普通になれないというより、「ちょうどいい」が分からない

 「普通になれない」というとちょっと自己陶酔的な響きを含むので、「ちょうどいい」が分からない、というのが一番しっくりくる。


 自分が一生懸命テスト勉強している傍らで友達は過去問を共有してたとか、
赤信号を律儀に待ってるのに他の人は車がこない時に普通に渡っていったとか、
雑談が出来なくてずっと黙ってるうちに周りはもう打ち解けてるとかの、あの感覚。

 白か黒か、0か100みたいな極端な思考になってしまって、ちょうどいい、いい意味での適当がわからない。
 周りの人はみんな容量がよくてびっくりする。そして自分はなんて柔軟性がないんだろうと思ったりする。


 人から言われたのは、不安を感じやすいこととそれに伴う緊張があるから偏った思考になりがちなんじゃないか、ということ。

 それはすごく思う。とにかく不安を感じやすくて、なにかしら心配することを探してきてしまって、心の非常ボタンが常にONの状態になってる。だから正常な判断ができてないんだと思う。


 整骨院の先生も言っていた。
 ちょっと体に力が入りやすいので、それが筋肉の凝りや疲れやすさに繋がってるのかもしれないですね。もしかして性格的にも緊張しやすかったりしますか?

 すごく当たってる。と同時に、なんだかこう言ってもらえて安心する。
 自分が自分のことよく分からないのが一番不安だったから(経験上、よく分からない→なんか怖い→不安 と感情が発達していく気がします)。

 それに、不安を感じやすいことにさえ罪悪感を感じていたから、こういってもらえることでちょっと自分の思考を受け入れられる気がする。



 特にオチもないけれど、今の自分の思考に関する記録ということで締めたいと思う。

 

ここまで読んでくれたあなたがだいすき!