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自分を苦しめているのは 実は『自分』。救うべきは加害者‥という真実〜ティク・ナット・ハン〜

前回の記事で書いた
ティク・ナット・ハンの法話より

自分が被害者だと思うものに対しても
その加害者こそが 正しい知恵を持てず
無知であり 間違った認識から 高ぶった感情から その行動に至らしめられた
のだと

慈悲の愛が生まれ

救うべきは 加害者なのだと
真実を観る
事が出来ます。

ティク・ナット・ハン 法話より

救うべきは 加害者なのだ、という
真実を 観る

潜在意識へのアプローチに
日本は遅れているなぁ〜と感じたことを
こちらでもあげたことがあります。

この『加害者(こそ)を救うべき』‥という考え方、見方、捉え方、は 日本では まだまだ理解され難い遅れた現状にありますね。

‥けれど

今年に入ってからの気付きの中で
これに関連する物事の見方を
書き綴ってきました(*ᵕᴗᵕ)⁾⁾ ゥンゥン

胎臓界曼荼羅に描かれる『餓鬼たちの描かれ方』・大餓鬼会の法要・歎異抄や親鸞の考え方『悪人こそ救うべき』・『人は皆 悪人』‥etc

‥などなど
この場所でも 触れてきました(*ᵕᴗᵕ)⁾⁾ゥンゥン


そして 『ミステリーと言う勿れ 』久能整(くのう ととのう)の言葉。第3話 の中でもこれに関することが表現されています。

6分35秒辺りから


「あの。

僕は常々思ってるんですが、
どうしていじめられてる方が
逃げなきゃならないんでしょう」

欧米の一部では、
いじめてる方を病んでると判断する
そうです。

いじめてなきゃやってられないほど 病んでる。

だから
隔離して、カウンセリングを受けさせて、
癒すべきだと考える



「でも日本は逆です。

いじめられてる子に逃げ場を作って
なんとかしようとする。

でも
逃げると学校にも行けなくなって、
損ばかりすることになる。

DVもそうだけど、
どうして
被害者の方に逃げさせるんだろう。

病んでたり、迷惑だったり、
恥ずかしくて問題があるのは 加害者の方
なのに‥」

『ミステリーと言う勿れ 』久能整(くのう ととのう)の言葉‥より

そう在る状態を
自分自身が受け入れ 認められるか‥
〈これは他者のそれに対しても‥〉
‥というところ( *´ㅅ`)⁾⁾ウンウン

誰にしも『善・光/悪・闇』といわれる両極は内包されていて それを自ら認め向き合おうとさせなかった環境、風潮や文化 があります。両極は内包していて それを自ら統合させてゆくことができるのか‥‥
まずは 両極が自分自身の内側にも在るのだということを 認識することから始まりますね。
ウンウン(( ˘꒳˘ *))

それが在るのだということを認めることが出来て、それを許すことが出来るか‥

〈これは自分自身に対して、そして他者に対しても‥〉

難しい自己への問かもしれないけれど
良い人間を表現するのには それに反する自分の姿を隠さなければならず とっても厄介です。


自ら湧いて来るものを観察し続け
自己の『加害者的 行為を生む思考』を
それを自らキレイに調えてゆく‥

‥そんなコロナ禍の後から時間が与えられ
自己浄化が進む、そんな時代に
やっと入って来ました。
(* ˘꒳˘)⁾⁾ウンウン


‿‿‿‿‿‿‿‿‿‿⿻ ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ ⿻*.·

胎臓界曼荼羅に描かれる『餓鬼たちの描かれ方』・大餓鬼会の法要・歎異抄や親鸞の考え方『悪人こそ救うべき』・『人は皆 悪人』‥etc
こちらで触れてきた記事↓






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