悪性リンパ腫になった話
「摘出した扁桃腺を生検したのですが悪いものが、見つかりました。」
「えっ?」
「悪性リンパ腫です。」
「悪性リンパ腫???悪性リンパ腫って何ですか?」
「いわゆる血液のガンです。」
これが、悪性リンパ腫との出会いでした。。
「まだ、病理検査中なので詳細の内容は分かりませんが、血液内科の先生と連携を取っています。一度退院してから、2週間後に血液内科に入院していただきます。」
2010年7月13日、私は40歳の手前で突然、悪性リンパ腫という血液のガンの告知をうけました。
半年ほど前の2009年12月から右扁桃腺が肥大してきており、その摘出のため2010年7月から入院していました。
摘出も無事完了し、経過も順調で翌日に退院を待つばかりの状態でした。
当時は、悪性リンパ腫が何ものかも分からなかったせいか、死への実感はありませんでした。
ただ、息子12歳、娘7歳でしたので何とか5年、いや10年は生きたいと思ったことを思い出します。
妻にはどうやって伝えたかはよく覚えていません。が、お医者さんにはまず私に告知してくれたことに感謝しています。
妻が聞いてもどのように私に伝えたらよいか迷うでしょうし、自分で聞くことで病気に向き合う覚悟が生まれたからです。
幸いにも私は今も元気に生きており、息子の一人立ち、娘の成人をこの目で見ることができ、また妻とも仲良く元気に幸せに暮らしています。
2023年3月、高校以来の親友も同じ病気にかかってしまいました。
原発は私の扁桃腺と違い、小腸原発の悪性リンパ腫でした。
彼も厳しい闘病に耐え、無事復帰しています。これからも健康であることを切に望みます。
この記事を書いたのは、前述のように悪性リンパ腫について、以下を伝えたかったからです。
元フジテレビアナウンサー笠井信輔さんも悪性リンパ腫から復帰されていますよね。
医学的な事は、専門の先生や書籍に任せるとして、このnoteでは、私の受けた治療やその副作用、心の動きや考えたことなど、私の経験をお伝えできればとの思います。
今の半農半Xの生活の考え方もこの闘病生活が影響しているかもしれません。
私の病気の詳細(ステージ・悪性度)
私の病気の詳細の前に前提知識として簡単に悪性リンパ腫について書いておきます。
悪性リンパ腫にはホジキンリンパ腫、非ホジキンリンパ腫に別れます。日本人のほとんどは非ホジキンリンパ腫のようですが、その中でも多くの種類があります。
ちなみにリンパ腫には良性はありません。全て悪性です。
悪性リンパ腫では、知っておくポイントは3つほどあります。
・悪性リンパ腫の種類
・ステージ
・悪性度
私が罹患したのは、非ホジキンリンパ腫の「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)」(以下、DLBCL)で割と日本人に多い種類の型でした。
ステージは、ステージⅡでした。
右扁桃腺で病変あり。また、手術の際、左側も少し大きくなりかけていたので組織を取り、検査をした結果、病変ありでした。
骨髄穿刺の結果は、骨髄にリンパ腫の浸透はみられませんでした。
よって横隔膜の同じ側にある病変が2つ以上のステージⅡとなりました。
悪性度は、月単位の進行ということで中悪性度でした。
ただ、病理検査の結果「CD5陽性」が分かり、予後不良でした。
私の悪性リンパ腫をまとめると以下になります。
ここで注意しないと行けないのはいわゆる癌のステージと悪性リンパ腫のステージの生存率は温度差があり、悪性リンパ腫の場合ステージⅣであったとしても悲観しなくても良いと思います。
また、悪性度についても悪性度が高い(進行が速い)方が、むしろ抗がん剤が作用しやすいとも聞きました。
ステージや悪性度で悲観せず、自身の状態にあった選択肢を主治医と相談し、前向きに治療することが大事です。
敵を知り、己を知れば百戦危うからずです!
治る確率はどれぐらい?
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