ最近仕事が多くなってすごく大変で、家族みんなにちょっとでも家事を協力してもらいたいと思っているんだけど、、、、」と言うと、
物分かりのいい娘はすぐに、「もちろんやるよー」と二つ返事のあとに、日ごろ仕事が忙しい私に対しての体の心配やねぎらい、夕飯の支度もがんばりすぎて無理しないでほしいなどの声掛けまで。
大人になった娘と対等に話せていることがこの日もとても嬉しく、そして、「やり方があるならちゃんと教えてほしい」という娘の率直な意見も聞くことができました。どうやら、私の独自な“ママルール”がちょっと厄介なようで(笑)、手伝いするからママルールを少し緩めてほしいとも言ってくれました。

確かに、私だけの細かい“ママルール”、ちょこちょこありますね。それを後から言われるのは子どもにとってはとても不愉快だし不合理ですね。
私は、最低限絶対やってほしいことは具体的に事前に伝えて、あとは夫の言うように、「任せたら一切任せる!」を実践していこうと思いました。そして、やってくれた日は必ず「ありがとう、助かったよ。」と“私メッセージ”も忘れずに。すると、徐々に娘も嫌な顔をしなくなったような気がします。(私の”見え方”が変わっただけかもしれませんが。)

ちなみに、下の息子は家事が好きな方。出先から「洗濯入れといて!」と一言メッセージを入れると「OK」と軽快な返信。そんな彼にはあまり気を遣うことはありませんし、細かいママルールも見様見真似でこなせるタイプ。我が家の場合、家事に対する興味や好き嫌いはそれぞれはっきりしています。

娘は、確かに家事は好きじゃない。でも、できないのとは違います。それを私は、「どうせできないから」と決めつけ、「嫌いなんだし、また言い訳してやってくれないんだろう」と勝手に想像して、娘にお願いするのを自分から避けてきたことを反省しました。
お手伝いをやってくれなかったのではなく、私のやり方と考え方が間違っていて、子どものやる気を損ねていたことに、大人になった娘に気づかされました。

小さいときにお手伝いをさせてこなかった後悔は消えませんが、娘は今、私の知らない外の世界でも急成長中。日々のアレコレを、夜な夜な母娘トークで聞いていると、大学やサークルで後輩たちや留学生のお世話を甲斐甲斐しくしていたり、教授先生のお手伝いを楽しそうにしていたり、家では見せないしっかりものの一面もあるよう。そして働きすぎの私へのねぎらいやサポートもしてくれる娘の姿に、彼女なりに「人の役に立つ喜び」を学んでくれたのかな、と嬉しくもあり罪悪感からの解放にちょっぴりホッ。見返りを求めず自主的に行動できる娘の姿に嬉しい成長を感じつつ、私の子育ての振り返り&試行錯誤はまだまだ続きます。

2024年8月12日
東京都/菅原典子  
NPO法人ハートフルコミュニケーション認定ハートフルコーチ

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