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「【映画】Everything Everywhere All at Once.」~全ては 繋がっている~「私」がどんな選択をしても どんな次元に「私」が居ようと 全て可能なのだと 「今ここに在る私」は 知っている。《深遠な世界が描かれた作品》
アカデミー賞 七冠を獲得「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」Everything Everywhere All at Once.
お友達に良い作品だと聴いていたので U-NEXTで鑑賞しました。素晴らしい作品。なんとなくマトリックスにも通じるようだと 最初の空間移動?を観ていて感じました。肉体はそのままに「意識」だけが「次元」移動している感じ。
多次元とか パラレルワールド、並行宇宙、「私」の一つ一つの選択が違っていたら「私」はどうなっていたのか…と 誰しも考えたことがあるかもしれない。
今 「私」が居る、現実世界を
どんな風に受け止めていますか?
幸福だ、恵まれている…と。
不幸だ、不運だ…と。
どんな風に「私の世界」を 「私」は感じている?
どんな風に「私の世界」を 「私」は感じているでしょうか?
しあわせだと感じていれば その様に…
不幸だと感じていれば その様に…
「私」の心に在るその感覚は
目の前の現実に映し出されています。
現実がそのように在るから
「私」は しあわせなのでしょうか…。
「私」は 不幸だと感じるのでしょうか…。
目の前に現れる現実は 「私」が生み出しているのか?
「目の前の現実」が 今の「私」を生み出しているのか?
…「私」が在る世界は
「私」が生を受け この世界に降り立ってから「選択」し続けた結果が 今 居る 現実世界を創り出しています。
さて…
現実や「私」自身を こうやって 観てみると
今在る状態を どんな風に捉えれば、前向きな世界へ《*「福」が逆さまな世界へ⇒この解説は記事の一番下にあり》と向かってゆくのでしょう。
……そんな事が 次第に分かってくる…
そんな映画だと 私は解釈し読み取っていました。
「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」公式サイト↓↓↓
そして 面白い解説を見つけました。
こちら↓↓↓のリンク先はネタバレ内容になります。ご注意下さいm(_ _)m
映画内で明言されてはいないが、エヴリンはADHDという設定だそうで、その側面からこの映画を観ると、また新しいことが見えてくるかもしれない。
![](https://assets.st-note.com/img/1683946840736-zz4plIEoO9.jpg?width=800)
現在 U-NEXT独占配信中で
2日間 990円で観ることが出来ます。
Everything Everywhere All at Once.
《どんなことも》《どこにいても》《全ていっぺんに》
*以下 ネタバレ内容になります。
これから鑑賞される方は ご注意下さい。
多次元に在る様々な「私」の能力や技能 感覚を「ダウンロード」し 身に付け 今の「私」が既にもう体験し実感したように 今この現実に活かす
突拍子もなく 「普段の“私”」だったら 実行出来ないような「行動」を「一つの扉」とし、様々な世界(パラレルワールド・平行宇宙)で生きる「私」へと「意識」が行き来します。行く先々の「私」の能力や技能 感覚を「ダウンロード」し 身に付け 今の「私」が既に体験し実感し 今この現実に活かす…そんな場面が数々と描かれています。
今 「私」が存在している場所では 想像も出来ない行動を「自分が行ってこそ」今の次元とは 違う次元へとジャンプ出来る
劇中 パラレルワールドへと飛ぶためのアリゴリズムを、突拍子の無いことをすることとして発見した、と表現され、今 「私」が存在している場所では 想像も出来ない行動を「自分が行ってこそ」今の次元とは 違う次元へとジャンプ出来る…というのは分かる 気がしませんか?
「既に出来ている」 「出来ない」、「既に分かっている」「分からない」、これらは 世界を違えていて 目に見えない容易には超え難い境界を造っているようだ、とも分かります。
「出来ない」と感じている「世界」から 「出来る世界の自分」へと 自分の「意識」が超えることが出来ると、もう 「出来なかった自分」は 消えて無くなって、それが「出来る自分」になっています。
出来る、出来ないを 超えてしまうと 違和感や境界は 簡単に消えて行く
これらは私がずっと触れ続けている「目覚め」とか「覚醒」「実存的変容」「未来創造」にも 共通した考え方です。
劇中 語っている「言葉」を 観察する人は同じように感じ取っているかもしれない。
そしてまた、 「私」が今 どこに居るのか…で それぞれの見方があって、捉え方、考え方、望むものが違って 当たり前だし それで良いのだと思います。
自分を戦士だと思っているね。僕も戦士だよ。僕なりに戦っている。
怖いから、混乱してしまうから争うんだ。僕も混乱してる。一日中。何が何だか分からない。でも何となく、全て僕が悪い気がする。
分からない……一つだけ分かるのは優しくならなきゃ。お願いだ。優しくなって。自分を見失った時には特に。
生を受けてから 人は
数多くの選択を超え 「今」 に至っています。
生きるエネルギーを 悲しみや怒りとしていないか?…とすると「争う状態」「抵抗」や「反感」は必然に生まれている、と 分かってくる
そして 多くの人は気付いているかもしれない。特に日本が戦争に負けてから、「負けたくない」「勝ちたい」「何かを掴み取り続けなければならない」「けして屈しない」「○○しなければならない」「○○することが正しい、そこから外れてはいけない」…etc、そんな感情とか想いが 生きる力を奮い立たせて来た歴史があります。
だから戦闘モードで 人は悲しみを怒りに変え
て 馬車馬の様にがむしゃらに生き続けて来たようにも感じられます。
…そういうことが必然に行われて来たのだと 今 それらを観てみると、…だったら 無意識に仕組まれてしまった同じようなパターンのままに「今」を生き続ける必要があるのか?
