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気温と、花粉と、私の気分


春の陽気

こんばんは、ひなたです。

一か月前まであんなに冷え込んでいたのに、
暖かい日は20℃を越える日もあって、あっという間に春がやってきていますね。

冬の間、じりじりと寒さに耐え、生き長らえた植物の芽を見ると、人にもそのような瞬間が訪れることを教えてくれるようにも感じます。

私たちのような敏感な人にとって季節の変わり目は、体調が乱高下しやすく、辛いかもしれません。
特に日中と夜の寒暖差が激しいと、体温調節も難しいですよね。

私は、重度の花粉症なので、3月になる直前に耳鼻科でいつもの薬を処方してもらいました。
少し飲むのが遅くなると、効きがぜんぜん違いますので、早めに飲み始めます。
花粉に苦しめられながらも、新芽を見るとほっこりします。

体調の変化

どんなに冬が好きでも、どんなに夏が好きでも、必ずやってくるし、必ず終わります。
この間、私は午前中に仕事をしていたら、座ってパソコンをしているだけなのに、心臓がバクバクバクバクと、異様な早さで動いていて、集中ができませんでした。

障がい者雇用ですから、ただ単に「体調が悪い」というだけでも、休ませてもらえるのですが、やっぱり人ってどうしても「理由」があると安心するんですよね。
家にあった血圧計を引っ張り出し、しばし計測。
血圧の値は悪くないものの、心拍が90と明らかに高かったです。

上司に、「心拍が高すぎて、集中も落ちてるから、休む」と伝えると、「そういったバロメータがあると、自分も周りも気づけて良いですね」と大事を取るよう促してくれました。

これが、ただ「集中できないから休む」だと、怠慢なのか体調不良なのか、自分も周りも分からず、悲しいですもんね。

そして、心拍が高すぎる理由は医者ではないので分かりません。
不用意に心配しすぎる必要もなく、とりあえず休息。
きっと一時だろう、ゆっくりすれば大丈夫、と心がけ、休みました。

障がいを通して気づいたことは、
脳よりも身体のほうが正直だということです。

なぜか今の世の中、「こうあるべき」とか、「平均」とか、そういうものに囚われがちですが、あくまでもそれは理論値であり、私たち一人一人を表すものではないのです。

仮に、みんなができていても、あなたが辛いなら、それは辛い。
仮に、みんながつまんなくても、あなたが楽しいなら、それは楽しい。

時と場合によっては、協調性が大事なこともありますが、やっぱり最後に優先するべきは自分自身です。

自分を大事にする。
これすらも理想論のようになりがちですが、やっぱり自分を大事にできないと、結局誰かを大事にすることはできないんだな、って結論に、毎回戻ってきます。

でも、自分を大事にする方法って、なかなか現代では教えてくれません。
物心ついた頃には、資本主義的な競争社会で生きてますからね。
資本主義じゃなくても、野生でもそうですね。
周りに勝たないとやられちゃう。

でも、野生ではないわけですから、いったん競争社会の枠組みを頭から外してみると何か見えてくるかもしれませんね。

答えは急がない。
急がば回れ。

何か自分の思い通りにならなかったとき、人はイライラするものですが、そういう時に私は、「思い通りにならなかったから、良かった何かがある」と思うようにしています。

電車に一本乗り遅れた。 > 何かの事故を回避できたのかも。
面接に落ちた。 > もっと良い企業に受かるためかも。

そう思おうとしていても、落ち込んだりしますが、こう心がけることで、いつまでも引きずらないで済んでいるような気がします。

次に起こることは、誰も決められない。
でも、今この一瞬一瞬のつながりで、未来は形作られていく。

元気がでなくても、花粉が辛くても、寒くても暑くても、今ここにいる。
それだけで人は充分なんですよね。

楽しむ競争は良いけれど、競争のために生きないほうが良い。

ふと、思ったことを書いてみました。

では、また。

ひなた

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