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中森明菜の圧倒的な「ア行」。そしてシンガーとしての確固たる矜持。

 映画『中森明菜イースト・ライヴ インデックス23 劇場用4Kデジタルリマスター版』が公開された。2023年の大型連休、巷はコナンだ、マリオだと盛り上がっている中、ひっそりと。でも、この公開は、ファンの間では相当な盛り上がりをもって受け入れられた。
 もともと、映画作品としてではなく、ビデオ商品として1989年11月に発売されたものだ。もともとのタイトルを『AKINA EAST LIVE INDEX-XXIII』といい、2枚組のCDでもリリースされた。
 一般的には『伝説のコンサート』とも称されているが、もともとそのようなタイトルではなかった。2022年にNHKがこの映像をオンエアした際のタイトルが広まってしまったようだ。中森明菜のシングル曲23曲をまとめて楽しめるというのも「伝説」の名にふさわしいとされる理由かもしれない。このライブが行われたのは、1989年4月。この年、彼女はプライベートでの混迷や事務所の独立などがあり、シンガーとしての節目を迎える。そうした背景をなぞらえても、やはりこの映像からは「伝説」の二文字が連想されるのだろう。
 そんなバックグラウンドはさておき、このライブ映像に収められた歌声は圧倒的クオリティを誇っている。
 
 収録されている楽曲は24曲。シングル23曲に、当時の最新シングル「LIAR」のカップリング「Blue On Pink」が加えられている。CDは当日の演奏順に収録されているが、映像の方は一部曲順が変更されている。前半と後半の間にバラード曲が続けて歌われる箇所があるが、その一部がエンディングへと移動されている。これは単純に、ビデオの構成上の理由かと思われる。(詳しくは、CDとビデオ、それぞれの曲目表を各自確認していただきたい。)
 ステージ構成は、バラードコーナーをはさんで、前半と後半に分かれている。大まかに言って、「TATTO」から「ミ・アモーレ」までの前半は1980年代後期の楽曲、「飾りじゃないのよ涙は」から始まる後半は1980年代前期の楽曲で占められている。
 1980年代を通して大きな人気を誇っていた中森明菜だが、1985年頃に大きな転機を迎える。担当ディレクターの交代だ。デビュー以来担当してきた島田雄三が現場から退き、2代目の藤倉克己に引き継がれる。シングル盤でいうと「ミ・アモーレ」と12インチ盤「赤い鳥逃げた」まで、アルバムでいうと『POSSIBILITY』までが島田時代。それ以降は、徐々にフェイドアウトする形で藤倉に引き継いでいったようだ。
 つまり、この映像作品は、藤倉時代の楽曲を前半に、バラード部をはさんで、島田時代の楽曲を後半に集めたという形になっている。島田時代の「ミ・アモーレ」が前半に組まれているが、これは構成上の理由ではないかと思われる。前半のハイライトとしてふさわしいと判断したのではないだろうか、おそらく。
 
 「島田時代」「藤倉時代」というのは、単にスタッフが変わったというだけではなく、音楽的にも大きな差異がある。ディレクターが藤倉に交代して以後、中森明菜の楽曲は洋楽的なアプローチが顕著になってくるのだ。島田時代に打ち立てた「世界に羽ばたく明菜」という基本コンセプトは踏襲し、メロディーラインや詞のテーマ、衣装などに生かしている。しかし、サウンドはそれまでの歌謡ロック的なアプローチから、よりコンテンポラリーな方向へ傾いていく。この映像作品は、そうした前期、後期のサウンドの違いを意識し、明確に区別した構成になっているというわけだ。
 
 さて、中森明菜の最大の魅力のひとつに、安定した高い歌唱力がある。それは、前半だとか後半だとか、そういう枠を超え、一貫している。しかし、その歌唱力にも、大きく二種類あると考える。
 ひとつは、ウイスパリングボイス。つまり、ささやくような歌声だ。この歌唱法は、「セカンド・ラブ」や「難破船」などのバラードでよくみられ、比較的声量も抑えられがちだ。余談ながら、1980年代後半にリリースされたアルバムの中には、声量の低さに加え、ミキシングの調整によってボーカルが聴き取りにくい楽曲もみられ、賛否両論を巻き起こしたこともあったようだ。
 それにしても、この歌唱法で歌われたバラード曲の、いかに説得力が高いことか。特に、この映像作品で「難破船」を涙ながらに歌う中森の姿は聴く者を魅了し、感情移入を促す。彼女の高い表現力に目を付け、この曲を歌うよう提案した加藤登紀子の英断を讃えずにはいられない。
加えていえば、この歌唱法はアップテンポの曲でも効果的に使われている。顕著な例が、「I MISSED "THE SHOCK"」だ。全編通して、ささやくような歌声をたたみかける。このミニマル・ミュージック的な手法がたまらなくよい。チャート上は3位止まりとなり、連続1位獲得の記録を途絶えさせた作品ではある。しかし私は、この楽曲は80年代後期のシングルの中では、最高傑作のひとつであると信じて疑わない。
 
