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目の前に生じる現実を観て 意識を調律する(調律し合う)

その人の持っている意識状態を知るのに、その人の言葉で、問いに対し表現して貰います。それが 最初の糸口。持っている知識や情報が多ければ多いほど人はそれらの言葉で固められていることが多く、また、逆に情報量が少なく純粋すぎる人も最初にどのようなものを受け取ったか?に囚われる傾向にあるようにも感じられます。

〝理解し合う〟というのは 
思っていたより 大変難しいことなんだなぁ~と亥の年から色んな出来事を通し痛感してきました。

そして究極、
別々のパラレルワールドに生きる、人と人だと解釈するしかない、まったく理解し難い思考や意識を持っていると感じる人さえハッキリ分かる時代にもなってきたようにも感じています。


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意識を擦り合わせる…というのは 家族として顔を毎日付き合わせていても難しいものです。この点において先生の文章を読んでいても、生徒さんと先生の言葉とまったく噛み合っていない様子が伺えます。たくさんの教えを受けても、それをどう自分の中で展開させ感覚として実感して腑に落とさせてゆくか…なのだけれど。

私の身の回りでも、人と一緒に生きているのに、人って私さえも含めて自分の信じる世界にしか生きようとしてないんだなぁ~と分かってきました。自分の信じるところ、理解、から外れた言葉には上辺では頷いていても本当の意味で耳を貸さない人は以外に多い、というのが分かると、〝意見を発しない〟〝今分かっていることを伝えない〟分かっているように装い〝無言でいる状態〟…というのは【こちらの意図している伝えたい内容を理解出来ていない様だ】と分かってきました。

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私も主人も同じ教えを乞うてきましたが何故主人が亥の年の出来事を起こしてしまったのか?というと、本当の意味で理解出来ない状態を放置せざる負えない状態に自分のやり方だったり生き方を本人が選択していた様だ…と私は理解しました。これは主人の場合、情報量や知識が多く頭ではわかっていても自分の感覚として実感、実践を通して腑に落とし日々消化して行くことが日常の忙しさもあって詰め込むだけ詰め込んではいたけれど出来なかったのだろうと私は理解しています。

何らかの自分に突きつけられるような事態を本人自身が生まない限り、本当の意味でその人の人生を省みることは難しい人は居ます。自分のやり方、生き方で人生を最期までやりこなせれば良いのでしょうが本人も口にしていますが、ある程度の年齢までは若さとかそれまで蓄えて来たもので、何とかやってこれてもそれだけではやりこなせなくなってしまう状態…というのが運気の上でも肉体的精神的な点からも、、衰え、が生じた時、現実的な負の状態を本人が負うことになってしまいます。

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現実的に見える〝負の状態〟はけしてネガティブに受け止め過ぎなくても私は良いのではないかと思っています。逆に言うと、それが無ければ気付けなかった、軌道修正出来なかった、自分の目に見えない内側の何がそのような出来事を引き寄せたのか?…と自身に知らせるキッカケを与えられているだけなのじゃないかと私は理解しています。

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そういう〝負の状態に見える出来事〟は極力避けたい、と人は思うでしょう。けれど、人は自分の信じる世界に生きている。それはそれで良い、と私は理解していて、その人の生き方なり意識の持ち方を 正した方が良い、なんかどこかを変えた方が良い、と本人が実感し他者の教えを聞いてみても分からず、実感実践出来ない、また、それらに取り掛かる余裕のない時。
必然にその人の身の回りを強制的に全てを止めてしまうような出来事が起きて考える時間を人に与えられる事があります。

こういうことを繰り返すのは、無駄な時間のように感じられもしますが、人には必要なことしか起きない(引き寄せない)…とすると 今 どう生きるのか?今 どういう意識でいるのか?が 大切で、出来れば、自分の人生で負の状態が起きた時、本人が受け入れやすい状態が与えられるはずなので、自分の意識とは違えているように感じる人の言葉などを取り入れることを勧めたいと思います。

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