2021年7月31日(土) 「いなくなるかもしれない」対策の生存戦略

 うっかり寝るところだった。


 いまは割と元気だけど、ふとした瞬間に現実あるいは未来に耐え切れなくなって自分が突然いなくなってしまうんじゃないかと不安になることがある。
 生きていく不安を抱えている時は、本当に生きていることを投げ出さないように、生きることのハードルを下げる。とりあえず死なないようにしよう、立派に生きようとしてしにたくなるくらいなら世界にぶら下がりながらへばりつきながら生き延びようと。

 それが自分なりの生存戦略だったんだけど、あまりにも後ろ向きに見えるようで、そんな考え方で社会で生きていけると思ってるのかとの有難いお言葉を頂いたりする。

 社会で生きていく前に人生を生きていけなくなる恐れがあるんだけどね。
 最悪しなないようにと考えて自分で辿り着いた生存戦略なんだけど。


 とはいえ、こんな後ろ向きな生存戦略は公言するもんじゃなかったのかもしれない。公言すれば誰だって甘えるなとか言いたくなるのかもしれないから、人が攻撃できる隙を自ら見せてあげているようなものなのかもしれない。

 誰かに自分の後ろ向き生存戦略を承認してほしかったのかもしれない。
 自分としても自分の戦略に自信がなかったのかもしれない。本当にこんな考えで大丈夫なのかと。

 おそらく自分の感じる「いなくなるかもしれない不安」をちゃんと理解できる他人はいないし、理解しようとしてくれる人もいないので(ダイレクトに「死にたい」という表現は避けていることも影響してるかも)、
 人の承認に頼らず自分が行動の最終決定権をもって生き延びていくんだ。


 たぶん誰かが自分の「消えたい」を本気で聞こうとしてくれるのは自分が消えた後なんだろうな。

ここまで読んでくれたあなたがだいすき!