中森明菜の歌唱力のもうひとつの側面。それは、張り上げるような歌声の伸びだ。とにかく声が伸びる。野太くて、力強い。しかも、それは、ア行に顕著なのである。
典型的な例が、「飾りじゃないのよ涙は」だ。歌い出しは、どちらかといえばウイスパリングボイスの歌唱に近い感じ。しかし、ヴァースの最後に「私泣いたりするのは違うと感じてた」と歌うとき、次第に声に力を込めていく。そして最後の「感じてた」では、圧倒的な声の伸びをみせる。サビに入ると、「HA HAN」でも声が伸びる。
「感じてた」の「た」も、「HA」も、いずれもア行だ。歌詞の最後にア行が来るときの中森の声の伸びは特別だ。喉の震えが、聴いてる者にも伝わってくるようだ。圧倒的な破壊力で、聴くものの耳をとらえる。
作詞作曲を手がけた井上陽水がどこまで中森の歌唱の癖を分析していたのかは分からない。当時のスタッフの中にそのことを指摘した者がいたのかどうかも分からない。しかし、あらかじめ計算されていたのではないのかと思われるほど、ア行の破壊力が聴かれる楽曲は多い。以下に代表的なところを挙げてみる。(ただし、ライブCDでの確認であるため、オリジナルバージョンでも該当するかは一部未確認である。)
 
「DESIRE -情熱-」…Burning loveの「ら」
「Fin」…夜の火も消えない「わ」、2番のサビの後で「Ah Ah」
「AL-MAUJ」…こころヒラヒ「ラ」
「TANGO NOIR」…Tango Noirの「アー」
「スローモーション」…出会い「は」
「トワイライト-夕暮れ便り-」…迷わない今な「ら」
「禁区」…気持ちうらは「ら」、救われるか「ら」など多数
「少女A」…私は私よ関係ない「わ」
「十戒 (1984)」…イライラする「わ」、癖だ「わ」
「1/2の神話」…純粋なま「ま」
 
 どうだろうか。これだけア行がたたみかけられると、聴いている方も気持ちがいいものだ。歌っている本人も、自分の癖というものを分かって、聴かせどころとして意識しているのかもしれない。
その証拠、というわけではないが、実は、語尾がア行ではないところであっても、ア行で伸ばしているところが随所に見られる。
 
「BLONDE」
・2番のサビの後「言葉を使って」 エ行→ア行
「I MISSED "THE SHOCK"」
・サビ後の「lonely night in the rain」 エ行→ア行
「ミ・アモーレ」
・サビの「アモーレ」 エ行→ア行
「1/2の神話」
・「他人より少し淋しいだけ」 エ行→ア行
 
 いくつか例外もある。例えば、「北ウイング」のサビで、「不思議な力で」はエ行のままで伸ばしている。それでも、かなり声が伸びている。多くの楽曲でア行に変換するのは、癖なのだろうか、それとも戦略的に行っていることなのだろうか。実際のところは分からないが、中森明菜の歌唱の大きな魅力になっていることは確かだ。
 
 前述したとおり、このライブ映像が撮影されたのは、1989年。1980年代初期にデビューした女性アイドルは、その多くが、80年代中盤で売上を大きく落としている。90年代を迎える直前までに人気を持続できたのは、松田聖子、小泉今日子、そして中森明菜くらいだろうか。
 ライブ収録時、中森は23歳。16歳でデビューした時から実に7年を経過している。それでも、デビュー当時の楽曲をそのまま歌っている。アレンジがほぼ原曲通りであることはもちろん、振り付けまでも忠実に再現している。さすがに十代の頃の振り付けは照れくさいとみえて、ときどき苦笑いを見せる場面もある。しかし、中森は徹底してその楽曲が発表された当時の再現にこだわる。それがファンの求めるところだということを十分に分かっているからだろう。さらには、それが過去の自分への肯定につながるという、シンガーとしての確固たる矜持に裏付けられたものなのだろう。
 アレンジと振り付けを変えずに、しかし歌の表現力は見事に向上させている。1980年代という時代を駆け抜けた一人のシンガーの集大成。そういう意味でも「伝説のコンサート」と呼ぶにふさわしい映像作品である。

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