持ち上げるより引っ張り上げられたい
最近またよくダルちゃんを読んでいる。
この「本当はダルダル星人なんだけど、上手いこと人間に擬態して社会で生活してる、そして疲れたらトイレや机の下でこっそりダルダルしてる」っていう設定、すごく好きなんです。
社会なんてあんまり好きじゃないけど社会で生きざるを得ない自分にとって、同じくどうにか”普通の人”っぽく擬態して生活している女の子ってすごく共感できる。なにより、疲れたらこっそりデスクの下でダルダルしてるっていうのも、社会で生きていくのにそんなに緊張しなくていいんだよって背中を押してくれてるような気がする。
どうしても月曜日が怖い日曜の夜とか、もう平日の緊張感に耐えられない水曜日の夜とかに読むのが好きです。
そんなダルちゃんに書いてあった「私を幸せにするのは誰なのだろう」というセリフ。
ダルちゃんは要約すると「私を幸せにするのは私」という話なのかなと思うし、実際そういう考え方が今の主流なのかなと思う。
私を幸せにするのは私だから人に依存してはいけない、
大人なら自分の機嫌くらい自分でとれないといけない、
人に期待してはいけない、
甘えてはいけない、
大人なら、
前までそんな風に考えていたけれど、最近になって爆発してしまった。
自分しか自分を幸せにできないとかそんなの知らない。
自分が望んでるのは誰かに愛されること、
誰かが助けてくれること、
誰かが甘えさせてくれること、
誰かが許してくれること。
2歳のこどもみたいにわがままを沢山言って、
それでも見捨てずに愛してくれて、
わがままを言った悪い子の自分も含めて受け止めてもらうこと。
そんな誰かに出会うこと。
愛してくれて、助けてくれて、甘えさせてくれて、許してくれる人なんて現実にはいないかもしれない、けど、
それが自分のなにより求めているものだから、そんな都合のいい人なんていないと、自分で何とかするしかないと諦めがつくまで、もう少し白馬の王子様を待っていたい。
そんな気持ちだったので、救われたい企画第一弾として「私を引っ張り上げて」ことティラミスを食べました。非常においしかった。
ここまで読んでくれたあなたがだいすき!