見出し画像

看護学生時代

大学生になるまでの成り立ち

母子家庭で、祖母、母、弟の4人暮らし。
18歳までは普通に反抗期で、どこにでもいる調子乗っている、Jリーグを目指すサッカー少年小僧でした。
今思えば、めちゃくちゃ貧乏だったけど、当時はとても楽しく生活していた。祖母と母親には頭上がりません。
大学進学をきっかけに一人暮らしを始める。

大学の話

中国地方のかなり田舎の大学に通っていました。
母子家庭で、特にお金もないので奨学金を借りて、バイトしながらなんとか大学生を送る。
学費は、祖母にだしてもらっていたみたい。当時は何も知らなくて、親のありがたみを知らなくて、とんでもない息子だったと思います。
今思えば専門に行けばよかった。大学でも専門でも看護師は何も変わらない。学歴よくてもやっていることは同じ、給料も同じ(少し大学の方が高い)

大学生活の話

当時はほんとにお金がなくて、白米に納豆、もやし、たまごごはん。とりあえず炭水化物ばっかり食べて生きていた。たまに、友達の家で冷凍食品食べて、めちゃくちゃうまいとか思っていた。
ほとんど、バイトするか友達とウイイレ、モンハン、サークルのサッカーしていた気がする。
 大学2年生までは、とりあえず単位を落とさないように生活。
 大学3年生になると実習が始まって、大学病院や老人ホームや訪問看護ステーションへ実習。バイトも辞めて、外人さんがたくさん住んでいる寮に引っ越す。
半年間、意味わからない環境下で、毎日レポート課題に追われる日々を過ごす。寮に帰れば、トイレは悲惨、シャワー室は汚い、冷蔵庫はぶっ壊れてている、、、半年間耐えました。
この半年間の看護実習は、試練でした。(いい経験値だった)
今のようにPCはあるけれども、すべて手書きでレポート提出でした。
事前学習、課題レポート、実習レポートなどなど、すべて手書き。字がものすごく汚いのに。
実習中は、看護師さんに、今忙しいからついてこないで、って、言われたり。実際看護師して思ったのは、学生に絶対言ったらダメでしょって、思うことがたくさんあったなと。すべて経験値だと思っていたので、何を言われても黙ってひたすら看護学生していました。学費のこととか考えるとやるしかなくて。(4年間の学費600万)
 大学4年生になると、国家試験の勉強がスタート。
私は頭が悪かったので、大学3年生の1月から国家試験の勉強をしていました。大学4年生の5月ごろには、昨年度の医学書院の国家試験問題の問題文を読んだら、何番が答えって、答えられるくらいやりこんでいました。
就職試験が6月ごろだったので、内定も早々にいただき国家試験に集中できるような環境だったと思います。
大学病院ですが、試験が面接だけだったんです。第一印象だけはいいみたいなので、面接だけなら大丈夫だろうと思い、結果は合格でした。
 大学が東京アカデミーと提携していたのか、夏期講習がありました。当然、東京アカデミーに通うお金はないから、通っている友達から東京アカデミーの本を借りていました。
東京アカデミーは、5冊に本が分けられていて、5冊全部暗記した思い出があります。
4年生は実習をやりながら、ひたすら国家試験の勉強。毎日やっても不安でしかなくて、試験前日も全力で問題を解いていました。一問でも多く正解してやろうと。そう思ったのは、4年間で学費が600万なんですよね。看護師免許証って、賞状(1枚の紙きれ)なんですが、これに600万の価値があるのかと思うと、信じられないです。
国家試験後、すぐに自己採点して、必須科目クリア、ボーダーラインをおそらく超えているだろうくらいの点だったので喜んでいたのを覚えています。
これで晴れて、大学を卒業し、看護師としての人生を進むことになります。

明日のテーマ

明日は、看護師時代について書きていきます。
お楽しみに。

https://www.instagram.com/health_worker2023




この記事が参加している募集

#自己紹介

231,424件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?