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自分の内側を深く観察することが根本的 問題(課題)の解消に繋がる《コロナ禍で得られる より良い自分への気付き》

家族とか職場で関わる人と人の関わりの中ではそう簡単にその関係を解くことは出来ませんよね。だからこそ、その関係性の中で取り組むべきその人にとっての人生の課題、というものがある気もします。

私は小学生の頃から日記を付けているのだけれど、もともと物事を深く観察するのが好きで、一つ一つのパーツがどう重なるとどんなものが生まれるのか…と 物事の仕組みを知るのに良く観察していると、個である人でさえ大きく分類され、そのまとまりが起こしやすい、陥りやすいパターンや どんなものを生むパターンを持っているのか?などが観えてきたりして面白いのです。

最近ヴィパッサナー瞑想を学ぶ機会があって、 外界から働きかけられるあらゆる刺激を遮断し 自分の内側に浮かび上がってくるものをじっくり観察してゆく…、これは通常その人の人生の中で幾度と繰り返し引っかかっているものが 浮かび上がってくる、というもので、その人の脳裏に浮かぶものは何らかの作用をその人に齎しているものとして観察し、そこから導かれる様々な効果を実感しています。(とても良い瞑想法なので興味のある方は調べてみてくださいね。)

それらを深く観察し客観的に捉えてゆくことで、観ないように蓋をし巨大化させていたものも 「そう恐れるものではない」と 分かるようになって手放せるようになったり 根本的な解決法、解釈法が腑に落ちてくる…そこまで観ると それそのものが生じることが無くなり消える事になって来るので根本的浄化に繋がってゆくのが分かります。



人、というのは、安易に表面的な楽に流されやすい状態に置かれることが多く、物事を深く観れない様に外側に流れる 人の心を惑わすようなものに誘われやすく、なにかに集中することを許さない周りの環境の慌ただしさ忙しさの中に居るもの

…のように感じたりしています。(でも 何かに流されないことが良いことだと伝えているわけではありませんよ…)




コロナ禍で より身近なもの、自分自身の内側に 心を向けられたことで、得られるものが多いと語る人は多くみうけられていて、今まで 外側に在るもの、遠き所に在るものに いかに自分の時間を自ら割いて来たのか、を知ることになった人も多いのではないでしょうか。(そうは言っても数多くの事を学ばせて頂いた師となる存在の方達にはとても感謝しているし、こんな状況ですから 効率的で自分自身が必要な学びを得られる機会があれば 私はそれらを得てゆきたいと思っています。)

この時期、大切なものはもう既に自分の内側だったり身近に在る、と知る良い機会を私たちは与えられたのではないのかな…。だから本来自分の心をどうにかするのも最終決断は自分自身にしか発動できないようになっていて、誰かにそれを頼ること自体 また迷いを生む原因となってしまっていることがある様に感じられます。


自分の内側を自分が調えてゆこうとすれば次第に自分を含む全体も調ってゆく…。自分自身を自分が観察して自分を常に調えてゆくことは大切です。

溢れるように在る多くの外側に見えてしまう“自分に対して必要かもしれしれない~ものたち~”…に誘われ 振り回される様に在り続けていた自分がいましたね。こういう事もパターン化してしまうと 良く見えなくなっていたように思います。

外出自粛として全てを否応なしに止められた事で知ることになった人も 多いかもしれません。“一旦全てを止めて それらを見つめ自分を点検する事”って パターンを崩すことに繋がって 浮かび上がり見える大切なものを見つけられる作業です

外側を見せられ(目は外側を見るように出来ているので…)、自分には無い、と思わせられるものが この世の中には多いです。けれど、実は自分の中に既に在るものは多い。欠けているのでなく、もう既に満ちている。…と捉えられる様になると、人はみな同じにはならないのだから自ら自分の特性を見つけ、それを伸ばす作業が自ら必要になってきます。だから自分の時間を無くすように外側に在る何かに引きづり回される必要はありません。


人々は同じように、個々に置かれている状況の中で、個々の特質からその人の視野の違いから、どんなものに気付き、どんなものを得ているのか、…を自ら気付くことで、確実にその人の特質を通した視野から観ているはずなのでその人の特性を活かした未来への展望に繋がっている様にも思います。


時代は変化し続け、同じ様に人自身も変化変容(=成長変化)し続けています。その変化を頑なに拒む必要はなくて 変化は時が流れる様に 刻々と訪れています。


スピ系では 不安に煽られるのではなく(その人の外側に見ている楽や喜び)楽に、喜びに、と 誘導する人も多いようだけれど、誰かの楽や喜びと そもそも自分のそれとは違いがあるのでは無いのか、とも疑問が湧きます。

先ずは ご自身の内に心を向けることを奨励したいですね。

そしてこれは不安に煽られ怯えることを勧めているのでなく、その根源が何なのかを探るためのものです。そこをよく観れば、外界の世界の在り方の変化と共に自分自身の在り方も変化変容させてゆくことに 自分の特殊性を活かしてゆけるのではないでしょうか。


自分の心は自分にしか解くことは出来ません。誰かが言っていることが自分にとって正しい訳でもなく、自分自身が自分の道を歩んでいます。自分以外の者が自分の行く道を決めることも出来ません

個々の特質は その人の生きる世界を創り上げてゆくその人が創り上げる世界のエッセンスです…。

こんな風に考えてゆくと、創造はその人次第で如何様にも変化変容し続もので終わりは無く、豊かにどんな風にも変わってゆけるものとなってゆくんじゃないかとも思います。











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