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コミュニケーションはなぜ大切か

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こんばんは、疾風 遥です☆彡

ここ二日で一気に涼しくなりましたね。
秋の訪れとともに、今年も残り少なくなってきたなぁと感じます。

この1年は昨年と異なり、回復の1年となりました。
2018年末に発症した障がいに2019年はひたすら向き合うしかない状況で、
2020年に入ったら、春からウイルス騒ぎになって、混乱しながらも、どうにかこうにかここまでこれたんだなぁ、と思います。

ウイルスの影響で、停滞していたセンターの実習や就活も次第に勢いを取り戻しつつあり、何人か就職が決まった方もいます。
今までの価値観が淘汰されてゆく中で、また新たな価値観が生まれ、少しずつ変容しながら時代は進んでいくんですね。
これはもう重力のようなもので、人間が抗えるようなことではありません。

地球の歴史を振り返れば、哺乳類はもともと弱い生き物でした。
それでも、一時代を築いた恐竜や、様々な動物の中で、祖先は生き抜いてきたからこそ、今の人類の繁栄があるわけですから、あまり悲観的にならずとも、なんとか適応し生きることができる方法が見つかると思っています。

そして、コミュニケーション。

動物も様々な方法を用いてコミュニケーションを取っていますね。
カラスが鳴くのも、犬が吠えるのも、全てコミュニケーションです。

そんな中、人類は言葉を手に入れました
なぜこんなに各国で言葉が異なるのかは不思議ではありますが、いまや翻訳というツールもあり、人類は言語の垣根を越えて、コミュニケーションを取れるようになりました。

しかし、言葉を手に入れた代償なのか、人は思ってもないことを言ってしまったりしますね。
それは、照れであったり、嫉妬であったり、憎悪であったり様々です。

そして同時に、自分の発する言葉や、受け取る言葉で、自分が本当に考えていることが分からなくなってしまうこともしばしばです。

特に、うつ病にかかると、自分の声も誰の声も、信用できなくなります。
何もかもがウソに聞こえて、それを信じられない自分も信じられなくて、本当に困ってしまいますね。

そもそも、人が言っている内容が頭に入ってこなくなるんです。
これは当事者にならないと理解できないかもしれません。
前にも書きましたが、文章や書類が得意な私にとっては、受け入れがたい悲しい現象で、「このまま脳みそが回復しなくて、書類も読書もできなくなったら、もう何も残らない」と思っていましたね。

クルマの運転も薬を服用することで、なかなかできなくなりましたし、自分の限界を超えて仕事に尽くした自分から、なんで全てを奪うのか、ととっても希死念慮を抱いていたことを思い出します。

今では減薬も回復も進んで、かなり書類も理解できるし、クルマもかなり前と同じように楽しめるようになりました。

そう、ずっと続くようでいて、ずっと同じはありえない。
コミュニケーションの形も、人の心も、社会の情勢も、流行も、何もかも留まらずに、確実に変化していく

でも、”変わること”を前提にしているからこそ、コミュニケーションは大切で、自分の中に生じた価値観の変化だったり、自分の意思を伝えるために、コミュニケーションが存在するような気もします。

一昔前であれば、SNSは無く、そしてメールもなく、電話もなく、遠くの人と連絡を取る手段と言えば長く手紙が使われていました。

ゆえに、筆を取り、紙を用意し、何を書こうか、とよく考えながら書いていたんだと思います。
だから、一時の感情を手紙に込めることはあまりなかったのでしょう。
それこそ、激しい気持ちも紙に書き出している段階で、徐々に客観視してしまう自分がいて、送るという工程まで進まないこともあったでしょう。

しかし、メールはあまりにも遠くにいる人と瞬間的に文章のやり取りができる世の中になってしまいました。
良い面もたくさんあるわけですが、同時に人を容易に傷つけてしまうツールにもなりました。

さらにはSNSという目に見えない集団で、会ったことも無い人たちから罵詈雑言を投げかけられることも発生しています。

でもどんなに便利になっても、それを最終的に受け取っているのは同じ人間です。
「相手の心を想う」という要素がどんどんと欠けてきてしまっている気がしてなりません。

完璧にコミュニケーションを取ることは不可能ですが、自分がその相手と出会ったときに、きちんと説明できる程度の言葉でやり取りしたいですよね。

それこそ、文章って会話以上に難しく、読み手によって、書き手の意思とは思わぬ方向に読まれてしまうこともあります。

仮に、ひどく傷つくような言葉を急に言われてしまう状況があったなら、「どうしてそういうこと言うの?」と意味を確認してみるのは、けっこういい方法だと思います。

「あ、ごめん、そういう意味じゃないの」ってなれば、そこで誤解が解けますから。

また、逆に捉えれば、顔が見えないからといって、いつもひどい言葉を投げかけてくる人間には、自ら私はそういう人間です。と表明してくれている優しい人なんだ、とくらいに思って心の距離をとりましょう☆

そんな人へ優しいあなたの心を必要以上に使う必要はありませんよ。


今日は友人に紹介してもらった映画を観てみました。
何気ないやり取りの中で、「人は死んだらどうなるんだろう」という問いかけがあります。
それに対し、「一度死んだら、二度は死なない」という返答をしていました。

なんか当たり前のことだけど、聞いたことがない表現で、とても不思議な気分になるのと同時に、2回死なないなら、そこまで怖くないかな?、と変な気持ちにもなりました。
だから、死ぬことを恐れずに、死ぬまで自分の人生を楽しみたいな、と。

この記事も昨日から書き始めたのに、昨日の夜に途中で母に電話したくなり、長電話して寝てしまって、今晩書いています(笑)

そのくらいの緩さで生きていくほうが心地よく生きていけることを障がいが教えてくれたような気がすると、むしろこの年頃でパニック障害になってよかった、と思えるほどです。

とても希死念慮に陥っていた人の意見とは思えませんが、人間の強さや生命力を感じます。

今、弱ってしまっているあなたも、心根にはしっかりとした強さや生命力が必ず備わっているので、今はゆっくり休んでくださいね。

それでは、読んで頂きありがとうございます。

疾風 遥でした♪

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