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『Life memory』♡4

今日は「寒さ」を感じましたね~昨日まで扇風機に熱い時にはクーラーを利用していたのに、今日は半袖では寒く感じました。            今回は少し時を戻して、私がプロのコピーライター目指す「きっかけ」になった経緯をお話ししていきます。                   沢山の方に読んでほしいと思います。(私のいじめからの病気の話です)

巻き戻し

私の職場は、コールセンターと事務職が一緒になったような環境で、当時はコールセンター側の責任者をしていました。責任者と言っても、私よりもコールセンターキャリアが長い部下ばかりだったので、マネジメントを主に行っていましたが、別の役職が1人をかわいがり、社内の常識がおかしくなっていました。                              例えば、休憩時間1時間に対して、家の買い物(夕食等)で1時間30分も帰ってこなかったり、制服の着用をしないなど、「ここは会社?」というほど乱れていました。コールセンターの仕事は「電話に出ること」から始まりますが、電話に出ることが立て続けに起こると、「電話取れやー」という暴言を吐きます。信じられないかもしれませんが、事実です。               上司(上の人)は何してるの?と思うかもしれませんが、注意しません、誰も・・・私のみです。何度も話ししましたが、それをまとめるのが私の仕事だと言われ、私の力不足を指摘されました。私も力不足だと思い悩んでいました。                               私はその人たちからは上司になるのですが、ある日「事件」が起きました。

年末年始の大きな金額が動く清算も担当していたので、その日の電話対応は入れませんでした。(もちろん段取りを説明し仕事を進めていました)  U子が私に向かって、「電話取れよ、そんなことは後でやればいいやろ」と暴言を吐きました。それから自分は事務所からいなくなり、かわいがる役職に愚痴をわめいていたらしく、それからもめちゃくちゃになって・・・    私の力不足だと感じています。がその時、「人の放つ言葉は時に人を病にさせる」と感じました。

病気

日々色々ありました、話し合いを行ったり、立ち向かいましたが、それが体に影響を及ぼしてきました。                     多分私が一番辛かったのは、自分が仲間と思っていた人から暴言を吐かれ、仲間だと思っていた周りの人たちは、誰も助けてくれなかったことです。                         1番目に始まった異変は、のどに異物を感じるようになり、うまく話せなくなりました。                              2番目に始まったのが、「めまい」です。会社では更年期だとも言われました。めまいが起こった初日のことは忘れられません。立ち上がれず、気分が悪く吐き気がひどく、這って携帯電話を取りに行って、今の旦那(その時は彼でした)に連絡し、すぐ帰ってきてもらいました。病院で点滴を打つと少し楽になりましたそこからです、魔の日々が始まりました。

一度体調を崩すとそう簡単に戻らないことです。ちょうど6月頃です。  何度も起床時のめまい、通勤時のめまいで、何日も休みました。10数年勤めていたので有給もありましたが、使いはたしていました。        そこから肩こりがひどく、マッサージ屋ばかり探して行っていました。毎日疲労感もひどく、疲れが取れることがありませんでした。その頃です、左胸のかゆみが強くなったのも・・・(後で理由が分かりました)

翌年の3/12会社の健康診断の日です。問診で左胸の触診で、乳房の裏にしこりがあり、先生の指示で触ってみてと言われ、自分でも分かりました。何で今日まで気付かなかったんだろう?「先にエコーを受けてください!!」と強く言われました。エコー検査は検診の項目になかったので、自腹で追加しましたが、それでも先生に受けることを言われました。         エコーの先生は、病気についてはっきり言わなかったんですが、「明日にでも病院に検査に行ってください!!」とエコーの画像写真までくれて、何度も病院に行ってと言われたのです。「えっ⁈」「もしかして・・・」と思いながら、旦那に電話しました。「明日、病院行こうと思っている」と彼に話すと、「穿刺はしない方がいいと思う」と言われました。

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翌日は土曜日出勤の振り替え休日で、たまたま休みだったんです。     近くの大きな病院に行きました。                     先生に「ほぼ乳がんです」と言われました。その場で穿刺も受けました。受けないとがんの検査にならないので。                      直接胸に針を刺して、しこりから細胞を吸引して検査します。これが痛いの一言、ただショックが大きくて、痛かったことは覚えていません。        頭の中は真っ白で、「私がガン⁈」と頭の中で理解ができませんでした。   「検査結果は1週間程度で出ます、できたらご家族と一緒に来てください」と言われました。                            診察室から出て、しばらく待合のイスに座って、多分何も考えてなかったんだろうと思うのですが、そこから車までどうやって行ったか覚えてません。       駐車場の車の中で、旦那さまに連絡しました、一言だけ「乳がんだった」と。                               「そっか」と言葉が少なかったのも覚えています。そこで涙が溢れました。

穿刺2

 ※穿刺の後はこうなります。私の胸がまだあった最後の写真です。

でもご安心ください。生きてます。元気です。                     考え方も生き方も変わりました。楽しいこと笑顔でいることいっぱいやろうと決意しました。プロのコピーライターになろうと思った「きっかけ」です次回は「乳がん」の闘病について、私がしてきた「選択」について、そして自分の持つ「免疫力」についてを、お話ししたいと思います。

#日記 #ライフ #乳がん #いじめ #仕事  


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