生きる価値がなくても、生きてちゃいけなくても

 ええ何度も考えたことありますよ。
 わたしには生きてる価値がない。
 生きてちゃいけないんじゃないか。


 そんなことを考えること、要は無意識に当たり前のように未来を生きようと思えないことが、病気であり不幸なことなんだと思っていたよ。

 でもいよいよこの悩みも自覚してから〇年のベテラン選手になってくると見えてくるものがあって。

 生きる価値があろうとなかろうと生きていけばいいし、生きてちゃいけないなんてそれって自分の勝手な感想なんだから気にせず生きればよいのですよ。頭ではそう理解しているけど、心が追い付かなくて、ほんとに生きてていいの?と何度も後ろを振り返って、懐かしい不安に戻りたくなってしまう。


 でもねぇ、最近ちょっと考えているのは(頭では生きてていいとわかっているけど心が追い付かないという話に近いんだけど)、

自分に生きる価値があろうがなかろうが、あるいは自分が自分に生きる価値がないと思っていようがいまいが、はたまた自分は生きてちゃいけないと考えていようが、生きてていいと思っていようが、はたまたそんな考えなどそもそも思い至ったことがなかろうが、まだ死ねないということだよ。


 本当に残酷なのは、生きてる価値がない”気がする”、生きてちゃいけない”んじゃないか”なんて不安があっても、はいじゃあ死にましょうか、とはしてくれなくて、生きていく不安がどんなに大きくても死んでもいい免罪符にはなりえないことだよ。
 生きるのを辞めさせてもらえないことだよ!


 生まれた限り生きずにいられないし、生きる限りものを食べずにいられない、そのために他の命を奪わずにいられない、眠らずにいられない、夢を見ずにいられない、他者に出会わずにれない、社会という大きな機構の一部にならずにいられない、他者を愛さずにいられない、弱く可愛いものを慈しまずにいられない、悲しみから逃れ続けてはいられない、幸福から逃れ続けてはいられない!

ここまで読んでくれたあなたがだいすき!