生きてることが辛いなら

 森山直太朗って作詞もできるんだと思ったら詩は別の人だった.

 とても素敵な詩だと思う.けど,何とかして死ぬ理由を探している人に見せた時,「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい」だけ見て誤解されはしないかと,どう勧めればいいか考えてしまう.


 昔読んだ何かの人生相談で,確か生きてる意味が分からないとか死にたいとかそういう相談に対して,「いっそ死んだことにすれば」という回答があったのを思い出した.今の時代検索すれば出てくるかと思ったけど見つからなかった.

 もし自分が死んでいるんだとしたら,時間の無駄なんてことを気にせずに日向ぼっこしたり,好きなだけ雲を見てぼんやりしたりできる.
 忙しいからまた今度,と思っていた文学全集に手を付けてもいいかもしれない.見たかった映画を見るとかも.死んでるんだから,太るとか高いとか気にせずに食べてみたかったあれを食べに行くのもいいよね.電車に飛び乗って行くあてもなく揺られてみたり,ふらりと降りた駅で普段は我慢してるジュースを買って,一応その町の観光地ということになっているちょっと景色のいい丘まで行って,ジュース飲みながらぼんやりして,帰りがけお菓子屋さんに寄って自分用のお土産にたらふくシュークリーム買って帰るとか,そういうのも.


 あくまで,あくまでポジティブな意味で,「辛くなったらいっそ死んだことにしてみる」というのは,自分が死ぬまで生きるための助けになるかもしれない.
 とは言っても本当に生きるのが辛いと思っている人に「じゃあ死んだことにしゃちゃえば?」なんて言うとどう思われるか分からないし,そこは難しいのだけれど.

ここまで読んでくれたあなたがだいすき!