サービスの研究

皆さんこんばんは。弥生仁です。

最近、自分の能力向上(のための方法)に関して強い関心があるのですが、それはなぜかというと、能力が向上することにより

①経済的に豊かになる
②自信をもって人にサービスを提供できる

というメリットがあるからです。そして多くの文献や体験談を読んだり聞いたりするとこう判断できます。

努力すればかなりのレベルまで(たとえ凡人でも)到達することができる。

ただ、そういう意見を聞くたびに、心のどこかで「どうせ無理…自分なんて」という声も聞こえてきてしまうのが正直な感想です。

なぜできないと思うのか。それは「教えてもらうことに慣れすぎた」ことが原因です。

学生時代、特に高校生までは「正答」がありました。正答であっても理解できないこと、覚えられないことはたくさんありましたが、とりあえず正答はありました。その正しい答えと自分の理解のギャップを埋めてくれる教師という存在がいました。

一応は、教師の解説はほぼ正解への道しるべとなります。現実的には、懇切丁寧に理解できるまで根気強く教えてくれるところまでいかないかもしれませんが、とりあえず、教えてくれる人がいました。

一方で、教えてくれる人がいない場合は試行錯誤か本などの情報を頼るほかありません。大学時代に漫画を描いていた頃、正解がないことに苦しみを覚え始めました。

ただでさえ教えてくれる人がいなくなることに加えて、そもそも「教えられる人がいない」という問題もあります。なぜなら、正答なんてないからです。

面白い話も素敵な絵も正解はありません。なので、自分で試行錯誤して完成物を作るしかありません。その結果、マルバツがつけられます。最も1か100かといった判断基準ではありませんが、大きく言って○か×かという評価が下されることになります。

実は正解がない多くのこと(就職や結婚、日々の生活など)にも○か×は存在しているのではないでしょうか。なぜなら評価の物差しを誰しも持っているからです。

お金が物差しの人からすれば、外資系金融機関への就職は○です。逆に余暇重視で出世や競争が大嫌いな人からすると×です。

正解や正答はないのですが、心の物差しでは○か×か判別してしまいます。その結果、×が多いと自分の人生について悩むようになってしまいます。

そして、1番の悩みどころは×だった場合、何と答えたら○になるかわからない点です。ちょうど数学の難問に出くわして、適当に数字を書いたけど自分でも違うのがわかる、というような状態です。

×なのはわかるが、○を導き出せない…試行錯誤して○にたどり着くかもしれませんが、見通しすら立っていない。そんな状況が頻繁に起こるのではないでしょうか。

結論からいうと2つの行動しか取れません。1つは「すでに出来ている人に教えてもらうこと」です。

もう1つは「失敗前提で挑戦してみること」です。

どちらも容易ではありませんが、受け身の姿勢だと現実は何も変わらないので(あるいは良くなっていかないので)自分から働きかけないと目標はいつまでも達成できないでしょう。

誰を師とするか。フォロワーシップも大切なのかもしれません。

ここまで読んで下さりありがとうございました!

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