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解放の道 一歩一歩、着実に、…《 追記 》

内側にあるものは誰もそれに触れることが出来ないのだから 自らそれを観ることをし、それら一つ一つを解いてゆく。その時 必要なものは決まっているけれど、そうしなければならないものでもなく、見ようとしなければ観ることはありません。見えない、…ということはその時 自分の世界には全く関与していないことになっています。

けれど、それは それでよし

その人が見えないのは、無いに等しく。無いのだから気付くこともない。見えない、というのは積極的に見ようとすることをしないことでもあり、見えていない深い所を観ようとしない人の多くは、見ないことによってそこから引き起こされた何らかの大きな出来事に直面することがあります。これらは、本来小さな出来事が繰り返されていて、そのうちに 大きな出来事となって直面する場面があるように感じられます。

その人にとっての衝撃的な大きな出来事はその人の仕組みを象る一つにもなっていて、その人のパターンが その何らかの出来事さえ引き寄せる性質を持っているように…。

でも その衝撃的な出来事がその人に対して 何かを気付かせるための大切な出来事であるならば、それはネガティブな出来事、という事でなく、前向きなエネルギーを持った出来事だと捉えることも出来ます。そうしてその出来事の見えない部分を観てゆくと その出来事を引き寄せる根本的仕組みが分かって、実は自分がそれを引き寄せる原因にもなっていることを知るのです。

けれど、そういうことが明らかになっても悲観することはありません、一つのパターンが生み出す 引き寄せ合うもの、があって、そのパターンをそのままにしておくか、変更するか、によって 結果、引き寄せられるものが変わってくるということが分かるだけの話しです。




ネット社会が生み出したものは、沢山の人達の 理解にはその数の分だけ何らかの違い(ズレ)がある、と 文字を通し確認する事が早期に出来て、なおかつ、顔や表情も見えない中、またその人の置かれている背景など知ることも無く、何らかのその人に与えられているネガティブな作用が単にその人にその行動を生ませていることもあるはずなのにそういったもの感じられるものが欠落し、一般人がメディアの様な発言の場を多くの人達が無責任に放っている現状があります。

たとえ身近な人でさえ 理解してもらうこと、理解しようとすることは容易ではなく、自分と他者の表現には違いがあって、認識にも違いがあり、またその時の心の状態によってもその人の表現は影響されたりすることもあるから、分かったつもりでも分かっていない、伝えたつもりでも伝わっていない事は 意外に身近でも多く見られて、言葉には限界がある、と知ります。

目に見るものをそのまま鵜呑みにする必要は無く、表面上見えるものに右往左往することもありません、実感や自らの確認作業を通し 自分自身の内側に感じるものを大切にしてゆくと、外側にある無責任な言葉に傷つく必要が無いことが 分かってきます。

人それぞれ積んでいる経験に違いがあるのは当然なので、人によって繰り返されている経験に違いがあるから 結局 住む世界(見える世界)に違いが出てくる事でもあるのです。





一様ではないその人にとっての“気付き”を得る、とは その人にとっての特別な何かが起きないと知らされないこともあって、不快に感じられる出来事さえ、本来、自分に大切な何かを知らせるものとして捉えられると その人の意識に直接働きかけるエネルギーが生まれています。

逆に言えば、物事に 良い、悪い、とラベルを貼るより、どんな大切な事を知らせてくれるのかと じっくり自分の身の回りに起きる出来事を観察して行くと自分のためになる様々な発見をもたらすものとも成りうるのです。


時間を掛け解かれてゆく諸々は 解放感として齎され肉体を脱ぎ捨てる前に一つ一つ剥がされてゆくもので、 だから感覚として浄化されたように軽くなりスッキリ感が齎されます。肉体をもって生きるとは、時間を生きることになるので、時間が一つの仕掛けとなってそれに力を与えています。

時間が解決するものは多いですね。

根深い家族的なカルマは 時代の中で生まれていたものも多く、集合的意識に繋がるものもあり、それを一つ一つ解明して行くことが解き放たれることにも繋がって個人の何かが悪い、ということでもなく、時代がそういう人間の性質を生み出した、ということにもなっています。

物事の目に見えない 深い意味(仕組み)を知ると より深い発見が齎され 自分や その人の 何が その行動にさせたのかを知る事にも繋がり,、感情に囚われる事無く手強い物事の解体にも臨むことが出来ます。


こう考えてゆくと 物事が起きる意味は本来きちんとあってそれに対する解決法も用意されている…と読むことも出来て、刻々と変化してゆくものを 一つ一つ観察してゆくのは面白くたのしいです。


✳️《三浦春馬さんの報道を受け追記します。若過ぎる未来とても楽しみな彼があんな形で逝ってしまうのを聴いて本当に残念です。外側の誰かの言葉や何らかの出来事から感じられる事は参考にこそすれ、自分の身を脅かすものが多いと感じる時は、そういう意見から離れたり、聴かないように観ないようにすることも、私は大切だと思っています。自分の身の回りの出来事から根本的な深い部分にある何かを感じとるのは、それが必要な時もあるし、それが必要じゃない時も当然人によってはあると感じています。全て最良のタイミングで自身を傷つけ過ぎることなく、横に置いておく必要がある時もあり、一気に深いところを観ようとしたり、物事の深い仕組みを知る必要も無いとご理解下さい。物事にも最善最良のタイミング、というものがあるのだと私は思っています。ほんとうに勿体ない彼の死です。彼のご冥福をお祈り致します》✳️



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