……と自分に、問うてみる。
…それでは、今 何を選択するのか
……そして もっとも重要なのは、
「…それでは、今 「私」は何を選択するのか」…です。
このまま 「変わらない自分」で居続けるのも
けして間違いじゃない。
「変わってゆく自分」を選択し これまでのパターンを一旦壊し 何気なく これまで選択して来た生き方から外れた、「これまでとは違った選択をする自分、変わり続ける自分」を選択するのも 間違いじゃない。
「選択した私」と「選択しなかった私」
どちらの人生も その次々に生まれる平行宇宙では 「私」が存在し 数多く分岐する「数々の宇宙」の中でも 今に生きる「私」が選択する一つの宇宙に「私」は生きています。
どんな宇宙、平行宇宙や多次元に存在する「個々の私」に居たとしても、この様な 宇宙の壮大なる仕組みを知った時、
「“私”は全ての次元に存在して居て 全てを可能に出来る」
「“私”は全ての次元に存在して居て 全てを可能に出来る」……だから 「今在る私」が 何かを選択した時、全ての次元、平行宇宙に在る「私」へと 何らかの影響を与え合っているのだ、と知る。
…と すると
多次元に生きる「別世界の私」の影響を「今に生きる私」も何かしらの形で受け取っている。
……そんなことも 読み取ることも出来ます。
「私」が存在して来た もの・こと・人に囲まれ 「私」は 「想い」を生み「私の言葉」が生まれ「私の行動」として来た
生後、「私」が存在して来た もの・こと・人に囲まれ 「私」は 「想い」を生み「私の言葉」が生まれ「私の行動」として来ました。「“今在る私”という人物像」はこうやって表現され 自分や自分の周りの人達に認知されて来ました。
これは 「似たパターン」の中で生きるからです。
「境界」「制限」「超えられない壁」は 肉体を纏って人として生きる中 容易に思い込まされてしまう仕組みがあり 自ら作り上げてしまったもの
思い込まされている「境界」「制限」「超えられない壁」は 自ら作り上げたものです。
「私」が経験して来た環境が 「私」を作り上げてきたのだと思いますか?
「私」というものは 簡単に 外側に在るもので変わってしまう、だから外側に材料が揃わなければ 最高の自分にはなれないのか?
…だとしたら 最悪な環境だから「最悪な私」となってしまう、そして 最高な環境でなければ「最高な私」にはならない。外側に在るそういうもので「私」が造り変えられてしまえる、「私」というものは 簡単に 外側に在るもので変わってしまうもの、なのでしょうか?
同じような環境を、与えられたとしても 選択を変えれば生き方が変わっていきます。
違うパターンが生まれます。
目の前に広がるのは「けして超えられない壁」なのでしょうか?それとも「抵抗なく超えることが出来る壁」でしょうか?
すべて 「私自身」がそれをどう捉えるのかを決めています。「超えたいのか?」「超えたくないのか?」「これまでの自分のままでいい」のか「これまでの自分から脱して 自分を変えたい」のか。
今 在る「私」は 「今 ここに 私が在ること」を「私」が決めて 選択し「今ここ」に居る
Everything Everywhere All at Once.
全てのことは 全ての場所で 同時に生じている。
…だとたら……
「私」は 何を選択し 「今在る私」は どの次元に生きる「私」として生きていきたい?
……深遠なる自己への問いを 自分が自分自身へとこれからも いつの時も 問い続けてみて欲しい🙏✨️
より深遠な理解を深めたい人のためのリンク↓↓↓
「福」を逆さまに表現する 意味
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中国語で「福」を逆さまにすると、「倒福 dao fu」となります。 この「倒dao」と同じ音を持っているのが、「到dao」。 つまり、「やってくる」を意味しています。
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