ラフォーレのテプラ芸パクリ騒動、ちょっとした覚書
ラフォーレグランバザール2020年広告
最近出されたラフォーレの広告について、「パクリ」議論などが提起されているようだ。上記の広告は、テプラの大量使用をモチーフとしたうえで、印刷屋がタダで公開している「見やすい広告のコツ」レベルのデザインの基本に忠実に、最も伝えたいメッセージ「ラフォーレ グランバザール 1月23日~27日」に的確に視線誘導しつつ周囲を装飾的テプラで囲うデザインとなっている。
これに対して、酒井いぶきさんという「アーティスト」がテプラを装飾的に使うのは自分がオリジンであると主張しているようだ。私も少し見たが、これで「アート」でオリジンであると主張するのはちょっと厳しいレベルの独創性という印象だった。この騒動で一番問題なのは彼女の作品に剽窃が多すぎることだが、それは上記リンク先を参照していただくこととして、この項では、テプラアートの創作性に絞って少しメモ書きをする。
テプラ公式のテプラ芸
カラフルなテプラで全体を埋め尽くすテプラ芸は、そもそも論としてテプラが公式に箱の裏で例示している。この程度の芸は美大の1年生が毎年1人は課題で出してくる程度で、独創性と言われるとかなり厳しい。
ティーンエイジャーの女子がカラフルなテプラを好むことは実は1990年代には注目されており、同時代にはテプラを女子中学生向けにアレンジした「ルシール」という商品が発売されている。
マスキングテープ装飾
その後、21世紀に入ってからは、女子学生による「シールで装飾する」「テープでデコる」文化は、マスキングテープ(仮押さえテープ)がその中心となった。渦中のキングジムも女子高生をターゲットとしたマスキングテープをわざわざ開発しているほどである。
マスキングテープをつかうと自然とストライプ中心の装飾となる。マスキングテープ専門店「mt store」の広告は、毎回ストライプ中心の情報過剰芸といった風味の演出になっている。
mt store 2014年の広告
酒井さんのテプラ装飾は、この文脈から見れば、マスキングテープをテプラに置き換えてキッチュな風味を出したという程度で、もともと存在している文化からの積み上げは正直薄い。というより、酒井さんのテプラ芸自体が、「ルシール」が売られていた20世紀末への先祖返りと見なせる。
カラフルなストライプ
酒井さんのテプラ芸「作品」はカラフルなストライプで地を作っているのが印象的だが、これ自体は20世紀のポップアートでド定番となった表現の一つである。近年の有名どころで言えば、2011年の九州新幹線全線開通時はこのテーマで統一されていた。
「祝!九州」キャンペーン 日経ウーマン2011年4月号
単に彩度の高いストライプでにぎやかなイメージを出しているのを「独特の作風」と言われると、さすがにきついものがある。
ステッカーボム、ロゴコラージュ
色を叩きつけるように使う情報過剰なテクスチャーで言えば、すでにステッカーボムやロゴコラージュが定番の表現として存在する。特にステッカーボムはシールを過剰な密度で貼り付けていくものなのでテプラ芸との類似性は高い。
logo collageでのgoogle画像検索結果
カラフルさや情報過剰感も今時特段新しい表現ではない。ちなみに表題のカラフルな矢印コラージュはpublic domain vectorsという著作権フリーの素材サイトから拾ってきたものである。この表現技法は著作権フリーになるほどありふれており、独創性を認めるのは難しい。
総じて、酒井さんのやっていることは「手法は20世紀末への先祖返りであり、表現のテイストもありふれたもの」という印象で、あらゆる意味で独創性を見出すのは難しい。
なんでもかんでも「前例がある」と言われると、息苦しくないですか?
さて、ここまで前例を大量に挙げられると、もはや何を表現しても新しさがないと言われ息苦しいという印象をもつ方も多いだろう。実のところ、美術界はかれこれ100年くらいこの息苦しさの中にあると言ってよい。現代美術は理解できないと言われるようなものが多いのだが、ありとあらゆる表現に前例があると言われ続けて苦しみ抜いた末に出てきた表現であるということろは考慮していただきたいところである。
現代において真の独創性を具えて「アート」と呼ばれるハードルはとてつもなく高く、まじめにやると苦行以外の何物でもない。ただ、本物として評価されるにはそのレベルの苦行は超えてきてほしいわけで、楽しく自己表現したいだけであれば、ちょっと背伸びをして偉ぶるとマサカリが飛んでくることを覚悟のうえでやっていくしかない、というのが現状かとは思う。
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