無くして気づくこと
こんばんは、疾風 遥です☆彡
せっかく連日投稿のくせがついたのに、あっという間に1週間も投稿しないという、自由気ままさが爆発中の私です。。
面白いのが、書きたいこといっぱいある!って思うときに限って、なんか書けないんですよね(笑)
不思議なものです。
なくなって分るもの
あなたは、今まで生きてきて、後悔したことない。とは言い切れないはずです。
むしろ、ほとんどの人が、「人生後悔だらけです」という人のほうが多いように感じます。
でも、一概に”後悔”ってそんなに悪いことでしょうか?
私は、無くなっても気づかないものこそ、一番の残念さを感じます。
特にモノではなく、人のとき、いなくなってしまってから、とても喪失感を抱きますよね。
「もっとこうしていれば良かった」
「こういう気持ちを伝えておけば良かった」
「なんで素直になれなかったんだろう」
「なんで居続けることを当たり前に思ってしまっていたのだろう」
仮にモノは買いなおせたとしても、人は買いなおすことはできません。
(もちろん、どんなに好きでも買えません)
そんな”当たり前”のことを知っていながら、それが”当たり前”になってしまう。
でも、それが”幸せ”というものなのかもしれません。
無くして初めて、居なくなって初めて、それが、その人が、自分にとって”幸せの存在”であったことを、思い知らせてくれる。
その一つ一つの、最後の”幸せ”を感じさせてくれるのが、”後悔”なのかもしれません。
だからこそ人は、モノや人をできるだけ大事に接しようとするし、そうやって接している努力をしている人は、素敵なんだと思います。
それこそ、私から言えることは、「読んでくれてありがとう」
どんなに私なりの価値観をここに書いたところで、読んでくれる”あなた”がいなければ、それは意味を成さず、ただの文字となってしまう。
読んでくれる”あなた”がいるからこそ、私の価値観となり、私の哲学となるのだと思う。
最近は、人の幸せを羨むことが少なくなった。
今は、その人の番。次に私の番がくれば良いな。
そんな風に思えるのは、いま心に余裕があるからかもしれません。
ある程度の余裕は、持ち続けていないと、生きるのが辛くなってしまいますね。
真面目な人ほど周りと比較して、「自分はまだまだ!」と頑張りすぎてしまうと思うけど、その気持ちも大切にしつつ、限界突破だけはしないように自分を大切にしていきたいですね☆
自分を大切にすることで、周りを大切にすることにもなるような気がします。
疾風 遥
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?