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子育てをラクにするのは自分

初めまして。広島の和木 郁(わき・かおり)です。
我が家には9歳の娘と2歳の息子がいます。年も離れていれば性別も違い、娘の時にはなかったおもしろさ、大変さをかみしめています。

お姉ちゃんは小さい頃から明るくて元気いっぱい。パワーにあふれていて、よく笑い、よくふざけ、好きなことをとことん楽しむタイプです。
一方で、意外な場面で恥ずかしがり屋になったり、恐がりな面もありました。聞き分けもよく、よく言われたのが「年齢の割にとても落ち着いていて、大人びているね」でした。よその子がどんなふうなのかあまり知らなかったので、その時は「そうなんだ」と思っていましたが、弟が生まれ1歳を過ぎたあたりから、その言葉に「うんうん。ホントそうだわ」と頷き始めます。

5月に2歳のお誕生日を迎えたイヤイヤ期真っ只中の弟。「え?」と思うほど活発で、お姉ちゃんが“元気いっぱいでパワーにあふれていた子”なら、この子は何なの、です。全力で遊び、全力で反抗し、全力で意思を通しにきます。まだ言葉がつたないので、「イヤ。ない」の2語と顔と動作、つまり全身で訴えてきます。

チャイルドシート着席拒否。食べたいと言ったから出したおにぎりを拒否。重たくなったおむつ替え拒否。風呂上がりの着衣拒否。保育園前のお着替え拒否。はぁ…。お手上げです。
(共感してくださる方いらっしゃいますか…)
とはいうものの、泣いて寝そべり、時には笑いながら逃げていく息子を前に、「はいはいはい。2歳さんも大変ですよね」と、唇の端をふっと上げながら眺める自分もいます。

以前の私だったら、どんなふうに反応していたでしょう。
少し時間をさかのぼること7年前。娘が同じくらいの時のことです。
「もうお手上げ」と感じることがあまりなかったように思います。それは娘が「言うことを聞いていた」から。
私が細かいことまで手をかけ、常に口うるさかったからなのだと思いました。

当時バンコク郊外に住んでいて、まわりに友だちもおらず、ほとんど私と娘の2人で過ごしました。初めての子育てということもあり、いろんなことに一生懸命。食べるもの、出かける場所、衛生面、人との関わりなど、私基準で娘を動かしていたんですよね。
私が準備したものを食べさせ、着させ、遊ばせ、私がいいと思ったところに連れていき、私がそうした方がいいと思う軸で生活しました。そして、その通りにならなかった時は、「ちゃんとして」って言うんです。もう少し大きくなってからもそうしていたように思います。
娘は言うことを聞きました。もしかして、私に怒られるのが恐かったのかな、と思うと胸が痛みます。

外出時の食事は、保冷剤を蓋に載せた手作りのお弁当(デザート付き)。シリコンのお食事エプロンとケース付きスプーン&フォークは必須アイテムです。ぴったり横につき、こぼさないように目を離さずにいました。日本ではない場所での子どもの健康のために、そして人に迷惑をかけないために、と思ってやっていました。

生活についても、「子どもにとっていいこと」をどう経験させようかと一日中考えます。
娘が笑って喜ぶので、嬉しくてする気持ちももちろんありましたが、今思えば、子育てを楽しむというより、母としての義務感や責任感、それをちゃんとしているという自分だけの安心感のためにやっていたように思います。
何も起こらないように先回りし、娘が何かしでかした時には、カチンときて感情のまま反応する。そして自分基準の「べき」を掲げて、どうしてほしいのかを口うるさく言う。娘のことだけでなく、自分のしていることも、立ち止まって考えることができていませんでした。

「以前の私だったら、どんなふうに反応していたでしょう」という疑問ですが…、おそらく発狂していたかも。何も思い通りにならない。そんな子育てがイヤになり、言うことを聞かず、全力で反抗してくる息子のことがキライになっていたかもしれません。

私が今、腹を立てたり悩んだりしつつも、ラクな気持ちで2人の子育てに向き合えているのは、子育ての方法を教えてもらったからではありません。ひとつの変化がそうさせてくれたのだと思っています。
「立ち止まる」ことができるようになった自分自身の変化です。

「なんでそんなことをしたのかな」「それって誰の問題?」「私はどんな状況を望んでいる?」「そのためにはどうしたらいい?」など、立ち止まって考えることができるようになりました。
(もちろんできないこともあるけれど…)

「今わたし、立ち止まることができている」とはっきりと思った出来事が、「バナナ事件」です。
息子が1歳を過ぎた頃、彼が愛するバナナをおやつに出した時のこと。食べやすいようにひと口サイズに切ってお皿に乗せ、彼の前に持っていきました。するともう激怒。お皿をはたき、大声で泣いて収拾がつきません。

お皿はひっくり返るわ、床は汚れるわ。「もう何してるの?!」と言いそうになりましたが、「ちょっと待てよ」と自分の動きを止めました。そしてそういえば、と彼のブームを思い出したんです。自分で皮をむき、しっかり握って、バナナを愛でながら頬張って食べるというブームを。

その後はひたすら謝りました。ラスト1本のバナナだったのでどうしようもなく、抱っこしてなだめ、どうにか召し上がっていただきました。

それからは、「よかれと思ってすることは、余計なこと」を念頭に行動するようにしています(笑)。 子どもに任せることへの不安が減り、同時に私のすることも減りました。自分がしたいことを、自分でしているときのドヤ顔は、9歳も2歳も同じです。

立ち止まれば、子どもの行動の背景や、自分がどう動けば状況が変えられるかを落ち着いて考えられます。そのおかげで、自分の行動の選択肢が格段に増えたように思います。(なんせ以前は、怒るの一択でしたから。)
いくつか思いつく方法のなかで、それぞれどんな結果になるのかを実験できたり、どうしたらいいのかを子どもと話し合えたり、まいっかとスルーできたり。選択肢があるだけで、こんなにも気持ちに余裕ができるとは、思ってもいませんでした。もちろんそうできないこともあるけれど…(2度目)

子どもを変えたのではなく、自分を変える学びを得たことをとても嬉しく思っています。これからの子どもの成長とともに、私自身も成長させてもらえることに感謝! 思春期に片足を突っ込んでいる娘と、まだしばらく続きそうなイヤイヤ期の息子を相手に、子育てを楽しんでいきたいと思います。

そうそう。今朝は朝ごはんが気に入らなかったらしく、坊はひどくお怒りになられていました。可愛いイヤイヤ期、今日も白目で満喫中です。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

2024年7月1日
広島県/和木 郁
NPO法人ハートフルコミュニケーション認定ハートフルコーチ






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