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学校で教わること

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こんばんは、疾風 遥です☆彡

このところ、本当に涼しくなってきましたね。
私は秋が一番好きなのですが、この夏から冬の変わり目は、お腹の調子が良くなく、それだけが残念です…。

ヤフーニュースから、インスタのconte_kunさんという方を知りました。

私は、学校が嫌いだったので、朝の会とか、帰りの会とか、やってたなぁ、とは思っても、ここまで詳細に覚えてないくらい記憶が曖昧です(笑)

しかし、当時小学生であった私も、同じこと(偽善的)を学校教育に感じていました。

世の中って、そんな簡単に善悪つけられるほど単純じゃないし、常に完璧でいい人なんて、むしろ存在してたら怖いくらい信用できないわけです。

作者さんが単純にスゴいとか、そういうことを言いたいわけでもなく、学校教育で受けることは、「常識と言う名の催眠」にでもかけられているように感じます。

作者さんのラッキーだったところは、気の利く子がいて助け舟を出してくれた、という部分がありますが、仮になかったら、どうなっていたでしょう?

”良いこと”も”悪いこと”もしていない。
って、誰にも迷惑かけてないのに、その「みんなで一緒にやっていること」に参加していないこと自体が、”最も悪いこと”みたいな雰囲気と同調圧力を感じるのではないでしょうか?

「偽善っぽくて嫌だなぁ」
という作者さんの感覚は尊重されるべきですし、そういうものに参加しない自由も保証されないと不公平な気がします。

しかも、よりにもよって担任が気づいて、さらにそれを発言して、いわゆる”吊し上げ”状態にする、という行為こそ、一番の悪いこと、のような気がしてなりません。

私は自分の正しいと思うことを信じてきました。
もちろん流されることもありますし、サイレントマジョリティーになることだってありますが…。(それでも自分の本音が消えないように守ってきた、という感覚)

私の意見が、誰か、の視点から見れば間違っていることかもしれないけど、ある意味それは当たり前で、否定される筋合いはないわけです。(傷つけたり、迷惑かけてりしていないことが前提ではありますが…その線引きも難しい…)

真面目で素直な子こそ、この同調圧力にやられて、「自分が悪いんだ」と自分を追い込んでいってしまう、と想像すると逃げ場がない子どもは本当に可哀想です。

それこそ、冒頭にある「掃除をさぼった男の子」は、なんでさぼったんでしょうか?
「面倒だったから」、「掃除が嫌いだから」、とか?
でも、もしかしたら、「体調が悪かったから」かもしれません。

もちろん、真偽は分かりませんが、同じ「掃除をサボる」という行為でも、色んな理由が考えられるはずです。

ゆえに、ただその行為を批判するのではなく、当事者に「どうして?」と一言伝えて、その人の主張を聞き入れる余裕は、現代において無くなってしまっている大切な要素だと思います。

まぁ、それで「私も体調悪かった」とか、ウソをつき始める人もいるので、結局真面目が損する社会、みたいなことにもなりかねないですけど、それは別問題な気がします。


集団、ってだから嫌いなんですよね~。
自分はこうです!って強く持てれば一番良いんでしょうけど、私はそこまで強くないので、結局複数人の関係性や気分を勝手に感じ取って、まとめ役を自動的にやってしまうおせっかいな自分がいるので、避けたいわけです。


マンガで分かりやすく伝えているのが素敵だな、と思って共有しました。

台風も近づいてきていて、体調が優れないのですが、被害など最小限になると良いですね。

それでは、また☆
疾風 遥でした♪

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