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だから...

私が幼稚園の年長のころの思い出です。

夕方、母は夜ご飯の支度をしていました。私と3つ年上の姉はテレビを見ていました。西日が窓から差し込んでいました。

母「夜ご飯のとき、何の飲む?」
私「麦茶!」
姉「DAKARA!」

私は小さい頃からお水とお茶が大好きでした。そして姉は当時新発売されたサントリーのDAKARAにハマっているようでした。その日初めて友達の家で飲んだようでした。500mlのペットボトルで出してもらったようで残ったDAKARAはおうちに持って帰らせてもらったようでした。

手際よく白菜を切るリズムが聞こえてきますが母から返事がありません。しばらくして母がこう問いかけました。

だから、なに??

姉はDAKARAを飲みたいのです。でも母はDAKARAを知りません。接続詞の"だから"と勘違いしているようでした。ちなみに僕はDAKARAを知っていました。とはいえ二人のやりとりに口を挟むことはしません。二人のコミュニケーションに横やりをいれるのは良くないと思ったのです。ほどよく盛り上がり面白くなったくらいで話を整理すれば良いかと思いました。
"ダカラ違い"が生じたまま会話は続いていきます。

姉「DAKARA!!!」
母「だから何よ!!!」
姉「だから、DAKARA!!!!!」
母「だからなに飲みたいかって聞いてるでしょ!!!!!」
姉「DAKARAだってば!!!!!泣」


ここまで来ると信念と信念のぶつかり合いです。泣き出しても頑なに、DAKARAの説明をしない姉と、夜ご飯の飲み物を決めるために怒鳴る母。
太陽は水平線に沈み暗がりが訪れました。
母はキッチンの電気をつけます。キッチンはぼんやりと明るみ、リビングは西日の燦々とした明るさを無くして暗くなっていきました。
リビングにいる私と姉は電気をつけようとはしませんでした。姉は感情的になり周囲のことなぞ目に入らないのでした。一方私も動くことができませんでした。息を殺して静かにしていたのです。なぜか。私の存在を思い出せば母と姉は私に仲裁を求めます。一度私が仲裁に入り、真実をつまびらかにしてしまうとあっけなく終わってしまいます。メラメラと燃える信念と信念のぶつかり合いを私の手で白けさせるわけにはいかなかったのです。❪思った以上に二人が感情的になり私から言い出せなくなりました。❫

3つ信念同士がゴツゴツと音を立てながらぶつかり合う。そこにどうしようもなく生まれた喜劇。
そうして平行線の舌戦は続くのでした。

※我々の北海道弁は標準語に修正してあります。

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